清盛と後白河法皇、清盛と頼朝
武士対公家(朝廷)、武士同士の争い
清盛は鎌倉の都造りの様子を聞き、自分が目指した国創り、福原の都造りと同じ武士の世を頼朝も目指している事を知る。
高倉上皇の崩御により復権した白河法皇に、武士同士が覇権を争う時代が来ており、ふたりの双六が終わった事を告げた。
………今回の話をまとめると、これだけ。あとは、回想シーンと意表のゲスト(と西行の絡みぐらい。回想シーンは嫌いではないが、先週に引き続いての回想シーンの連続には、少々がっかりしている。
平家の凋落を清盛の迷走、狂気、消沈ぶりと、世間の評価、権力のよりどころである高倉上皇の崩御によって表現し、源平の争いは富士川の戦いの他は描いていない。
時間的に無理なのは理解できるが、これだけ回想シーンを入れるのならもう少し何とか源平合戦を挿入して欲しかった。
西行が、歌で国中が戦であふれていると嘆いたが、平家、源氏、朝廷の周辺ではよそごとの風情だ。
堀河局、意表の再登場
最初のクレジットを観て、「えっ?」と思ってしまった。
西行の言葉ではないけれど、「生きていたのか?」
老けない女性陣の老いを一身に背負っているかの面持ちであった。
7以上の目を出す確率
ふたつの賽のうち、ひとつが1の目でピンチを思わせ、もうひとつが6の目であったという演出がしたかったと思われるが、7以上の目の出る確率は36分の21で約58%。実は清盛が有利だった。
【ストーリー】番組サイトより
清盛(松山ケンイチ)の五男・重衡(辻本祐樹)が南都(現在の奈良)を焼き打ちにしたことにより、天下の人心はもはや平家からまったく離れていた。各地で謀反が相次ぎ、平家は次第に四面楚歌となっていく。さらに不幸なことに、病床にふしていた高倉上皇(千葉雄大)が世を去ってしまう。高倉上皇は最期まで后である徳子(二階堂ふみ)の行く末を案じながら、21歳の若さでの崩御だった。
高倉上皇の崩御は、上皇の父・後白河法皇(松田翔太)の院政が、約1年半ぶりに復活することを意味していた。鳥羽離宮での幽閉を解かれ、久方ぶりに清盛と対面した後白河法皇は、清盛がおこしたクーデター、「治承三年の政変」も自分のシナリオどおりだったことをにおわせ、清盛をがく然とさせる。平家一門も、法皇は幽閉されながら世を操っておられたのだとぞっとする。
清盛は、高倉上皇をなくしたばかりの娘・徳子のもとへ時子(深田恭子)を行かせ、法皇の後宮に入るよう説得させる。しかし、徳子はかたくなに拒否。それでもあきらめず、「また別の手を打つ」という清盛を、時子はやさしくとりなし、励ますのだった。
一方、鎌倉の頼朝(岡田将生)のもとには、梶原景時(浜田学)をはじめ、続々と武士たちが集まる。頼朝は彼らを御家人(ごけにん)と呼び、新たな「武士の世」の政治体制を作り始めていた。
京の上西門院統子(愛原実花)の館では高倉上皇をしのぶ歌会が催された。上西門院は後白河法皇の姉であり、高倉上皇は甥にあたる。その歌会には西行(藤木直人)の姿もあった。西行は戦乱で多数の人が亡くなったことを詠み、それこそが高倉上皇の心労のもとであったことを嘆いた。そして歌会の後、かつて待賢門院に仕えていた堀河局(りょう)と、久方ぶりに再会する。昔は恋の歌をかわした二人だった。世の行く末を嘆く堀河局に西行は今宵を楽しもうと誘う。
ある日、西行は清盛をたずね、鎌倉での頼朝の町づくりを語った。頼朝は源氏の守り神である鶴岡八幡宮の参道沿いを中心に、次々と住いや道が整えられ、そこに御家人たちを住まわせ、新しい仕組みのもと統率していた。
そのことを聞いた清盛は、貴族の世が終わりを告げ、武士が覇を争う世が到来したことを実感。ある決意をもとに後白河法皇をたずね、双六の勝負を申し込む。負けた者が勝った者の願いを聞き届けるという約束ごとで。双六をしながら二人はこれまでのお互いを振り返った。若き日から二人はまさに双六のようにお互いが賽をふりながら数々の勝負を続けてきたのだ。そして今宵の一戦で勝ちをおさめ清盛は、勝者として望みを語った。それは後白河法皇との双六勝負はこれで最後にしたいということだった。「これより先は、すでに朝廷に力はなく、武士同士が覇権を争う世である。武士はもう王家の犬ではない」と告げると、後白河法皇は寂しげな表情で現実をうけとめた。
その後、清盛は頼朝への闘志を燃やし、源氏討伐の準備を整えていた。そんな折、清盛は突然の熱病に倒れ、危篤状態に陥る。同じ頃、伊勢にある西行の庵にある男が訪ねてきていた。それは清盛の生霊だった。
武士対公家(朝廷)、武士同士の争い
清盛は鎌倉の都造りの様子を聞き、自分が目指した国創り、福原の都造りと同じ武士の世を頼朝も目指している事を知る。
高倉上皇の崩御により復権した白河法皇に、武士同士が覇権を争う時代が来ており、ふたりの双六が終わった事を告げた。
………今回の話をまとめると、これだけ。あとは、回想シーンと意表のゲスト(と西行の絡みぐらい。回想シーンは嫌いではないが、先週に引き続いての回想シーンの連続には、少々がっかりしている。
平家の凋落を清盛の迷走、狂気、消沈ぶりと、世間の評価、権力のよりどころである高倉上皇の崩御によって表現し、源平の争いは富士川の戦いの他は描いていない。
時間的に無理なのは理解できるが、これだけ回想シーンを入れるのならもう少し何とか源平合戦を挿入して欲しかった。
西行が、歌で国中が戦であふれていると嘆いたが、平家、源氏、朝廷の周辺ではよそごとの風情だ。
堀河局、意表の再登場
最初のクレジットを観て、「えっ?」と思ってしまった。
西行の言葉ではないけれど、「生きていたのか?」
老けない女性陣の老いを一身に背負っているかの面持ちであった。
7以上の目を出す確率
ふたつの賽のうち、ひとつが1の目でピンチを思わせ、もうひとつが6の目であったという演出がしたかったと思われるが、7以上の目の出る確率は36分の21で約58%。実は清盛が有利だった。
【ストーリー】番組サイトより
清盛(松山ケンイチ)の五男・重衡(辻本祐樹)が南都(現在の奈良)を焼き打ちにしたことにより、天下の人心はもはや平家からまったく離れていた。各地で謀反が相次ぎ、平家は次第に四面楚歌となっていく。さらに不幸なことに、病床にふしていた高倉上皇(千葉雄大)が世を去ってしまう。高倉上皇は最期まで后である徳子(二階堂ふみ)の行く末を案じながら、21歳の若さでの崩御だった。
高倉上皇の崩御は、上皇の父・後白河法皇(松田翔太)の院政が、約1年半ぶりに復活することを意味していた。鳥羽離宮での幽閉を解かれ、久方ぶりに清盛と対面した後白河法皇は、清盛がおこしたクーデター、「治承三年の政変」も自分のシナリオどおりだったことをにおわせ、清盛をがく然とさせる。平家一門も、法皇は幽閉されながら世を操っておられたのだとぞっとする。
清盛は、高倉上皇をなくしたばかりの娘・徳子のもとへ時子(深田恭子)を行かせ、法皇の後宮に入るよう説得させる。しかし、徳子はかたくなに拒否。それでもあきらめず、「また別の手を打つ」という清盛を、時子はやさしくとりなし、励ますのだった。
一方、鎌倉の頼朝(岡田将生)のもとには、梶原景時(浜田学)をはじめ、続々と武士たちが集まる。頼朝は彼らを御家人(ごけにん)と呼び、新たな「武士の世」の政治体制を作り始めていた。
京の上西門院統子(愛原実花)の館では高倉上皇をしのぶ歌会が催された。上西門院は後白河法皇の姉であり、高倉上皇は甥にあたる。その歌会には西行(藤木直人)の姿もあった。西行は戦乱で多数の人が亡くなったことを詠み、それこそが高倉上皇の心労のもとであったことを嘆いた。そして歌会の後、かつて待賢門院に仕えていた堀河局(りょう)と、久方ぶりに再会する。昔は恋の歌をかわした二人だった。世の行く末を嘆く堀河局に西行は今宵を楽しもうと誘う。
ある日、西行は清盛をたずね、鎌倉での頼朝の町づくりを語った。頼朝は源氏の守り神である鶴岡八幡宮の参道沿いを中心に、次々と住いや道が整えられ、そこに御家人たちを住まわせ、新しい仕組みのもと統率していた。
そのことを聞いた清盛は、貴族の世が終わりを告げ、武士が覇を争う世が到来したことを実感。ある決意をもとに後白河法皇をたずね、双六の勝負を申し込む。負けた者が勝った者の願いを聞き届けるという約束ごとで。双六をしながら二人はこれまでのお互いを振り返った。若き日から二人はまさに双六のようにお互いが賽をふりながら数々の勝負を続けてきたのだ。そして今宵の一戦で勝ちをおさめ清盛は、勝者として望みを語った。それは後白河法皇との双六勝負はこれで最後にしたいということだった。「これより先は、すでに朝廷に力はなく、武士同士が覇権を争う世である。武士はもう王家の犬ではない」と告げると、後白河法皇は寂しげな表情で現実をうけとめた。
その後、清盛は頼朝への闘志を燃やし、源氏討伐の準備を整えていた。そんな折、清盛は突然の熱病に倒れ、危篤状態に陥る。同じ頃、伊勢にある西行の庵にある男が訪ねてきていた。それは清盛の生霊だった。