書店に行くと、手帳が所狭しとばかり並べらている。
あまりにもいろんな形式の手帳があり、驚かされる。
ひと頃、数十年も前のことだが、ボクも手帳に凝ったことがある。
三年手帳、五年手帳、十年手帳などとだんだんと延びていき、最後は年間に落ち着いた。
以前話したように、30年カレンダーは健在だ。
しかし、今となっては、あと20年もあれば十分だろう。
けっか、数年前から手帳は持たない主義に徹している。
あまりにも形式化され、自分の行動が手帳に左右されるように感じ出したのだ。
スケデュールは、頭の中に叩き込む。
そのほうが、ただでさえ鈍(なまく)らになりがちな脳の活性化に貢献できそうだ。
時には、忘れることもある。
だが、忘れるほどの予定など始めからないほうがいい。
大事な約束なら、忘れるはずなどありえない。
特に、デイトの約束などは。
(ほとんどないから覚える必要もないのが実情)
手帳の代わりに、フリーノートが重宝する。
思いついたこと、人の言葉で気になったことなど、自由に書き込む。
一つのアイデアが、何ページにも及ぶこともある。
同時に創造性が養われる。
もちろん、予定を書き込むこともある。
手持ちがないときなど、ナプキンやレシートの裏などを利用することも度々。
時々、書いたメモの行方が分からなくなることがあって、困る。
こうなったら書いたメモの場所まで、メモするか!?
あまりにもいろんな形式の手帳があり、驚かされる。
ひと頃、数十年も前のことだが、ボクも手帳に凝ったことがある。
三年手帳、五年手帳、十年手帳などとだんだんと延びていき、最後は年間に落ち着いた。
以前話したように、30年カレンダーは健在だ。
しかし、今となっては、あと20年もあれば十分だろう。
けっか、数年前から手帳は持たない主義に徹している。
あまりにも形式化され、自分の行動が手帳に左右されるように感じ出したのだ。
スケデュールは、頭の中に叩き込む。
そのほうが、ただでさえ鈍(なまく)らになりがちな脳の活性化に貢献できそうだ。
時には、忘れることもある。
だが、忘れるほどの予定など始めからないほうがいい。
大事な約束なら、忘れるはずなどありえない。
特に、デイトの約束などは。
(ほとんどないから覚える必要もないのが実情)
手帳の代わりに、フリーノートが重宝する。
思いついたこと、人の言葉で気になったことなど、自由に書き込む。
一つのアイデアが、何ページにも及ぶこともある。
同時に創造性が養われる。
もちろん、予定を書き込むこともある。
手持ちがないときなど、ナプキンやレシートの裏などを利用することも度々。
時々、書いたメモの行方が分からなくなることがあって、困る。
こうなったら書いたメモの場所まで、メモするか!?