アジア経済研究所の初鹿野直美先生が書かれた「実現しなかった日本・カンボジア経済協力計画―日本の開発援助黎明期の興奮と頓挫」が、アジ研ワールド・トレンド2017年2月号に掲載されました。
1955年、サンフランシスコ平和条約締結後、独立間もないカンボジアは日本への戦後賠償請求権放棄を宣言しました。これに日本の世論は「感動」し、1955年12月、日本・カンボジア友好条約締結時に、衆議院はカンボジアへの感謝決議をしています。それにあわせて、カンボジアを支援するための経済協力計画が持ち上がりました。その内容は、プノンペンから120キロほど南に位置するキリロム高原に 都市建設を支援しようという計画と、日本からカンボジアに毎年1万人ずつ合計5万人の農業移民を送り出そうという壮大なものでした。
この壮大な計画は、様々な要因があり、実現されることはありませんでした。そのかわりに、コロンボ計画に基づく農業開発センターや病院などの建設や専門家派遣など、より現実的な規模の援助プロジェクトが実施され、日本の対外援助の黎明期の一端を飾ることとなったとのことです。
現在、日本の方々により建設の進むキリロムリゾート(写真上)に、こんな歴史があったことを教えてくれる研究結果です。ぜひご一読ください。
アジ研ワールド・トレンド2017年2月号
http://d-arch.ide.go.jp/idedp/ZWT/ZWT201702_028.pdf
ブログ「カンボジア経済」2015年7月11日「キリロムリゾート グランドオープン式典」
http://blog.goo.ne.jp/economistphnompenh/e/ed590dae905c3cf3b7e8a52587a2c5f9
↓にほんブログ村のランキングに参加しています。よろしければクリックしてください↓
にほんブログ村
1955年、サンフランシスコ平和条約締結後、独立間もないカンボジアは日本への戦後賠償請求権放棄を宣言しました。これに日本の世論は「感動」し、1955年12月、日本・カンボジア友好条約締結時に、衆議院はカンボジアへの感謝決議をしています。それにあわせて、カンボジアを支援するための経済協力計画が持ち上がりました。その内容は、プノンペンから120キロほど南に位置するキリロム高原に 都市建設を支援しようという計画と、日本からカンボジアに毎年1万人ずつ合計5万人の農業移民を送り出そうという壮大なものでした。
この壮大な計画は、様々な要因があり、実現されることはありませんでした。そのかわりに、コロンボ計画に基づく農業開発センターや病院などの建設や専門家派遣など、より現実的な規模の援助プロジェクトが実施され、日本の対外援助の黎明期の一端を飾ることとなったとのことです。
現在、日本の方々により建設の進むキリロムリゾート(写真上)に、こんな歴史があったことを教えてくれる研究結果です。ぜひご一読ください。
アジ研ワールド・トレンド2017年2月号
http://d-arch.ide.go.jp/idedp/ZWT/ZWT201702_028.pdf
ブログ「カンボジア経済」2015年7月11日「キリロムリゾート グランドオープン式典」
http://blog.goo.ne.jp/economistphnompenh/e/ed590dae905c3cf3b7e8a52587a2c5f9
↓にほんブログ村のランキングに参加しています。よろしければクリックしてください↓
にほんブログ村