〔今回は、「待合室」の第51回(2003年5月31日から6月7日まで)として掲載した記事の再掲載です。かなりの時間が経過いたしましたが、最後の一文を削除した以外には修正をしていません。なお、写真撮影日は2003年5月4日です。〕
今回も、速見郡日出(ひじ)町の中心部にある暘谷(ようこく)城址の様子を紹介いたします。
堀の西側から日出小学校の建物を撮影してみました。石垣の上に近代的な校舎が建てられているというのも、考えてみれば異様な光景ですが、案外、これが日本的な光景なのかもしれません。 逆に、良質の土台になっているのでしょうか。撮影している時は思うところもなかったのですが、改めて見ると、色々なことを考えてしまいます。
もう1枚、石垣の上に立つ校舎を狙って撮影してみました。変なカットですが、御容赦を。
堀を出ると、 上の写真にある風景となります。道を奥のほうに進むと海に出ます。大分県に住み始めてから知ったのですが、日出町は鰈(かれい)で有名だそうで、市町村境にある日出町のシンボルにも鰈が描かれています(ちなみに、大分市は大伴宗麟が望遠鏡で何かを見ている絵、あるいは、高崎山の猿で、ワールドカップの時には猿がリフティングをしているという絵でした)。
ここでも、石垣の上に建てられている校舎が見えます。
私が通っていた小学校は、私が1年生の時に創立10周年を迎えた所で、川崎市の真ん中より少し北西にあります。勿論、このような石垣などありません。由緒も何もないのです。そのためか、日出小学校に通っている児童、そして卒業した人たちに、少しばかり、羨ましさを覚えます。
先ほどの写真と同じ地点から、堀のほうを撮影してみました。このような所を歩いた訳です。時間的には短いのですが、ここまで3回分の写真を撮影できました(実際にはもう少しあるのですが)。実は、ここからまだ続きます。
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