世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

乗馬の効用 ジム通いの愚かさ

2012年11月14日 | 健康
出来るだけ多く、世界中の馬を乗りこなすことが

ボクの旅の目標の一つである。


今回はフィリピンでその夢を実現した。

世界60か国を旅し、その約半部近くの国で馬に乗ってきた。


フィリピンで乗馬は、これまでとは違った経験を味あわせてもらった。

スピードよりも、体力、耐性を求められる馬には、背に低い小柄な種類が多い。


山岳地帯では特に走ることより、持久力が重要視される。






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久しぶりに乗馬を堪能したが、

普段使わない部位が筋肉痛に襲われるのはどのスポーツも一緒であろう。

乗馬においては、股関節と二の腕に特にその症状が謙虚だ。


素人の方は、臀部が痛くなるのが常だろうが。

それは、ただ馬上で揺られているだけと、

股で馬の胴体を締め、手綱を自ら操るのとでは運動量に雲泥の差があるからだ。


乗馬は、水泳と同じように全身運動である。

もう一つ特徴的なのは、相手が生きものであるということだ。


それも極めて賢く、繊細な感情を持った哺乳類である。

バイクや自転車を乗りこなすのとは訳が違う。


人馬一体という言葉が示す通り、お互い感情を持った生き物同士なのだ。


もう一つ、馬場内乗馬と、外乗も大きく違う。

外乗は、自然が相手ということも言える。

つまり、常に自然条件に左右される。


馬という生き物に乗って、自然の中を走る(歩く)ことにこそ乗馬の醍醐味を感じる。

今回は、その極め付けを味わった。


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話はやや飛躍するが、ボクの持論に

「塾とジム通いは辞めておけ」

というものがある。


つまりモット人間は「自然に学べ」ということだ。



人は何故箱の中に入りたがるのか。


ジムでは、身体は鍛えられても頭は鍛えられない。

考える必要がないからだ。


塾は、頭は鍛えられるかもしれないが、心は鍛えられない。


いずれも、与えられた設備や課題の中で対処しているだけなのだ。



塾で育ったものは、ジムに行きたがる傾向がある。

これは、根拠のないやや乱暴な結論なのだが。


与えられたもので、物事を済まそうとする。


つまり、創意工夫がない。

既成の概念から抜け出せない。


これでは独創的なアイデアなんていつまでたっても出てきやしない。




乗馬もマシンを作ってジョーバとして売り出す。

ウォーキングやランニングマシン、あるいは、自転車マシンなどなど。


都会に住んでいるのだから致し方ない、などという言い訳は聞きたくない。


水泳も同じ。

プールで同じところをぐるぐる回る。

景色も何もない。


大海原で泳いでみないか。

自然の波と流れを読んで、格闘してみないか。



またまた乱暴な言い方をするが、

ジム通いは、マスターベーションの一種である。

もっというなら、ソープランド通いと同次元だ。



それもたまには、イイのだが。

それが日常化することが、怖い。



ジム通いが増えた昨今、反論を待ちたい。
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