世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

PrsnT Kumamoto in Free Talk

2013年04月19日 | 人生
特に日本人は、

自分を表現するということに慣れていない。


なぜなら、自分を語る必要がないからだ。

みんな日本人で、隣近所の狭い世界に住んでいれば自ずと誰なのか知ることができる。


同じ言語を使い、同じ行動をし、同じ考えを持っている人々は、

いちいち説明する必要などない。




だが、外部からいろんな人が入り込んでくる。

あるいは、自分が違った環境の中に入っていく。


そのとき、黙っていては誰も理解してくれないばかりか、

訝(いぶか)しく思われるのは当たり前のことだ。



だから、敢えて説明能力が必要となる。

これがコミュニケーション力に繋がる。



そのためには、自分の意見をしっかり持って

相手に伝えなければならない。



その訓練、練習ができるのが

これまで7~8回催されてきた『PresnT』なのだ。



今回は、ITコンサルのプロで

プレゼンに長けたM氏にご登場いただいて




なんと、『愛』について語ってもらった。


そして、後半は参加者全員でディスカッション。




最後は、自分の親に「愛してる」って言って、

ハグしてみようということで締めくくった。



     PrsnT後の二次会もまた盛り上がったよ



ハグは、なかなか日本人には出来そうで出来ないことだ。

そもそも風習がなかった。


だが、、思い切ってハグしてみれば何かが変わるという。



ボクは、上の娘とはよくハグをする。

それは、長年離れていたからでもあり、

娘の配偶者がアメリカ人ということも影響しているかと思う。



日本人にはあまりないハグの習慣。

それでも握手はするようになった。


ボクは、お客様によくハグをする。

意外とすんなり受け入れてもらえる。


どさくさまぎれ、いやいやながらという雰囲気は否めないが。




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男と女は言うまでもなく、

人間同士は所詮理解しえないものだという結論が出た。


だから、争いが絶えない、と。

そこで思った。


そもそも理解しようと思うから無理がある。

つまりどちらかに歩み寄らなければならない。


だが、そうすれば不平不満が鬱積し、仕舞には爆発する。



そうではなく、

究極のところ、理解できないものだという前提に立てばいい。


その上で、相手を認める、許す、受け入れるのだ


そうして、思いやりの気持ちを抱き、相手を大切にする


これこそが「愛」なのではないだろうか。


そのための手段として、言葉よりバグの方が有効といえるのではないだろうか。


男女であればなおさらだ。

スキンシップはコミュニケーションの最たるものではないだろうか。


だから、裸でセックスもする。


だが、セックスレスが蔓延している。

夫婦でさえ。


結果、離婚率が増え、晩婚化がすすむ、と。

ひいては少子化につながっていく。

なんと皮肉なことだろう。




「愛」とは何か。


考えても結論は出ない。

無理やり言葉で説明することは困難である。

むしろ無意味なのかもしれない。


なぜなら、

「愛」とは説明するものではなく、感じるものだから。




―――――――――――――――――――――――――――――

ボクは今、特定の人への愛から、博愛へと移行している。

広く多くの人を愛する。


博愛とは、すべての人を平等に愛することであり

へだてなく広く愛すること、と辞書にはある。


英語では、 philanthropyという。

または、Love of mankind(人類愛)であり

Charity(慈善)にも通じる愛と言える。


または、

親が子供をいつくしみ、かわいがるような深い愛情や

下の者、弱い者にめぐみや心をかけ大切にする心を意味する

「慈愛(affection)」に近いかもしれない。


それは、母の愛(mother's love)とも似ている。



あるいは、

cherish という言葉も好きだ。

物をだいじ[たいせつ]にすることであり、

人や動物をかわいがる, いつくしむ、さしく世話する、という意でもある。




Phila thoropist(博愛主義者)は古代の昔から誤解を生んできた。

いきすぎれば、八方美人(affable to everybody)ともとられかねない。


affection はややもすればaffair(浮気)に通じる。


そのそも博愛を意味するphilanthorpyは節操のなさと解され、

a philanderer といえば、浮気者の意味になる。



それは多くの人がボクを誤解する大きな要因となっているように思えてならない。




【追記】

一方、偏愛主義者が増えているようにも思える。


偏愛(partiality)とは、読んで字のごとく、

ある物や人だけをかたよって愛することだ。


ある特定の人や物を愛するあまり、

それ以外は受け付けない、嫌う、憎むといった変質的愛といえるだろう。

ストーカーもこれに当たる。



もっとも、

誰も愛せない人はもっと不幸かもしれない。


愛する人がいないというだけで心が荒む。


反対に、愛する人が世界中にいると思うと、心が和む。



【追記²】


「すこし愛して、なが~く愛して」

と言ったのはあの大原麗子だった。


ボクなら、

「いっぱい愛して、ふか~く愛して」 ときっというだろう。

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