論理的に、あるいは感情的に、或る文章を理解しうるという経験は数多い。否、何かを読む以上、そのような体験がなければ、意味をなさない。しかし、ありのままの現実として、私が体感的に、あるいは、私自身が実感しているかのように、経験したかのように、さらに言うなれば、私自身が何らかの機会にそのことを書いたであろうと思われるように、読書体験をするということが、何度もあるのであろうか。
もっとも、私の読書体験が豊富であると言いうるか否かわからないし、こと文学に関しては全く自信がない。そのため、多くの読書家は、私よりも多く、このような経験をしているのかもしれない。
それでも、敢えて言うならば、私は、モーリス・ブランショ(Maurice Blanchot)の「友愛」を読んだ時ほど、心から共感し、頭だけでなく体全体で理解し、私自身の体験と寸分違わず合致する、という経験を、読書から得られたことはない。長らく心の中に抱き続けてきたことを、あたかも日記を読み返して想起し直すかのような作業。それは、苦いものでもあり、甘いものでもある。
「友愛」は、バタイユ論の一つとしてのEssayである。しかし、それは、単なるバタイユ論ではない。ブランショの意図はともあれ(私には意図的であるように思われる)、人物論を大幅に逸脱し、我々の一局面を、あまりにも鮮やかに映し出す鏡である。おそらく、ここに描かれていることは、真実が、それも、誰もが一度は経験するにもかかわらず無意識のままである、あるいは意識しようとしない真実が語られている。
いつのころからかわからないが、私には、何かについて語ることへの疑問が存在し続けている。大学の法律学担当教員になってからも、全く変わらない。私が、私自身について、他人について、何かを語るということに、どれほどの意味があるのであろうか。そのことに、いかなる事柄が隠されているのであろうか。
例えば、或る死者について誰かが何かを語る。多くの場合は、思い出にまつわる話である。多くの人は、その話を聞き、「なるほど、彼はそういう人だったのか」、「そういう一面もあったのか」、「違うのではないか」などの感想を抱くであろう。私も、そのように考えることがある。しかし、私には、釈然としないものが残る。
或る人物について、彼が、自身をどれほど理解していようか。そして、他人が、彼と会い、親しく交際しているとしても、彼の姿を、全て見て、理解できることはあるまい。私自身、私を完全に理解している訳ではない。私は、肉体的には唯一の存在であるが、おそらく、精神的には、断片的に、幾つもの私が存在する。常に私は分裂し、躁と鬱の状態を繰り返す(おそらく、本質的には鬱であり、躁の状態である時間は非常に短い)。しかし、私が分裂質であるのか躁鬱質であるのか、またはその双方を兼ね備えているのか、理解できない。そんなことは、本来、どうでもよいことなのかもしれない。
あるいは、私と親しかった人が死んだとする。そして、私がその人について語るとする。たしかに、その人について語っているつもりなのである(私に限ったことではなかろう)。しかし、私自身が違和感を覚える。他者が友人の死について語るのを聞く時に湧き上がるあの感情である。具体的に言うならば、彼は友人について語っているというよりも、友人と共有した時間を想起しているのである。他人のことではなく、他人との体験そのものを、つまるところ、その体験をした自らを語っているのである。
もっとも、こうした感情は、意識しない人のほうが多いだろう。否、場合によっては、意識してはならないのかもしれない。しかし、それでは、発言者が、その精神に対して嘘をついていることになる。
実際のところ、「最も近しかった人々も、自分たちに近しかったことを語るばかりであり、この近しさの中で断言された遠さは語らない。そして遠さは、現前が途絶えるや否や、途絶える。我々は、我々の話す言葉で、我々の書く文字で、姿を消しているものを保ち続けるのだといくら主張してみたところで、空しい。それに、我々の思い出の誘引力や、さらには一種の形象、光明の下に留まる幸福、確かめうる外見という延長された生を捧げてみたところで、空しい。我々は、一つの空虚を埋めようと努めているにすぎず、苦しみに、つまりその空虚の自己主張に耐えられない」。
私が誰かのことを思い出したとしても、それはむしろ、既に述べたように、主に私がその人と共有した時間に私が経験したことを語っているのであり、その人自身を語っているのではない。彼がどのような人物であるであるかということは、つまるところ、話者の断片的な印象でしかない(大小は問わない)。
そして、「我々の語る全てのことは、ただ一つの断定――一切は消え去らなければならぬ、我々は、消え去りゆくこの動きに深い注意を注ぐことによって、初めて、〔亡き友に〕忠実でいられるのだ、という断定――を覆い隠そうと目指すにすぎず、我々の裡にあって一切の追憶を撥ねつける何物かは既に、この消え去りゆく動きに所属しているのである」。
死というものは断定的な終結であり、避けることはできない。時間は、容赦なく、我々の意思と無関係に過ぎ去る。
そして、「一言でいえば、我々は追憶することができる。しかし、思考は知っている、人は追憶などしないものだ、と。すなわち、記憶もなく思想もない思考は、不可視のもの、そこでは一切が再び無関心へと落ち込んでゆくもののなかで、既に戦っている。それこそが思考の深い苦しみだ。思考は忘却のなかで友愛に同伴せねばならぬ」。
或る意味で残酷なのは、死者が、例えば、氏名、文章、演奏、絵画などの記録を残していることである。それが、私に誤解を与える。記録が彼の作ったものであり、彼自身がそこにこめられている、と。確かに、その記録は彼の手によるものであり、彼の何かが表現されている。しかし、そうであるとしても断片的であるし、記録ができるや否や、それは彼から独立する。彼の名前あるいは存在と結びつけることができるとしても、彼自身が所有するものではなくなる。そして、彼が死んだとしても、その記録は生き続ける。死んでしまったはずの彼の名前だけが残り続け、何度も切り刻まれ、世間にさらされる。批判されようとも反論することができず、同情あるいは理解されようとも、反発することも、修正することもできない。様々な解釈だけが一人歩きする。
このところ、ブランショの言うことは死者だけについてあてはまるのか、そうではないだろう、と考えている。おそらく、生きてはいるが長い間会っていない友人などについてもあてはまると思う。私は日記をつけている。そこには何人かが出てくる。或る日の項目を読めば、私はその人と共有した時間を思い出すことができる。しかし、それは、その人のことを思い出している以上に、私のことを思い出していることを示すのである。
そればかりではない。あの日、私がその人と過ごした時間を想起したとしても、今の私自身がその時間に戻る訳ではない。私自身について想起するということは、或る時点での私と今の私とが異なっていることを意味する。少なくとも、私を相対化させる。さもなければ、思い出を語ることはできない。今の私から、或る時点における私を分離し、観察の対象にしなければ、到底、可能なことではない。
私は、職業の一環として、あるいは私的に、話をし、論文を書き、日記を付け、その他の文章を記す。CDを聴く。楽器を演奏する。それらに限らず、過去に生きた者を始めとして人間たちの名前を出す。残酷な行為であることは、十分に理解している。しかし、そうしなければ、私は生きていけない。言語によるいかなる記録をも残すことができない。
私自身の矛盾。かような事柄を理解しているにもかかわらず、大学の教員という職業についていること。そればかりでなく、他人について、私自身について、何かの形式において語らざるをえないこと。
常に、私は、自覚により、精神的に苦しむ。この先、人生が何年ほど続くかわからないが、ともあれ、私は死ぬまで苛まれる。克服できるか否かはともあれ、独りで耐え忍び、戦い抜くしかない。人は生きている限り、幸いということはできないのであるから。
注1:本文における「彼」は「彼女」の意味も含む(昔の用法)。
注2:ブランショの「友愛」からの引用は、安藤元雄(訳者代表)『筑摩世界文学大系八二 ベケット・ブランショ』(昭和57年7月30日刊行)367頁以下(清水徹訳)による。但し、一部、訳文を修正した〕
★2000年10月28日、私のホームページのLe cahier de brouillon(雑記帳) に掲載。
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