話は長くなる(Long story)。
さらに話は込み入っていて(complicated)分かりにくい(confusing)かもしれない。
このブログは、
サブタイトルにあるように3人の子供たち当てて書いている。
再三述べているがボクには3人の子供がいる。
それだけでも幸せだ。
上から、娘、息子、そして娘。
上の娘は前妻の子供である。
下二人は同じ母親から生まれている。
つまり上の娘と下の二人の子供たちは異母兄弟である。
昨今さして珍しいことではない。
問題は、上の娘(前妻との子供)と、現在の妻との間の確執(?)(discord)から始まる。
4歳の時別れた娘が、23年ぶりに会いたいと言ってきたとき、
今の妻が、「会うなら私と別れてから会って」、と娘との再会を拒否した。
一旦は、妻の気持ちを尊重したが、最終的にボクは別れた娘と会うことを選んだ。
その選択は間違ってはいなかったと今でも確信している。
それから事実上の別居が始まって早5年。
アメリカ人と結婚し大阪に住むとは、仲良くやっている。
昨夜もチャットで話をした。
サンフランシスコに住む息子とも姉弟として良好な関係を築いてくれている。
そんな中、今の妻は、7歳から始めた娘のバレエをステージママとして一心に支えてきた。
バレエに執心する下の娘は母親ベッタリで、
父親であるボクとじっくり会話する時間が持てなかったことも事実だ。
母親との不和を感じている娘が父親を敬遠する気持ちもよく分かっている。
だが、高校を卒業しニューヨークへダンス留学する娘をボクも心から応援した。
そして、2年後の去年7月、ニューヨークでアメリカ人と結婚した。
結婚式に出席すべくニューヨーク入りしたボクを待ち構えていたのは
娘の夫になる男の不誠実と、その家族のボクに対する冷たい仕打ちだった。
式当日、ニューヨークのセントラルパークでその家族と口論したボクは、
娘の結婚式に参列することなく失意の元帰国した。
そのいきさつは、当時のブログに詳しく書き留めている。
このニューヨーク事件が、ボクから娘をますます遠ざけてしまった。
それ以来半年間、彼女とは一切連絡をとれていなかった。
そしていきなり今回ぼくのfacebookのタイムラインに載せた何気ない記事へ娘から送られたコメントだ。
ボクは、その内容より彼女の方からボクにコンタクトして来てくれたことに狂喜した。
元気でいてくれたことが分かっただけでも嬉しかった。
娘のボクを批判するコメント内容は散々だったが。
しかも、メッセージではなくみんなが見れるコメント欄にぶちまけてきた。
ボクは敢えて削除しなかった。
親子の恥、家族の恥とも思える内容を世間に晒してまで
父親を罵倒したかったのだろうから。
それで気が済むのならそうすればいい。
ボクは敢えて否定も肯定もしない。
ただ娘がボクのことをそういう目で見ていることだけは分かった。
受け止めよう。
彼女の言う 「本気で受け取らないといけないことまで見失うほどに」
面白おかしく、お気楽そうで能天気に生きるボクの生き方に批判的であることも含めて。
「本気で受け取らないといけないこと」とは、母親のことであることは推測に難くない。
そんな生き方に娘ならずとも、批判する他人が少なからずいることをボクは知っている。
それでもボクは僕の生き方を貫くだろう。
例え娘や周囲から理解されなくても、
ボクは自分を信じ、信念を貫き通して生きることを決めたのだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――
ボクは子供のころ両親のいない暮らしを余儀なくされた。
叔父や叔母の冷たい視線に晒され、もまれながら歯を食いしばって生きてきたことが
ボクを打たれ強くしたのだろう。
どんな批判も甘んじて受けよう。
だがボクは自分の信念を曲げるつもりはない。
残されたわずかな命を、この信念とともに捧げるつもりだ。
2度の結婚に失敗し、娘に悲しい思いをさせてまで貫き通そうとすす信念とはいったい何なのか。
我儘だ、自分勝手だ、いい加減だと批判されながらも
頑(かたく)なに守ろうとしているものと一体は何なのか。
過去に負った傷とともに、
過去に犯した罪を償いつつ、
こんなボクでも頼りにし、愛してくれている人がいることを忘れることは出来ない。
それが何にせよ、行動を起こすもには批判は付き物なのだ。
それを恐れては、何もできない。
それを恐れて、やりたいことを捨てるのか、
拘って重圧に負け、心を苛んでいくのか。
否。
邪魔するものを払いのけてでも、ボクは自分の信じた道を進む。
愛し慕ってくる人がいる限り、ボクはその人たちのために命を懸けて尽くす。
消えかかる命の灯を必死で燃やし続ける人がいる。
その人のために
Let me die instead!と言おう。
それで救われる人がいるのなら残り短いこの命を捧げよう。
迷いは生じても、揺るぎはない。
落ち込んでも、立ち上がる強かさを失っていはいけない。
ぶれない、めげないをモットーにして。
決心と覚悟は、勇気を産み自信を育む。
周囲の声に紛らわされることなく、
自分の内なる声を聴け。
世間を相手にするのではない。
これは、自分との闘いである。
――――――――――――――――――――――――――――――
少し熱くなり過ぎたようである。
頭を冷やして冷静に話し合おう、娘よ。
思えば、君とじっくり話したことは数えるくらいしかないような気がする。
こんなお父さんでも、紛れもなく君の父親なのだ。
ユックリ語り合わないか、娘よ。
怒り、罵られても、甘んじて受け入れよう。
ボクはいつでも君を待っている。
心を開いて語り合おう。
君の幸せを心から願っている。
愛しているよ。
さらに話は込み入っていて(complicated)分かりにくい(confusing)かもしれない。
このブログは、
サブタイトルにあるように3人の子供たち当てて書いている。
再三述べているがボクには3人の子供がいる。
それだけでも幸せだ。
上から、娘、息子、そして娘。
上の娘は前妻の子供である。
下二人は同じ母親から生まれている。
つまり上の娘と下の二人の子供たちは異母兄弟である。
昨今さして珍しいことではない。
問題は、上の娘(前妻との子供)と、現在の妻との間の確執(?)(discord)から始まる。
4歳の時別れた娘が、23年ぶりに会いたいと言ってきたとき、
今の妻が、「会うなら私と別れてから会って」、と娘との再会を拒否した。
一旦は、妻の気持ちを尊重したが、最終的にボクは別れた娘と会うことを選んだ。
その選択は間違ってはいなかったと今でも確信している。
それから事実上の別居が始まって早5年。
アメリカ人と結婚し大阪に住むとは、仲良くやっている。
昨夜もチャットで話をした。
サンフランシスコに住む息子とも姉弟として良好な関係を築いてくれている。
そんな中、今の妻は、7歳から始めた娘のバレエをステージママとして一心に支えてきた。
バレエに執心する下の娘は母親ベッタリで、
父親であるボクとじっくり会話する時間が持てなかったことも事実だ。
母親との不和を感じている娘が父親を敬遠する気持ちもよく分かっている。
だが、高校を卒業しニューヨークへダンス留学する娘をボクも心から応援した。
そして、2年後の去年7月、ニューヨークでアメリカ人と結婚した。
結婚式に出席すべくニューヨーク入りしたボクを待ち構えていたのは
娘の夫になる男の不誠実と、その家族のボクに対する冷たい仕打ちだった。
式当日、ニューヨークのセントラルパークでその家族と口論したボクは、
娘の結婚式に参列することなく失意の元帰国した。
そのいきさつは、当時のブログに詳しく書き留めている。
このニューヨーク事件が、ボクから娘をますます遠ざけてしまった。
それ以来半年間、彼女とは一切連絡をとれていなかった。
そしていきなり今回ぼくのfacebookのタイムラインに載せた何気ない記事へ娘から送られたコメントだ。
ボクは、その内容より彼女の方からボクにコンタクトして来てくれたことに狂喜した。
元気でいてくれたことが分かっただけでも嬉しかった。
娘のボクを批判するコメント内容は散々だったが。
しかも、メッセージではなくみんなが見れるコメント欄にぶちまけてきた。
ボクは敢えて削除しなかった。
親子の恥、家族の恥とも思える内容を世間に晒してまで
父親を罵倒したかったのだろうから。
それで気が済むのならそうすればいい。
ボクは敢えて否定も肯定もしない。
ただ娘がボクのことをそういう目で見ていることだけは分かった。
受け止めよう。
彼女の言う 「本気で受け取らないといけないことまで見失うほどに」
面白おかしく、お気楽そうで能天気に生きるボクの生き方に批判的であることも含めて。
「本気で受け取らないといけないこと」とは、母親のことであることは推測に難くない。
そんな生き方に娘ならずとも、批判する他人が少なからずいることをボクは知っている。
それでもボクは僕の生き方を貫くだろう。
例え娘や周囲から理解されなくても、
ボクは自分を信じ、信念を貫き通して生きることを決めたのだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――
ボクは子供のころ両親のいない暮らしを余儀なくされた。
叔父や叔母の冷たい視線に晒され、もまれながら歯を食いしばって生きてきたことが
ボクを打たれ強くしたのだろう。
どんな批判も甘んじて受けよう。
だがボクは自分の信念を曲げるつもりはない。
残されたわずかな命を、この信念とともに捧げるつもりだ。
2度の結婚に失敗し、娘に悲しい思いをさせてまで貫き通そうとすす信念とはいったい何なのか。
我儘だ、自分勝手だ、いい加減だと批判されながらも
頑(かたく)なに守ろうとしているものと一体は何なのか。
過去に負った傷とともに、
過去に犯した罪を償いつつ、
こんなボクでも頼りにし、愛してくれている人がいることを忘れることは出来ない。
それが何にせよ、行動を起こすもには批判は付き物なのだ。
それを恐れては、何もできない。
それを恐れて、やりたいことを捨てるのか、
拘って重圧に負け、心を苛んでいくのか。
否。
邪魔するものを払いのけてでも、ボクは自分の信じた道を進む。
愛し慕ってくる人がいる限り、ボクはその人たちのために命を懸けて尽くす。
消えかかる命の灯を必死で燃やし続ける人がいる。
その人のために
Let me die instead!と言おう。
それで救われる人がいるのなら残り短いこの命を捧げよう。
迷いは生じても、揺るぎはない。
落ち込んでも、立ち上がる強かさを失っていはいけない。
ぶれない、めげないをモットーにして。
決心と覚悟は、勇気を産み自信を育む。
周囲の声に紛らわされることなく、
自分の内なる声を聴け。
世間を相手にするのではない。
これは、自分との闘いである。
――――――――――――――――――――――――――――――
少し熱くなり過ぎたようである。
頭を冷やして冷静に話し合おう、娘よ。
思えば、君とじっくり話したことは数えるくらいしかないような気がする。
こんなお父さんでも、紛れもなく君の父親なのだ。
ユックリ語り合わないか、娘よ。
怒り、罵られても、甘んじて受け入れよう。
ボクはいつでも君を待っている。
心を開いて語り合おう。
君の幸せを心から願っている。
愛しているよ。