「平家はもはや、武門ではござりませぬ。
殿御自身、もはや武士ではございませぬ。
殿が目指した武士の世は、武士のままでは掴めぬものにござりました」
忠清の命懸けの言葉が清盛に突き刺さる
今回、清盛も頼朝も「武士の世を創る」という言葉を口にしていたが、皮肉なことに、清盛が創ったのは武士の世ではなく、公家・平家の世であった。武士の世を作ろうとした本人が武士ではなくなっていたのだ。
忠清に激怒し、首を刎ねようとした清盛の心は既に腐っていたが、刀の重さに負け尻もちを突く清盛の身体も宋剣も錆びていた。父・忠盛が言った心の軸を失っていたのだ。
………………宋剣にも拒否された清盛
忠盛・清盛親子、そして義朝が目指していた武士の世、その志を受け継いだのは頼朝だった。
富士川の戦い、頼朝・義朝の兄弟の対面、上総広常らの合流、さらに義経・弁慶のウイリアムテルと源氏の上昇気流。崩壊が顕著となった平家とは対照的だった。
………………いつ、爆発するんだ、盛国!
【ストーリー】番組サイトより
1180年、源頼朝(岡田将生)が打倒平家を掲げて挙兵。武士の心を取り戻した清盛(松山ケンイチ)は、すぐに孫の維盛(井之脇海)を総大将、忠清(藤本隆宏)を軍師に任命し、頼朝追討を命じる。
頼朝たちは石橋山に陣を構えて援軍を待っていたが、平家の追討軍である大庭景親(木下政治)と伊東祐親(峰竜太)から攻撃を受け大敗を喫する。逃亡した頼朝たちは洞窟に身をひそめ、隠れていると、敵方の武将・梶原景時(浜田学)はあえて頼朝たちを見逃し、九死に一生を得る。
頼朝挙兵の知らせは奥州平泉の義経(神木隆之介)へも届いた。義経は義兄・頼朝のもとへはせ参じたいと藤原秀衡(京本政樹)に願い出るが、その身を案ずる秀衡は猛反対。そのとき、弁慶(青木崇高)が自身の頭上の的を射よと義経に命じ、自分たちの運と度胸を試してみよと言いだす。そして義経は見事に的を射ぬき、ついに秀衡が折れることになった。
各地でも次々に源氏武士が決起。平家一門も追討の準備をすすめ、福原の清盛の前に集まった。清盛は戦のかたわら福原の内裏建築も進めていたが、一門の誰もが、未だ遷都に疑問を感じていた。しかし、清盛は国づくりを成し遂げることこそが真の勝利だと言い放つ。
下総(今の千葉県)で態勢を立て直していた頼朝のもとへ、二千騎という大軍を率いた上総広常(高杉亘)が参じた。しかし頼朝を侮るような高飛車な態度の広常に、頼朝は去るよう命じる。その毅然とした態度に広常は感服し、こうして頼朝は東国の名だたる武士たちの心を捉えていった。そして父・義朝(玉木宏)の悲願であった武士の世をつくるため、義朝が居をかまえた鎌倉を源氏の本拠地とし、平家軍に備えよと一同に話す。
京の六波羅では平家軍の総大将・維盛と忠清が出陣をめぐって口論していた。日柄が悪いため出陣を延期しようとする忠清を押し切り、維盛は強引に出陣をした。
鎌倉に入った頼朝のもとを政子(杏)が訪ねてくる。すると平家軍が駿河へ入ったという報が届き、くつろぐ暇もなく頼朝は出陣を命じる。
富士川をはさんで頼朝の源氏軍と維盛の平家軍が対峙した。甲斐源氏の二千騎と合流し、数を増した源氏軍とは対照的に、平家軍は兵糧不足に悩み、四千騎の大軍が半分に減っていた。また平家軍に合流するはずの軍勢たちは源氏に阻まれていた。追いつめられた維盛は兵の士気をあげるため、遊女を連れてこいと命じる。
一方、清盛は内裏の速やかな完成を祈願するために、厳島神社を訪れていた。戦況を心配する佐伯景弘(温水洋一)に清盛は、自分は父の悲願である武士の世をつくらねばならないと告げる。そして福原に内裏をつくり、自分の血を引く帝をたてて政をおこなうことを、友である義朝の子に見せてやるという思いを語った。
一方、富士川では酒宴に興じていた平家軍は、水鳥が飛び立つ音を敵襲と間違え慌てふためき、総崩れとなってしまう。圧倒的勝利を手にした頼朝は逆に平家のあまりの弱さに失望するものの、清盛と対峙すべく京に兵を進めるように命ずる。だが、時政(遠藤憲一)たち重臣から、鎌倉に戻り、足元を固めることが先決であると進言を受け、聞き入れる。そこへ義経が奥州から参上、頼朝は運命の対面を果たす。
六波羅に逃げ帰った維盛と忠清の前に現れた清盛は激怒した。維盛を殴りつける清盛に、忠清は自らの死をもって責任をとりたいと言う。そして首をはねられる覚悟で忠清は、「平家はもはや武門ではござりませぬ。殿ご自身が、もはや武士ではありませぬ」と痛烈に清盛を批判する。
忠清の言葉に衝撃をうける一門と清盛。激情にかられた清盛は宋剣で忠清を斬ろうとするが、剣の重さに振り回され尻餅をついてしまう。一門が絶句して見つめる中、清盛の心の中には父・忠盛(中井貴一)のある言葉がよみがえっていた。「おのれにとって生きるとは何かを見つけたとき、心の軸ができる。心の軸が体を支え、心を支えるのだ」清盛は今、心の軸を失っていた。
殿御自身、もはや武士ではございませぬ。
殿が目指した武士の世は、武士のままでは掴めぬものにござりました」
忠清の命懸けの言葉が清盛に突き刺さる
今回、清盛も頼朝も「武士の世を創る」という言葉を口にしていたが、皮肉なことに、清盛が創ったのは武士の世ではなく、公家・平家の世であった。武士の世を作ろうとした本人が武士ではなくなっていたのだ。
忠清に激怒し、首を刎ねようとした清盛の心は既に腐っていたが、刀の重さに負け尻もちを突く清盛の身体も宋剣も錆びていた。父・忠盛が言った心の軸を失っていたのだ。
………………宋剣にも拒否された清盛
忠盛・清盛親子、そして義朝が目指していた武士の世、その志を受け継いだのは頼朝だった。
富士川の戦い、頼朝・義朝の兄弟の対面、上総広常らの合流、さらに義経・弁慶のウイリアムテルと源氏の上昇気流。崩壊が顕著となった平家とは対照的だった。
………………いつ、爆発するんだ、盛国!
【ストーリー】番組サイトより
1180年、源頼朝(岡田将生)が打倒平家を掲げて挙兵。武士の心を取り戻した清盛(松山ケンイチ)は、すぐに孫の維盛(井之脇海)を総大将、忠清(藤本隆宏)を軍師に任命し、頼朝追討を命じる。
頼朝たちは石橋山に陣を構えて援軍を待っていたが、平家の追討軍である大庭景親(木下政治)と伊東祐親(峰竜太)から攻撃を受け大敗を喫する。逃亡した頼朝たちは洞窟に身をひそめ、隠れていると、敵方の武将・梶原景時(浜田学)はあえて頼朝たちを見逃し、九死に一生を得る。
頼朝挙兵の知らせは奥州平泉の義経(神木隆之介)へも届いた。義経は義兄・頼朝のもとへはせ参じたいと藤原秀衡(京本政樹)に願い出るが、その身を案ずる秀衡は猛反対。そのとき、弁慶(青木崇高)が自身の頭上の的を射よと義経に命じ、自分たちの運と度胸を試してみよと言いだす。そして義経は見事に的を射ぬき、ついに秀衡が折れることになった。
各地でも次々に源氏武士が決起。平家一門も追討の準備をすすめ、福原の清盛の前に集まった。清盛は戦のかたわら福原の内裏建築も進めていたが、一門の誰もが、未だ遷都に疑問を感じていた。しかし、清盛は国づくりを成し遂げることこそが真の勝利だと言い放つ。
下総(今の千葉県)で態勢を立て直していた頼朝のもとへ、二千騎という大軍を率いた上総広常(高杉亘)が参じた。しかし頼朝を侮るような高飛車な態度の広常に、頼朝は去るよう命じる。その毅然とした態度に広常は感服し、こうして頼朝は東国の名だたる武士たちの心を捉えていった。そして父・義朝(玉木宏)の悲願であった武士の世をつくるため、義朝が居をかまえた鎌倉を源氏の本拠地とし、平家軍に備えよと一同に話す。
京の六波羅では平家軍の総大将・維盛と忠清が出陣をめぐって口論していた。日柄が悪いため出陣を延期しようとする忠清を押し切り、維盛は強引に出陣をした。
鎌倉に入った頼朝のもとを政子(杏)が訪ねてくる。すると平家軍が駿河へ入ったという報が届き、くつろぐ暇もなく頼朝は出陣を命じる。
富士川をはさんで頼朝の源氏軍と維盛の平家軍が対峙した。甲斐源氏の二千騎と合流し、数を増した源氏軍とは対照的に、平家軍は兵糧不足に悩み、四千騎の大軍が半分に減っていた。また平家軍に合流するはずの軍勢たちは源氏に阻まれていた。追いつめられた維盛は兵の士気をあげるため、遊女を連れてこいと命じる。
一方、清盛は内裏の速やかな完成を祈願するために、厳島神社を訪れていた。戦況を心配する佐伯景弘(温水洋一)に清盛は、自分は父の悲願である武士の世をつくらねばならないと告げる。そして福原に内裏をつくり、自分の血を引く帝をたてて政をおこなうことを、友である義朝の子に見せてやるという思いを語った。
一方、富士川では酒宴に興じていた平家軍は、水鳥が飛び立つ音を敵襲と間違え慌てふためき、総崩れとなってしまう。圧倒的勝利を手にした頼朝は逆に平家のあまりの弱さに失望するものの、清盛と対峙すべく京に兵を進めるように命ずる。だが、時政(遠藤憲一)たち重臣から、鎌倉に戻り、足元を固めることが先決であると進言を受け、聞き入れる。そこへ義経が奥州から参上、頼朝は運命の対面を果たす。
六波羅に逃げ帰った維盛と忠清の前に現れた清盛は激怒した。維盛を殴りつける清盛に、忠清は自らの死をもって責任をとりたいと言う。そして首をはねられる覚悟で忠清は、「平家はもはや武門ではござりませぬ。殿ご自身が、もはや武士ではありませぬ」と痛烈に清盛を批判する。
忠清の言葉に衝撃をうける一門と清盛。激情にかられた清盛は宋剣で忠清を斬ろうとするが、剣の重さに振り回され尻餅をついてしまう。一門が絶句して見つめる中、清盛の心の中には父・忠盛(中井貴一)のある言葉がよみがえっていた。「おのれにとって生きるとは何かを見つけたとき、心の軸ができる。心の軸が体を支え、心を支えるのだ」清盛は今、心の軸を失っていた。