この上野戦争などが行われていたころ、川越藩はどうしていたのでしょうか。
寛永寺とは他藩に比べて深い関係にあったように思うのですけれども。
川越藩の動向については こちら
情報をいち早く得ていたようで官軍側となり、川越のまちが守られたということのようです。
何事も情報収集が大事だということですね。
戊辰戦争では、外国から提供された兵器の差で、勝敗が決まった面があるようです。
奥羽越列藩同盟側は、情報収集ができなかったうえに古い兵器を高額で買わされてしまったのでしょうか?
現代ではフェイクニュースといった偽情報やサイバー戦争まであるので情報収集もたいへんですね。
川越藩のような手堅いDNAというものがいざというときには発揮される・・・・ということもありそうです。