9月17日は、国連の平和維持活動(PKO)の一環としてカンボジアに自衛隊が派遣されてから、30年となりました。1970年代から続いた内戦で荒廃したカンボジアは、自衛隊の初めてのPKO活動などで国土が復興したことに加え、今やカンボジア自身が国外のPKOに部隊を派遣する国となりました。日本の貢献が実を結んでいると高く評価されています。
湾岸戦争等で資金を出すだけの態度に、欧米等から厳しい批判を受けた日本は、国際平和への積極的貢献を行うため、1992年の通常国会で「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(PKO法)を可決しました。国会審議では、当時の社会党や共産党が理不尽な反対行動を行うとともに、多くの条件を求めたこともあり、その後の現場の手足を縛る結果となり、1993年には文民警察官と国連ボランティアとして活動にあたっていた2人の日本人が襲撃されて死亡しました。読売新聞も社説(6月15日)で、「当時の野党の批判が的外れだったことは明らかだ。国際貢献のあり方を政争の具とすることは許されない。内向きの議論は世界には通用しない。」と厳しく批判しています。
1993年5月4日昼過ぎ、タイ国境に近いカンボジア北西部のバンテイメンチェイ州アンピル村で、同村に駐在している国連カンボジア暫定統治機構の日本人文民警察官5人が、オランダ海兵隊UNTAC部隊の護衛を受け、国道691号をパトロール巡回中に、ポルポト派とみられる身元不明の武装ゲリラに襲撃されました。岡山県警警視、高田晴行さん(当時警部補、33歳)が死亡しました。また、1993年4月には、国連ボランティアとして選挙監視に赴いた中田厚仁さん(当時25歳)が凶弾に倒れています。高田警視と中田厚仁さんのお二人のご冥福を心よりお祈りしております。
また、NHKの報道によりますと、カンボジア政府でPKOを担当する平和維持センターのマリンダ・コサル副所長は、「私たちは日本がカンボジアの平和に貢献してくれたことを忘れない」と述べて日本の貢献に感謝しました。そのうえで「カンボジアは小さな国だが、国連のミッションに部隊を送り込んで多くの友人を作っている」と述べて、カンボジアが2006年から9か国に延べ8000人余りをPKOの部隊として派遣してきたとして、カンボジアでの日本の貢献が実を結んでいることを強調しました。なお、陸上自衛隊のカンボジアに対するPKO分野の能力構築支援は、2013年から継続しており、多くのカンボジア軍人がPKOに派遣され活躍する土台となっています。
カンボジアのために命を懸けた日本人がいたことを決して忘れてはならないと強く思っております。また、日本の国際貢献活動が、カンボジアの復興に大きく貢献したこと、そして多くのカンボジアの方々が日本に感謝していることもぜひ強調しておきたいと思います。これまでの関係者の方々の多大な努力に敬意を表します。
(写真は、外務省のサイトより)
内閣府のサイト
https://www.cao.go.jp/pko/pko_j/info/pko30_top.html
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