JR中央線の中野から立川までの21.7kmは、定規で引いた様な直線区間となっています。
これは一説に、現在の中央線の前身である甲武鐵道を敷設する際に、沿線住民の反対運動や
逆に誘致などの様々な声に苛立った、工部省の技師であった仙石貢(のちの鉄道大臣)が
地図上に一直線に定規で線を引いたからと言われています。
そんな、一直線区間には、多くの支線や引込み線が作られました。
三鷹から中島飛行機(のちに武蔵野競技場線として旅客線化)、武蔵境から境浄水場、
国立から鉄道技術研究所(現 JR総研)、立川から立川飛行場と、殆どが北へ伸びていました。
そんな中、国立からは南側へ二つの線路が伸びていました。
一つは中央鉄道学園(国鉄の教習施設)の実習線、もう一つは下河原線と呼ばれる貨物線です。
下河原線は多摩川の砂利を運搬する貨物線で、この線から更に東芝府中工場、府中刑務所、
米軍府中基地(現 府中の森公園)へ、北府中から貨物引込み線が分岐していました。
また、北府中からは東京競馬場前へも線路が分岐していて、旅客電車が運行されていました。
現在、この下河原線の西国分寺付近から北府中の間は武蔵野線に転用されています。
また、北府中から南は、緑道として整備されています。
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(下河原緑道)
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(東京競馬場前への分岐点。左方が競馬場方面)
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(いかにも廃線跡らしい遊歩道)
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(東芝府中の引込み線は現役使用)
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(北府中駅 右側の嵩が高い部分が旧下河原線跡)
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(東京競馬場線で運行していたクモハ400074)