生まれ変わっても、
「この人生を何度繰り返してもいい」と思えるか!?
と、『ツァラトゥストラ』の中でニーチェは問う。
答えは、
"Yes" である。

自分のなしたことを後悔することはない。
「別なふうに行動していれば
もっとよい結果を得たはずだったのに
と考えるのならば、
それは
超地上的な空想世界に生きることになる」
と彼は言う。

したがって、いっさいの現実を肯定する。
だから、
この人生が
そっくりそのままくり返される永劫回帰が起きたとしても
充分に耐えられる。
※ 「永劫回避」とは、
生への強い肯定の思想であると同時に、
「一回性の連続」という概念であり、
絶対的肯定に転じる 。
つまり、
生まれ変わっても全く同じ人生を繰り返す、
というもの。

というよりもむしろ、
そうであったことすべてを、
それは自分が欲していたものだと肯定できる。
思い返せば
確かにそうだ。
やりたいことを
すべてやり切った者しか達しない境地。
それを彼は、
『超人』と呼ぶ。
「超人は大地の意味である」
つまり、『超人』とは、
神、天使、理性、精神、霊、幸運、あの世、輪廻、歴史、などといった
非大地的なものを棄てさり、
現実の事柄のみを引き受けて生きていく人を指す。
したがって、
『超人』は救われた人でもあるのだ。
このニーチェ的思考の下で生きている。