ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

都営三田線途中下車(22) 大手町駅(その1)

2015年02月10日 20時38分31秒 | まち歩き

 私のサイト「川崎高津公法研究室」において2002年4月から2014年10月まで続けてきた「待合室」で、2004年から「都営三田線途中下車シリーズ」を続けてきました。10年以上も経って、そしてもうじき11年になるというのに、まだ完結していません。白金台、白金高輪、芝公園、御成門および大手町の各駅が残されました。何とか今年の早いうちに完結させたいと考えています。

 そこで、どこを取り上げようかと、今日(2月10日)の朝に考え、下の写真の駅に決めました。

私の通勤ルートで唯一の乗換駅である神保町の隣、大手町です。ここなら、通勤途中の短い時間を利用できます。半蔵門線で一駅乗り越せばよいだけですし、三田線を利用することもできます。

 大手町を通る都営地下鉄の路線は三田線だけですが、東京メトロならば千代田線、東西線、半蔵門線および丸ノ内線が大手町に集まります。地下鉄の路線が5本も集まっているのはここだけです。いや、実はもう一箇所ありますが、銀座線と丸ノ内線は赤坂見附、有楽町線と半蔵門線と南北線は永田町と名称が異なっています。

 駅の所在地は、東京メトロの丸ノ内線、千代田線および半蔵門線については千代田区大手町一丁目、東西線については大手町二丁目ですが、都営三田線については千代田区丸の内一丁目となっています。

 また、上の写真は三井住友銀行本店近くの出入口に掲げられている案内板を撮影したものであるため、この出入口から最も近い千代田線が左に書かれていますが、開業日順に並べ替えると次の通りとなります。

 1956年:丸ノ内線

 1966年:東西線

 1969年:千代田線

 1972年:三田線

 1989年:半蔵門線

 半蔵門線のホームから千代田線ホームを経由して改札口を抜けたため、三田線の駅の大手町方面改札に出ました。三田線、千代田線のどちらも日比谷通りの下を通っていますが、三田線の駅は和田倉門に近く、千代田線の駅は将門塚や神田橋に近くなっています。ややこしいことに、三田線の日比谷駅と大手町駅との間に千代田線の二重橋前駅があり、しかも地下道は大手町駅から二重橋前駅を経由して日比谷駅までつながっています。

 上は皇居に近い日比谷通りですが、雨の日などであればこの地下道を歩けばよい訳です。但し、ややわかりにくいかもしれません。そして、こちらで三田線から半蔵門線、またはその逆に乗り換えるとすると時間がかかりますので、この場合の乗り換えには(行先にもよりますが)神保町駅での乗り換えのほうが楽です(但し、半蔵門線ならば1号車、三田線でも1号車に乗ることが条件です)。

 三田線の車内放送ではアナウンスがなされませんし、公式には接続扱いも何もなされていませんが、この駅から東京駅に出て新幹線などに乗り換えることができます。歩く時間を考慮しなければならないのですが、大東文化大学板橋校舎から東海道新幹線に乗らなければならない用事がある時などに使います。ただ、大手町方面改札からでは遠いので、この地下道を使ってしばらく歩きます。

 丸の内方面改札口に出ました。先程記したように、地下道は二重橋前駅を経由して日比谷駅までつながっていますが、歩き続けたら有楽町や日比谷公園の近くに出てしまいます。そこで、カメラの向きを逆にします。

すると、御覧のように「東京駅方面出口」という案内板が目に入ります。残念ながら地下道がないため、階段を上がって地上に出ます。

接続駅とされていないためでもあるのでしょう、東京駅への近道であるD4出口は7時から20時までしか使えません。さらに驚くことに……

 階段の幅が狭いのです。近くにエレベーターやエスカレーターがないので、車椅子を利用される方、キャスターなどを利用される方の場合は、他の出入口を使わざるをえません。先程の大手町方面改札口から東西線のホームの上を通る地下道を使っても東京駅に出ることはできますが、少々わかりにくくて面倒なので、どの出口の近くにエレベーターがあるかということなどを東京都交通局か東京メトロのサイトで確認しておく必要があります。

 D4出入口の地上部に出ました。都内では東日本大震災をきっかけにおなじみとなった海抜表示です。三田駅の周辺は3メートルから4メートルの間ですが、大手町駅付近は3メートル前後というところでしょうか。

 目の前に日比谷通りが通っており、さらに奥には皇居の大手堀です。左側に和田倉噴水公園があり、右側にはパレスホテル東京があります。

 私は、幼少時から父が運転する車に乗り、日比谷通りをよく通っていました。20歳で自動車運転免許を取得してからは自分で運転し、この道路を通りました。そのため、皇居周辺の景色には多少ともなじんでいます。皇居や大手堀を見つつ丸の内や大手町を通る度に、日本の経済の中心地を通っているのだと実感するのです。しかも、日比谷通りのうち、日比谷交差点から大手町交差点までは、僅かな距離であるとは言え、国道1号です。まさに日本の中心を歩いているようなものであり、このような感覚は新宿、渋谷、池袋などからでは得られません。

 大手町駅の丸の内方面改札から南へ進めば、すぐに和田倉門です。交差点に立てば、東京駅丸の内口の立派な建物を見ることもできます。ここから、日本の行政の中心地、霞が関方面を眺めてみました。

 考えてみれば、通過するだけであるとは言え、私の通勤ルートもすごいものだと思います。現在は日本の政治の中心地、永田町を通っています。大学院生時代の通学ルートも、やはり永田町を通っていました。そして、2004年4月から2010年4月上旬までは、大手町が通勤ルートに含まれていました。


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