(以下は、「待合室」第401回として、2011年1月28日から2月4日まで掲載した記事の再掲です。なお、一部を修正しています。)
私が生まれ育ち、大分大学在職期間中の7年間を除いて住み続けている高津区(但し、現在は区内でも違う場所に住んでいます)では、毎年7月下旬に高津区民祭が行われます。溝口から二子までの旧大山街道が主な会場となり、様々なイベントが行われます。その時の様子を少しばかり紹介します。田園都市線途中下車シリーズの趣旨からは少々外れるのでシリーズの中に入れませんが、最寄駅としては田園都市線溝の口駅と高津駅、そして二子新地駅となります(今回は溝の口駅と高津駅です)。
2010年の区民祭は、7月25日の午後に行われました。実は、区民祭に行ったのはその日が初めてのことでした。
高津区は川崎市内の7区で幸区、中原区に次いで狭い区ですが、大別して二つの地域に分けられています。高津地域は、50音順に、宇奈根、梶ヶ谷、上作延、北見方、久地、坂戸、下野毛、諏訪、瀬田、久本、二子、溝口、向ヶ丘で構成されます。この地域の戸籍や住民票の事務などは、下作延にある高津区役所の管轄です。これに対し、橘地域は、やはり50音順に、明津(あくつ)、蟹ヶ谷、子母口(しぼくち)、子母口富士見台、新作、末長、千年(ちとせ)、千年新町、野川(高津区の部分のみ)、久末で構成され、戸籍や住民票の事務などは、千年(ちとせ)にある橘出張所の管轄です。小学校や中学校の学区も、おおむねこの地域区分に準じていますが、東高津中学校の学区域は両地区にまたがっています。
溝口4丁目に高津小学校があります。田園都市線の高津駅が最寄となります。同小学校では徒歩10分と案内していますが、実際には5分程度で行けます。公式には1912年の創立で、これだけでも高津区内では最古の小学校ということになりますが、実際には1873年の溝口学校創立からの歴史があります。区内にあるほとんどの小学校は第二次世界大戦後に開校しており、戦前に開校した小学校は高津小学校と橘小学校(千年)のみです。
高津小学校の校庭の一角に、川崎市水準点があります。それによると、ここの標高は14メートルです。意外に高いという気もしますが、ここは川崎市の北部、川崎駅からでも10キロメートル以上、アクアラインの入口としても有名な川崎区の浮島町からであれば20キロメートルほど離れています。
高津小学校は区民祭の正式な会場となっていなかったのですが、区民祭にあわせてということなのか、校庭が開放されており、乗馬体験(ポニーです)が行われていました。また、ミニSLなどがありました。妻は勿論のこと、私もこの小学校の敷地に入ったのは初めてのことでした。
この小学校の裏(写真で言えば手前左側)に高津図書館があります。かつては文教大学付属小学校があったのですが、大田区内にある小学校と統合したため、図書館が移転してきたのです(以前は現在の3丁目にありました。「川崎高津公法研究室」のトップページにある写真の「大山小径」が、元の高津図書館所在地です)。
なお、溝口には中学校がありません。高津小学校から最も近い中学校は久地1丁目にある西高津中学校で、溝口の田園都市線より北側(あるいは西側)は西高津中学校の学区域となります。高津中学校は久本3丁目にあるので、最寄駅が異なりますし、高津小学校からかなり離れており、徒歩で20分はかかるでしょう。
高津交差点から県道鶴見溝ノ口線を南下します。もっとも、この辺りで県道の名前が登場することは皆無に近く、一般には大山街道と言われます。右側がかつての灰吹屋薬局本店で、蔵造りとなっており、保存されています。その後、本店は国道409号線沿い、高津交差点の近く、高津バス停(溝の口駅方面)のそばにありました(現在は本部として調剤薬局のみがあり、その他の店舗機能は二子四丁目、高津駅西口そばのハイフキヤドラッグ高津西口店に移りました)。
まだ交通規制はかけられていませんが、既に屋台などがいくつか営業を始めていました。あと1時間くらいで通行止めになります。左側に「遊びの広場」という幟が見えますが、そこが「大山小径」の入口であり、奥に旧高津図書館所在地があります。
かつて、溝口と言えばこの大山街道沿いが中心であり、古くからいくつもの商店が並んでいたようです。また、現在も営業を続けている有名な店がいくつかあります。妻は溝口3丁目の大山街道沿いにある某店がお気に入りのようです。
溝口3丁目に川崎市立大山街道ふるさと館があります。そのそばに、上の写真にある道標があります。これは、現在の日野市にある高幡不動尊への道であることを示すもので、府中街道の案内表示ということになります。溝口は大山街道と府中街道が交差する場所でした。そして、現在、国道246号線から国道409号線が分岐するのも溝口です(但し、場所は少々異なります)。
上の道標の説明板です。大山街道は現在の赤坂を起点としていますので、青山も通ります。現在の国道246号線が、おおむね大山街道の道筋をたどっています。また、東京メトロ半蔵門線の永田町~渋谷、および東急田園都市線の全線も、ほぼ大山街道に沿っていることになります。一方、府中街道のほうはと言えば、川崎区内から溝口まではほぼ国道409号線と同じと言えるでしょう。また、JR南武線が府中街道に沿っていることになります。
高津交差点より少し南側、高津バス停の近くです。新聞店のある交差点の辺りに屋台の準備が進められています。この裏のほうにかつて高津図書館がありました。現在は公園と高津こども文化センターになっています。フコク生命ビルの北側に旧灰吹屋薬局本店があります。
私たちは、この日、溝口2丁目のほうまで歩き、3丁目の妻のお気に入りの店に入り、それから高津区産の野菜を買ったりしました。橘地区の子母口や千年で野菜が作られており、その野菜を材料に使ったケーキも売られています(この記事を記した時はその通りでしたが、その後、1年程の休業期間を経て、店舗名も変わって再開してからは、このケーキは販売されていないようです。高津区では人参が栽培されており、その人参を使ったケーキでした。驚く程の美味であっただけに、造られなくなったのは残念です。ちなみに、私は、人参、玉葱、ピーマンのいずれも得意としておりまして、焼肉や野菜炒めなどの料理にこれらが入っていないと満足できません)。
今度は国道409号線を越え、溝口4丁目を歩きます。ここも大山街道です。もう少し先で溝口から二子に変わります。溝の口駅からのバスは高津交差点で右折、または左折して国道409号線を通るため、高津交差点から二子橋までの部分にはバス停がありません。
〔上の写真にあるモギ精肉店(「伊藤ハム」の看板が目印)ですが、現在はありません。〕
左側に高津図書館があり、ここも会場となっていて、普段からは考えられないくらいの多くの人でごった返していました。まだ始まって間もない頃で、これから人が増えていきます。私たちは二子新地駅まで歩き、さらに高津スポーツセンターのほうをまわりました。
2011年1月2日と3日に行われた東京箱根駅伝には国学院大学が出場し、初めてシード権を獲得しました(私の本務校である大東文化大学は出場できませんでした)。その日まで、この通りには国学院大学の出場を祝う趣旨のペナントなどが並びました。実はこの通りに同大学の陸上競技部の合宿所があるのです。私も最近になって知りました(妻が偶然見つけたのです)。それで、この通りには「祝 箱根駅伝出場!」というような文のペナントなどが飾られた訳です。勿論、高津区民祭の日には知る由もありません。
〔國學院大学での講義では、私にとっての地元ネタが全開となります。当然、陸上競技部の合宿所も入ります。うちから数百メートルの所にあるのですから。10年以上前、まだ私が独身であった頃、金曜日の1限に担当していた年に、講義が終わってすぐに、同じ高津区に住んでいるという学生が質問に来ました。講義の内容ではなく、地元ネタへの反応でした。しかも、その学生が通っていた高校が、私の実家から1キロメートルも離れているかどうかという場所にあるのです。僅かな時間ではありましたが、朝から盛り上がったことを覚えています。〕
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます