世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

若者はこうして潰れていく!?

2012年08月09日 | 人生
正社員をわずか2か月余りで投げ出した少年の話を書いた。

高卒で東京の中堅会社に見事入社できたというのにだ。


せっかく与えられた社宅からも逃げ出し、

東京の同郷の友達の下宿に転がり込んだ。



その彼をボクは東京に訪ねた。

会社を辞めて2週間ほどたつのにまだブラブラとしていた。


仕事先を探しているという。

だが真剣味が伝わってこない。


その間、故郷にいる母親への無心は続いている。


飯を喰っていないという彼に

ボクの東京の友人と引き合わせて一緒に飯を喰った。


東京には時給のいい仕事が転がっている。

犯罪にならないことなら何でもやれ。


稼ぎのいいアルバイトを転々として

金を貯めろ、とアドバイス(?)した。


日給8,000円以上だと25日働けば月20万以上にはなる。

社会保障はない代わり、税金も掛からない(ホントはかかるが)から

まるまる手取りになる。


一年以上は続けて年に100万円貯めろ。

そして、いろんな職種で社会経験と勉強をしろ。


それまで故郷には帰るな、と。



彼は飯をがつがつ喰いながら目を輝かせて聞いていた。

至って素直なのだ。

非常にイイ子なのだ。


ただ肝心な実行力がない。

ことの深刻さが分かっていない。


今日中に仕事を捜して明日から働けと言って別れた。


お母さんにお金をせびるのは辞めておけとも言った。


ボクの東京の友人は千円しか所持金がないという彼に5千円を手渡した。

ボクが必要ないといって止めるのも聞かずに。

東京の暮らしには金がかかるからな、とボクの友人はポツリと言った。



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それから約一か月がたつ。

その間、彼が辞めた(逃げ出した)会社からは

ボクのところにひっきりなしに電話が入ていた。

損害金を払えと。


ボクが彼の保証人になっているからだ。



彼に彼女ができたと風の便りに聞いた。

そして友人の下宿を引き払い、彼女のアパートに転がり込んでいるとも。



だがそれも長くは続かない。

はやばやと捨てられたらしい。


相変わらず仕事はしていないようだ。

金もないし、紐にもなり切れない。


東京で行き場を失った彼は、どうやら郷里に帰って来るようだ。

母親の元ではない。

今度は郷里の友人のところに転がり込むらしい。


母親は帰ってきても家に入れない、といってうっすらと涙を浮かべた。



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郷里に帰ってきてもどうせ同じことを繰り返すのだろう。

先々犯罪に走らなければいいのだが。


彼は東京でも自転車を盗んでパクられている。


このまま彼は転がり落ちていくのだろうか。


ボクが彼に言って聞かせた最悪のシナリオ通りに

18歳の少年は素直(?)に進もうとしているのか。



まだ18歳?

それとも、もう18歳?


彼の人生はまだ長い。

まだこれからだ。

紆余曲折はあっていい。


時には人の道から外れることもある。

ボクもそうだった。


みんなそうして大人になっていくのだから。


ただし、取り返しのつかないことだけしなければの話だが。




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親の子育ての最終目標は、子供を自立させることに尽きる。


試験の成績や習い事には熱心でも、

肝心の自立心(独立心)を育てることには関心が薄いようだ。



親が前面にしゃhさり出て子供をかばう気持ちはわかる。


ただ度を過ぎると、甘ったれただけの人間になってしまう。


時には「獅子の子落とし」と呼ばれる躾けも必要なのだ。

(注釈)獅子は我が子を谷底に投げ落とし、
はい上がることが出来た強い子だけを育てる、
という迷信から、
子供を立派に育てたければ楽をさせてはいけない、
苦難の道を歩ませよ というたとえ。




楽することを一度覚えた人間は

なかなか苦労を買って出ようとはしないものだ。


むしろモット楽へと流れがちになる。


これを母子家庭にありがちのことといって片づけていいものか。



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人には2種類ある。

仕事をしたがらない人間と

仕事をしていないと生きていけない人間だ。


よく仕事か家庭かなどと二者択一を迫るが、

ワークライフバランスという言葉が持て囃されるように

そのバランスが最も重要なのだ。


だが口で言うのは容易(たやす)いが

人間とは振り子のようにどちらかに揺れ動く生き物であるらしい。


家庭を失うのは悲惨だが、

仕事を失うのはもっと悲惨なのではないだろうか。


今その両方を失った人々がいかに多いことか。




大人は夢を諦めてはいけない。

人の親ならなおさらのことだ。



もう一つ、人は二種類に分けられる。

子供の頃の夢を先細りさせていく人間と


だんだん膨らませていく人間だ。


大半が前者だろう。


18歳の少年に「夢を持て、希望はある」と

どれだけの大人が言えるだろうか。



だから敢えてボクは言う。


夢を捨てるな。

希望を持て。

決して諦めるな
 と。


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