英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『俺たちの学び舎』 ~東京大学応援部~

2009-08-11 23:24:01 | ドキュメント
 先輩後輩の上下関係が厳しく、先輩の命令は絶対である。
 昭和の運動部はそういうものだった。これが応援団となると、さらに厳しいものというイメージがあった。

 たまたま見た昨夜のNHKの番組。時代は平成、しかも、あの東京大学ですよ。応援団もスマートなものだと思っていました。でも、「馬鹿なんじゃないの」と思うほど、時代錯誤ぶりだった。たとえば、部室に4年生がいると、下級生は座ってはいけない。廊下で立って待機しなければならない。
 「馬鹿」という言葉を使いましたが、「蔑み」の念ではなく、「畏敬」というか「尊敬」というか……。感動しました。
 ちなみに、応援部というのはチアリーダーズ(女性が華やかにポンポンを振って応援)、吹奏楽団、そして、それら応援全体を引っ張っていくのが「リーダー」で、このリーダーたちがいわゆる応援団です。
 その責任者であるリーダー長(応援団長)が、辻宋吉郎さんで、その厳しさから「鬼のリーダー長」と呼ばれています。いや、この人がすごく魅力的。惚れてしまいそうです。

 まず、ナレーションを聞いて、ぶっ飛びました。
「東大応援部が、他の大学と最も違うところは、応援するチームが極めて弱いということです」
 おいおい! いいの?こんなこと言って。

 確かに、東大野球部は弱く、過去に6大学リーグで70連敗したこともあります。7期(3年半)勝ち星なしです。

 時々、応援の士気を上げるため、辻(あえて呼び捨てさせていただきます)は、時々講釈します。それがまた面白い。
「東大はよく、他の大学に比べて、違う競技しているんじゃないかと言われるぅっ!
 確かに、アメフトのような得点差になることもあるっ!
 しかし、こんなに1球1球に本気になれるのは東大だけであるぅ!
 東大の野球は面白い!
 そして、今日勝って、もっと面白くしようぜっ!」

ナレーション「しかし、この日も大差で敗れました」(2-12)


 試合に敗れると、リーダーたちは「罰練」と呼ばれる特訓が待っています。応援が悪かったせいで、勝たせることができなかったと考えているのだそうです。
 チームが負ければ、自分たちを責める。それが応援部なのだそうです。
辻「最後まで本当に勝ちを信じたのか?」
と、問いかけます。

 辻は、大学に通う時は必ず学ラン。


 応援団は大きな声と体全体を使っての拍手が命。並みの運動よりはるかに激しいです。手は真っ赤にはれあがります。
 皮がむけるというよりは、割れるという感じです。


 辻は応援に対して真剣、下級生たちに対しても真剣。応援に対する目は怖いです。私よりはるかに年下なのに、怖いです。きっと、敬語を使ってしまうでしょう。
 私が人事課で、採用する立場だったら、顔を見ただけで即採用です。それだけ、気骨のある顔をしています。


 2年生に藤原という団員がいます。
 彼も応援馬鹿です。でも、迷いもあります。

 友達に
「同じきつい練習をするなら、選手(運動部)になりたい。選手で勝った方が達成感が高いと思う」
藤原
「楽しいことないって言っても、ほんと言いすぎじゃないと思う。でも……どうなんだろう。結局は、やっぱり………どうなんだろうねえ」
 反論できず、気持ちが揺らいでしまいました。
 人とは違う学生生活の中で、何か得るものはあるのか?答えはまだ見つかっていないそうです。
 でも、その表情は、悩んでいるというよりは、充実感を感じているように見えました。

 辻は、厳しすぎると思うこともある。でも、厳しさの中でこそ、逆境でもあきらめない強い精神力が身に付くと考えている。
 辻は言う。
「あいつらにはそれができると信じている」

 春のリーグ戦、最終カード。この日も劣勢。
 辻は、下級生を通路に呼び出し喝を入れる。
 必死の応援……しかし、試合の流れは変わらない。
辻、檄を飛ばす。
「野球は難しい!
 そして、応援も難しい!
 こんだけ声出しているのに、なかなか勝てない!
 難しいっ!
 どうすればいいか、わからない!
 しかし、野球部はそれでもがんばっている!
 我々にできることはなんだ?
 難しいとわかっていて、それでも応援することだ!」


 結局、東大は1勝することもできず、春のリーグ戦を終えた。



 春のリーグ戦が終わると、「六旗の下に」という6大学の応援部が一堂に会して、応援の技を披露しあうイベントがあります。

 これに向けて、特訓が始まります。
 辻が鬼の顔で、「数えろ」とぼそり。
 20分間、声を張り上げながら全身の力を込めて拍手をし続けます。
 1年生の一人が倒れました。藤原は自分のことで精一杯で1年生に気を配る余裕がない。

 突然、辻が2年生を呼ぶ。
「1年生はお前の背中、見てんだぞ。
 苦しい時、自分だけ苦しいと思っているやつは最低だ。
 仲間なんだ。感じろお互いを」


 全体練習の前に、1年生を指導する藤原。
 苦しい練習中も1年生に積極的に声を掛ける藤原。
 練習後、1年生を夕食に誘う藤原。

 苦難を乗り越えた先に、何かがある。そう信じようと話す藤原。


 一方、がんばる下級生に負けないよう、夜11時公園で練習する辻。
 体を地面と平行になるまで反らせる「勝利の拍手」。東大応援部の真骨頂。


 本番、「勝利の拍手」はこの日一番の歓声が上がった。
 終了後、辻は自分の思いを後輩に託す。



 思いもかけず、いいものを見ました。(秋のリーグ戦がありますが、4年生は引退なのでしょうか?)
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今更ながら③ 奉仕作業

2009-08-11 00:47:42 | 日記
 まずは写真をご覧ください。



 これが何か分かります?

 では、もう少し背伸びして、もっと高いアングルから。



 さらに、別角度からです。



 お分かりになったでしょうか?
 簡単ですね。はい、公園です(笑)。
 公園と言っても、小さな住宅地の片隅に、申し訳程度に存在する小さな公園です。法律で住宅地に公園を設置しなければならないという規定があるのでしょうか?それとも、宅地としての価値を上げるための要素として存在しているのでしょうか?とにかく、そんな小さな公園です。

 宅地はすべて売れてしまったので、不動産屋の管理義務がなくなったのでしょうか?ここ数年は、草が伸び放題で、公園としての機能は全く果たしていません。現在は市のものとなっているのか、町内のものなのか、不動産会社のものなのかは分かりませんが、とにかく、このままではよくないと、市の一斉奉仕作業(堤防の草刈りや道路の清掃)の時、3年前から近所の者でその公園の草刈りをするようになりました。
 でも、年に一度だけなので、夏場には踏み入ることがまったく不可能なぐらい伸び放題になります。写真は6月18日のもので、草刈時(7月26日)は写真より3割増しにの状態でした。

 朝の6時から10人ほどで、せっせと草刈です。もくもくと刈ります。きつくて口をきく体力ももったいないのです。
 何とか、1時間ぐらいで、地面が見えるようになりました。

 写真は草を刈ってから1週間後のものです。(再び、草が伸び始めています)





 草がボウボウの時のものと、アングルは少し違いますが、写真の倍率(ズーム度)は、ほぼ同じのはずです。でも、ずいぶん広く見えます。実際は小さいです。
奥行き5mで幅が10mぐらいです。

 地面をアップしてみます。



 刈り残しの草や弦があります。でも、これが限界です。最初から3枚目の写真を見るとわかるでしょうか、蔦(蔓)状の草が。これが、とても手ごわいのです。

 しかし、これでは子どもたちが遊ぶ環境ではありません。中で遊ぶどころか、入りたいという気持ちさえ起こらないでしょう。

 でも(逆接の接続詞ばかりですね)、たとえ、きれいに草を刈ったとしても、子供が遊ばないと思うのですが、どう思います。


 草刈を終えて、汗びっしょり帰りながら、
「本当に、意味があるのだろうか、この草刈」
と、思うのでした。
 実は、堤防の草刈もその意義に疑問を感じていました。
 草を刈った付近にサイクリングロードが通っていて、自転車、ジョギング、散歩する人にとっては有益ですが、ほとんどの人は、年に一度、草を刈るときだけ堤防に下りているのではないかと思います。

 まあ、実益は少ないですが、町内の人が、一斉に汗を流して作業をするということが、一番の意義なのかもしれません。
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