秋から冬へ

2017年11月15日 | 写真
都心の木々も、冬支度を始めました。







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貫井山真明寺

2017年11月14日 | 東京のお散歩
小金井市の貫井神社の隣にある真言宗豊山派貫井山妙音院眞明寺は明治二年まで貫井神社の別当寺で、
祭祀をこの寺が行っていました。

創建年代や開山開基は貫井神社ともども不明ですが、永禄十二年(1539)に阿闍梨海宥が中興し、
延宝六年(1678)に尊祐法師が貫井神社に隣接する現在地へ移転させたとされています。

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池袋水天宮の猫

2017年11月13日 | ご近所
池袋駅東口近くの、線路際に鎮座する水天宮には
猫たちがたくさん棲みついています。

たまに賽銭箱に手を突っ込んだりしています。



目つきの悪い奴らばかりですが、人懐っこいかわいい子たちです。
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貫井神社

2017年11月12日 | 東京のお散歩
JR中央線武蔵小金井駅から西へ歩いて20分程、国分寺崖線の下を流れる野川の脇に
小金井市の名の由来にもなっている、貫井神社が鎮座しています。

創建年代は不明ですが、崖線から豊富に水が湧き出る場所に古くから祀られていた弁財天が
明治時代に厳島神社と改称し、その後元の貫井神社と合祀され、村社貫井神社となりました。
厳島神社時代からの祭神市杵島姫命と、元からあった貫井神社の大己貴(大巳貴)命(大国主)を
本殿の主祭神としています。


境内には、東京の名湧水57選に選ばれている湧水が周辺の崖から豊富に流れ出ていて
昔から枯れることがなく「黄金井」と呼ばれていた事から転じて、小金井になったとされています。



(貫井神社)



(湧水地点)



(本殿の真裏の湧水。ここから一旦社殿の左右に分かれ池に注ぐ)



(本殿の左側:参拝者から見て右側の湧水の流れ)



(池に注ぎ込む湧水)



(神池)



(池から流れ出る水)



(流出する水量からも、湧水の多さがわかる)



(神池から流れ出た湧水は、近くの野川に合流する)


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オリンピックナンバー

2017年11月11日 | 東京のお散歩
ご当地ナンバーのひとつ、2020年東京オリンピック特別仕様ナンバー。

都営バスにも、少しずつこのナンバーを付けた車輌が増えてきました。

ただ、緑ナンバーとしての証が、細い緑の縁取りだけで、全体的に白いので
なんとなく自家用っぽい感じがします。

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玉湖神社

2017年11月10日 | 東京のお散歩
狭山湖と多摩湖の間の尾根筋にある玉湖神社(たまのうみ ー)は、昭和九年に竣工した神社で
山の神である大山津見命と、水の神である弥都波能賣命が祭神として祀られていました。

東京府水道局の福島甲子三が発案し、明治神宮を造営した技師、大江新太郎による設計で
当初は山口(狭山湖)、村山(多摩湖)の両貯水池(狭山三湖)神域とした府社として造営しましたが
最終的に社格を得ることは出来ませんでした。

遷宮にあたっては、府社大國魂神社(府中市)から宮司が出張して行いました。
また、扁額は徳川宗家16代当主であった家達氏が揮毫しました。

しかし戦後になって、政教分離の原則のもと、行政機関が特定の宗教を祀ることが問題となり
昭和四十二年、みたま遷しが行われ、現在は神様のいない「元神社」として遺されています。







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多摩湖

2017年11月09日 | 東京のお散歩
多摩湖は、東京都東大和市にある東京都水道局の水源であるダム湖で
正式には村山貯水池と呼ばれています。

昭和二年に完成したアースダムで、柳瀬川支流の谷を利用して造られました。

実際には西側(上流)の村山上貯水池と、東側(下流)の村山下貯水池に分かれ
多摩川の羽村取水堰から導水路で貯水しています。

かつては東村山浄水場へ送水したのち、和田堀給水所から都心へ給水していましたが
現在は東村山と境の浄水場へ送水されていますが、荒川系の朝霞浄水場と三園浄水場へも
バックアップとして送水できるようになっています。

また、境浄水場への導水路上は、多摩湖自転車道として整備されています。

冬季の空気が澄んだ日には富士山も望めます。


(下貯水池の取水塔)



(多摩湖自転車道)



(多摩湖と富士山)
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狭山湖

2017年11月08日 | 埼玉のお散歩
埼玉県所沢市と入間市に跨る、東京都水道局の水源となるダム湖で、昭和二年に着工し
7年の歳月をかけて、狭山丘陵の柳瀬川による侵食谷を利用して造られたアースダムです。

多摩川の小作取水堰と羽村取水堰から取水したものと、狭山丘陵の湧水を貯水し
東村山浄水場と境浄水場へ送水され、東京都の上水として利用されています。


(取水塔)
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狭山丘陵

2017年11月07日 | 埼玉のお散歩
狭山丘陵は、関東造盆地運動によって傾斜している洪積層「狭山層」を基盤とした丘陵で
下末吉海進期に海底となった他は、概ね陸地だったと考えられている場所です。

古多摩川による砂礫や古相模川による堆積物が扇状地状に厚く積もり、台地を形成しました。

古多摩川は、青梅付近からこの丘陵の北側へ流れ、荒川へ向かっていましたが
関東平野の隆起等で流れを南東へ変え、古多摩川流路は入間川などに変わり
新しい流路によって多摩丘陵と分離される形で取り残されたのが狭山丘陵です。

このため、秩父や奥多摩などの山塊とは切り離された高台で、丘陵の周囲に都市が点在する
特異な地勢になっています。


(狭山丘陵。正面はトトロの舞台のひとつ「七国山」のモデル「八国山」)
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区役所施設の展望台

2017年11月06日 | 東京のお散歩
都内には、無料で上がれる展望台がいくつかあります。
都庁の展望台は特に有名ですが、特別区(23区)の区営施設でも、無料の展望台があります。

明日は立冬。これから空気が澄む季節。展望台から富士山や都内の街並みや夜景を
無料で愉しんでみては如何でしょうか。

無料で上がれる展望台のある施設
北とぴあ(北区) 王子駅前
練馬区役所 練馬駅前
キャロットタワー(世田谷区) 三軒茶屋駅前
文京シビックセンター 春日駅・後楽園駅前
タワーホール船堀 船堀駅前



(文京シビックセンターから新宿高層ビル街と富士山)


(キャロットタワー)

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下河原線

2017年11月05日 | 東京のお散歩
JR中央線の中野から立川までの21.7kmは、定規で引いた様な直線区間となっています。

これは一説に、現在の中央線の前身である甲武鐵道を敷設する際に、沿線住民の反対運動や
逆に誘致などの様々な声に苛立った、工部省の技師であった仙石貢(のちの鉄道大臣)が
地図上に一直線に定規で線を引いたからと言われています。

そんな、一直線区間には、多くの支線や引込み線が作られました。

三鷹から中島飛行機(のちに武蔵野競技場線として旅客線化)、武蔵境から境浄水場、
国立から鉄道技術研究所(現 JR総研)、立川から立川飛行場と、殆どが北へ伸びていました。

そんな中、国立からは南側へ二つの線路が伸びていました。

一つは中央鉄道学園(国鉄の教習施設)の実習線、もう一つは下河原線と呼ばれる貨物線です。

下河原線は多摩川の砂利を運搬する貨物線で、この線から更に東芝府中工場、府中刑務所、
米軍府中基地(現 府中の森公園)へ、北府中から貨物引込み線が分岐していました。

また、北府中からは東京競馬場前へも線路が分岐していて、旅客電車が運行されていました。

現在、この下河原線の西国分寺付近から北府中の間は武蔵野線に転用されています。

また、北府中から南は、緑道として整備されています。


(下河原緑道)



(東京競馬場前への分岐点。左方が競馬場方面)



(いかにも廃線跡らしい遊歩道)



(東芝府中の引込み線は現役使用)



(北府中駅 右側の嵩が高い部分が旧下河原線跡)



(東京競馬場線で運行していたクモハ400074)
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古戦場の街 分倍河原

2017年11月04日 | 東京のお散歩
分倍河原(地名は分梅町)は、鎌倉時代と室町時代の二度、合戦が行われた古戦場で
多摩川の旧流路の河原にあたる氾濫原の低地です。

この二度の分倍河原の戦いのうち、鎌倉幕府と反幕勢である新田義貞による戦が有名で
分倍河原駅前のロータリーには、鎌倉の方を向く新田義貞像があります。

また、中央高速に近い新田川には、古戦場の碑が建てられています。


(京王線とJR南武線の分倍河原駅)



(新田義貞像)



(古戦場の碑)



(分梅の由来を記した碑)



(新田川)
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多摩丘陵

2017年11月03日 | 東京のお散歩
東京都西部と神奈川県北部に跨る多摩丘陵は、第三紀層である上総層群(海成層)を基盤に
古相模川の堆積物による洪積層と、海進期に堆積した礫層が乗っている丘陵地帯です。

武蔵野台地の段丘よりも生成が古いため、侵食谷がより発達しているのが特徴です。

そのため、土地の開発がしやすく、大学のキャンパスやゴルフ場、団地や住宅地など
いろいろ開発が進んでいます。



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かなしい坂

2017年11月02日 | 東京のお散歩
東京都府中市にある坂、かなしい坂は、玉川上水の工事の際に
当初、ハケ上のこの付近を通す予定で工事を行い、通水したところ
水が全て地中に染み込んでしまい、コースを変更し、工事に携わった役人が
その責を問われ処刑され、その時に「かなしい」と嘆いた事から
「かなしい坂」と名付けられたと謂れています。


しかし、短期間でしかも効率よく立川断層をクリアし、尾根筋を通し
四谷大木戸まで通水した事を考えると、その様な失敗があったとは思えず
おそらくは三田村鳶魚あたりの創作ではないか、と考えられてもいます。




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溝合神社

2017年11月01日 | 東京のお散歩
多摩川の段丘崖である府中崖線の斜面にある神社、溝合神社。
庚申石橋供養塔と、青面金剛像が祀られています。

元来の神道の神社ではなく、庚申信仰による社です。

東京近郊の古い道には、今でもこうした神社が多く遺されています。

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