赤羽線第二雲雀ヶ谷踏切。
幼い頃、セメント工場に出入りする貨物列車を見に
祖父の手にひかれて、毎日のようにこの踏切へ来ていた。
いま、電車を見るのが好きな我が子を抱いて
この踏切へよく足を運ぶ。
祖父は亡くなり、貨物の線路も剥がされてしまったけれど、
祖父の手の温もりと我が子の手の温もりが、35年越しでシンクロする。
幼い頃、セメント工場に出入りする貨物列車を見に
祖父の手にひかれて、毎日のようにこの踏切へ来ていた。
いま、電車を見るのが好きな我が子を抱いて
この踏切へよく足を運ぶ。
祖父は亡くなり、貨物の線路も剥がされてしまったけれど、
祖父の手の温もりと我が子の手の温もりが、35年越しでシンクロする。