ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

再掲載:東急大井町線途中下車(6)上野毛駅(その2)

2017年06月09日 00時00分00秒 | まち歩き

 〔今回は、「待合室」の第437回として、2012年5月22日から同月29日まで掲載したものです。写真撮影日である2011年9月16日当時の様子をお伝えしたく、文章に修正の手を加えておりません。〕

上野毛駅周辺を歩いています。交通の往来が激しい街ですが、少し脇に入ると閑静な住宅地に早変わりします。そして、沿線住民であれば一度は訪れてみたい場所があります。

 国分寺崖線の辺りに、緑豊かな邸宅街があります。その一角に、五島美術館があります。東京急行電鉄の総帥であった五島慶太が収集した美術品などを展示しています。その隣が五島家の邸宅です。

 私が訪れた2011年9月、ここは改装工事中でした。そのため、残念ながら入ることができません。今年の秋まで続くようです。

 環状8号線と平行するような裏道となっているこの道路には「おもいはせの路」、「国分寺崖線散歩道」という名称が付けられています。国分寺崖線は、多摩川が10万年の時間をかけて武蔵野台地を侵食したことによってできた段丘です。世田谷区では、玉川地区については「おもいはせの路」、砧地区については「きしべの路」と名付けた散策ルートを指定しています。

 少し読みにくくなっていますが、五島美術館についての案内が記されています。東急のかつての総帥が五島家、西武のかつての総帥が堤家ですが、両家には様々な違いがあります。その大きな一つが邸宅の位置でしょう。五島家はここ上野毛にあります。東急大井町線の沿線です。これに対し、堤家の邸宅は西武の沿線ではなく、神奈川県の二宮町にあったそうです。また、五島家は、東急の前身である目黒蒲田電鉄(大井町線もこの会社によって開業しました)から始まって様々な事業へ拡大させたのに対し、堤家の場合は箱根土地などの不動産業から鉄道事業へ進出しています。

 幹線道路から脇に入っただけなのですが、御覧のような住宅地です。幅はそれほど狭くもないのですが、一方通行です。世田谷区も一方通行の道路が非常に多い所なので、車で走り回るには結構気を使うのですが、それは逆に、住宅地としての風格を高めているということをも意味します。

 五島美術館の正面入口というべき場所でしょうか。

 私自身は、一度だけ、この美術館に入ったことがあります。学部生時代であったと記憶していますが、詳しく覚えていません。展示物なども覚えていません。有名ではありますが、それほど大きな美術館ではないことだけは頭の中にあります。また、20代の私は、あまり美術館などに関心がなかったのでした。時折、NHK教育テレビで日曜美術館を見ていたくらいでしょう。渋谷のBUNKAMURAにあるミュージアムには何回か行きましたが、今でも印象に残っているのが院生時代に行った大ベートーヴェン展でして、目の前にあのルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェンが弾いたというヴィオラが展示されていただけで静かなれど大いなる興奮を覚えたのでした。

 今、東京急行電鉄の取締役などの名簿を見ても、五島家の一員らしき人物が見当たりませんが(単なる見落としかもしれませんが)、五島家が田園調布ではなく、渋谷でもなく、目黒でもなく、この上野毛に邸宅を構えたことに、いかなる意味があったのだろうか、などと考えています。敢えて東横線および目黒線の田園調布に住まなかったことに、企業戦略など、何らかの意味があったのではないかと思うのです。

 目黒線は、本をただせば東京急行電鉄の前身である目黒蒲田電鉄の一部で、田園調布や洗足のために敷かれた路線です。東横線は、目黒蒲田電鉄と同じ系列の東京横浜電鉄によって開業しました。上野毛を通る大井町線は目黒蒲田電鉄の支線でした。

 それにしても、最近の東急電鉄という略称は安っぽく感じます。東京急行のほうが断然格好がよく、駅名標などに掲げられるには相応しいと思うのです。阪急(元々は阪神急行電鉄→京阪神急行電鉄)や東芝(東京芝浦電気)のように、略称が正式の社名にならないことを、株主の一人として願っています。

 今や、このように緑豊かな敷地は、ニュータウンのようなところにはありません。開発から免れている丘陵地帯は別ですが、個人の邸宅の敷地で、ここまで木々に囲まれている所が、一体どれほどあるのでしょうか。世田谷区や大田区では、目星さえつければすぐに見つかるのです。これだけの植物が生えている庭を管理するには大変な費用がかかります。

上の写真だけを見れば、ここはどこなのかと思われることでしょう。

 上野毛駅の前を通るバス通りに出ました。ここからかなり急な下り坂となり、かつて都立玉川高校や東急自動車学校があった玉川二丁目、そして多摩堤通りに出ます。目黒駅から二子玉川駅までの路線バス(黒02)もこの道路を走ります。

公園に来ました。入口ですが、公園までは少し離れています。

 すぐそばにお寺と幼稚園があるのですが、曜日と時間帯のせいなのか、公園には人がいません。意外に広い公園で、ただゆっくりと、時間が過ぎていくのを見送るだけにしたい時には、よい場所であるかもしれません。


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