堂内の写真もOKとのことでした。
哲学的な大黒様のようです。
護摩木に心願成就と名前を書いて納めました。
江戸時代の千人仏です。
格調の高さのようなものを感じたりします。
「護国院大黒天の縁起」から
・徳川氏が天下を統一し、次第に平和な時代がまいりましたが、平安な日々が続くにつれ、かつて歴戦の武将として戦場に多くの血を流した大名たちも、戦死者たちの追善供養をせずにはいられない気持ちになりました。
・丁度その頃、即ち寛永十六年、大阪落城二十五年に当って、この護国院釈迦堂で、豊臣・徳川両軍の戦死者の霊を弔うため大念佛法要が行われました。
・この時、三代将軍家光公は、国の護り、人々の福運を長く祈ってほしいと願われ、大切に秘蔵されておりました藤原信実卿のかかれた大黒天の画像を、護国院の開祖生順大僧正(天海大僧正のお弟子)に贈られました。
それ以来この尊像をおまつりして鎮護国家と、海運隆昌を祈り続けてまいりましたので、護国院大黒天として信仰されました。
・わが身の福運を祈ると同時に、ご利益がすべての人々の上にありますよう祈ることが、ご利益をえる秘訣でございます。
その時心は争いを忘れて安らぎ、自然に七難を遠ざけ、七福を授かりましょう。
・どうぞ一人でも多くお誘いになって、大黒天の前で心の安らぎと福運とをお祈りください。
なるほど、自分の福運を祈るだけではなく、ご利益がすべての人々の上にありますようにと祈るのが大黒天の信仰だったんですね。
真摯な祈りが長い期間にわたって捧げられてきた空間で、私も手を合わせて満たされた気分になりました。
そして、江戸時代に生きた人たちの思いが少しわかったようなつもりになりました。