英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『平清盛』 第49話「双六が終わるとき」

2012-12-16 21:20:26 | ドラマ・映画
清盛と後白河法皇、清盛と頼朝
  武士対公家(朝廷)、武士同士の争い
 清盛は鎌倉の都造りの様子を聞き、自分が目指した国創り、福原の都造りと同じ武士の世を頼朝も目指している事を知る。
 高倉上皇の崩御により復権した白河法皇に、武士同士が覇権を争う時代が来ており、ふたりの双六が終わった事を告げた。

 ………今回の話をまとめると、これだけ。あとは、回想シーンと意表のゲスト(と西行の絡みぐらい。回想シーンは嫌いではないが、先週に引き続いての回想シーンの連続には、少々がっかりしている。
 平家の凋落を清盛の迷走、狂気、消沈ぶりと、世間の評価、権力のよりどころである高倉上皇の崩御によって表現し、源平の争いは富士川の戦いの他は描いていない。
 時間的に無理なのは理解できるが、これだけ回想シーンを入れるのならもう少し何とか源平合戦を挿入して欲しかった。
 西行が、歌で国中が戦であふれていると嘆いたが、平家、源氏、朝廷の周辺ではよそごとの風情だ。


堀河局、意表の再登場
 最初のクレジットを観て、「えっ?」と思ってしまった。
 西行の言葉ではないけれど、「生きていたのか?」
 老けない女性陣の老いを一身に背負っているかの面持ちであった。


7以上の目を出す確率
 ふたつの賽のうち、ひとつが1の目でピンチを思わせ、もうひとつが6の目であったという演出がしたかったと思われるが、7以上の目の出る確率は36分の21で約58%。実は清盛が有利だった。


【ストーリー】番組サイトより
 清盛(松山ケンイチ)の五男・重衡(辻本祐樹)が南都(現在の奈良)を焼き打ちにしたことにより、天下の人心はもはや平家からまったく離れていた。各地で謀反が相次ぎ、平家は次第に四面楚歌となっていく。さらに不幸なことに、病床にふしていた高倉上皇(千葉雄大)が世を去ってしまう。高倉上皇は最期まで后である徳子(二階堂ふみ)の行く末を案じながら、21歳の若さでの崩御だった。
 高倉上皇の崩御は、上皇の父・後白河法皇(松田翔太)の院政が、約1年半ぶりに復活することを意味していた。鳥羽離宮での幽閉を解かれ、久方ぶりに清盛と対面した後白河法皇は、清盛がおこしたクーデター、「治承三年の政変」も自分のシナリオどおりだったことをにおわせ、清盛をがく然とさせる。平家一門も、法皇は幽閉されながら世を操っておられたのだとぞっとする。
 清盛は、高倉上皇をなくしたばかりの娘・徳子のもとへ時子(深田恭子)を行かせ、法皇の後宮に入るよう説得させる。しかし、徳子はかたくなに拒否。それでもあきらめず、「また別の手を打つ」という清盛を、時子はやさしくとりなし、励ますのだった。
 一方、鎌倉の頼朝(岡田将生)のもとには、梶原景時(浜田学)をはじめ、続々と武士たちが集まる。頼朝は彼らを御家人(ごけにん)と呼び、新たな「武士の世」の政治体制を作り始めていた。
 京の上西門院統子(愛原実花)の館では高倉上皇をしのぶ歌会が催された。上西門院は後白河法皇の姉であり、高倉上皇は甥にあたる。その歌会には西行(藤木直人)の姿もあった。西行は戦乱で多数の人が亡くなったことを詠み、それこそが高倉上皇の心労のもとであったことを嘆いた。そして歌会の後、かつて待賢門院に仕えていた堀河局(りょう)と、久方ぶりに再会する。昔は恋の歌をかわした二人だった。世の行く末を嘆く堀河局に西行は今宵を楽しもうと誘う。
 ある日、西行は清盛をたずね、鎌倉での頼朝の町づくりを語った。頼朝は源氏の守り神である鶴岡八幡宮の参道沿いを中心に、次々と住いや道が整えられ、そこに御家人たちを住まわせ、新しい仕組みのもと統率していた。
 そのことを聞いた清盛は、貴族の世が終わりを告げ、武士が覇を争う世が到来したことを実感。ある決意をもとに後白河法皇をたずね、双六の勝負を申し込む。負けた者が勝った者の願いを聞き届けるという約束ごとで。双六をしながら二人はこれまでのお互いを振り返った。若き日から二人はまさに双六のようにお互いが賽をふりながら数々の勝負を続けてきたのだ。そして今宵の一戦で勝ちをおさめ清盛は、勝者として望みを語った。それは後白河法皇との双六勝負はこれで最後にしたいということだった。「これより先は、すでに朝廷に力はなく、武士同士が覇権を争う世である。武士はもう王家の犬ではない」と告げると、後白河法皇は寂しげな表情で現実をうけとめた。
 その後、清盛は頼朝への闘志を燃やし、源氏討伐の準備を整えていた。そんな折、清盛は突然の熱病に倒れ、危篤状態に陥る。同じ頃、伊勢にある西行の庵にある男が訪ねてきていた。それは清盛の生霊だった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

将棋界(順位戦)の歪み その4「棋界全体の実力分布(通算成績~下位棋士~)」

2012-12-16 17:33:04 | 将棋
「将棋界(順位戦)の歪み その3」
「将棋界(順位戦)の歪み その2」
「将棋界(順位戦)の歪み その1」の続きです。
【訂正の報告】
ある棋士の通算成績が100勝多く入力していたことが、2013年3月8日に判明し、本記事の全棋士の通算総合計勝数を訂正いたしました


 前回の「その3」が10月26日だったので、皆さんは忘れていると思います。私も覚えていません。
 簡単に復習すると…
 順位戦C級2組順位6位の菅井五段が9勝1敗で昇級を逃したことに、不運以上のものを感じ、それが勝負の世界の「実力のない者は去る」の掟が甘くなっている将棋界の現状に起因しているのではないかと考えた。現状の問題点としては、順位戦システムの問題と棋界の構造の問題が考えられる。(その1
 念のため、きっかけのC2の昇級争いを精査する必要があると考え、昇級者3名と菅井五段の対戦相手を分析すると、難易度にかなりの差があった。これが、くじ運の範囲かもしれないが、順位戦システムそのものの問題と棋界全体の問題が大きく関与していると思われる。
 そして、その分析過程で、C級2組の実力分布にかなりばらつきがあることが判明した。(その2)
 このばらつきこそが、現状の将棋界の歪みによるものではないかと考えたが、バラツキを分析するのに、棋士にとって大変失礼な作業であるが、棋士をランク分けする必要がある。その一つの目安(基準)として、通算勝率がある。(2012年3月末時点) トップ棋士(タイトルホルダー)のボーダーラインとして、通算勝率で6割4分が妥当ではないかと考えられる。(その3)


 その3では「超一流棋士」「一流棋士」「一般棋士」「底辺棋士」という言葉を用いたが、今後分析するうちに、もっと適切な区分けや名称が出てきそうなので、その3での名称は暫定的なものとしておきます。
 とにかく、その3の結論として、通算勝率6割4分以上がトップ棋士となるが、これだけだと、実績が不十分な若手が入ってしまうので、「且つA級経験者、タイトル獲得経験者」を条件に加えることにする。(この基準だと、.628の谷川九段と久保九段が外れてしまうが、この二人は例外としてトップ棋士に加えたい)

 その次の区分けを考えていく。
 頭に浮かぶのは、「タイトル挑戦者決定リーグ戦やトーナメントのベスト4以上の常連」あたりだろうか。
 それを念頭に置いて通算勝率を見ると、三浦八段が.596、藤井九段と鈴木八段が.597、高橋九段が.576で、ここら辺りの5割7分5厘をボーダーライン、名称は「一流棋士」としておく。

 それより下は5割がボーダーラインと考えられる。ちなみに、.505~.500にいる棋士は、小林健九段、石川七段、神谷七段、浦野八段、勝又六段、藤森四段。藤森四段に関してはこの時点では3勝3敗、現時点(12月12日)では16勝17敗とやはりボーダー付近。
 惜しくも5割にわずかに届いていない棋士は、岡崎六段、福崎九段で.497。
 この.575~.500が一つのランクと考えるのが妥当であるように考えられるが、このランクまで来ると、この五割というラインは現状の実力に即していない。(棋士個人の視点で言えば、勝ち越しか負け越しは大きな違いであるが)
 それはどういう事なのかというと、5割丁度の藤森四段の順位は121位。この時点(2012年3月末)の現役棋士(昨年度中に引退した棋士も含む)は165名。ということは、5割以上が121人、5割未満が44人と分布に大きな偏りがある。ちなみに、165名の中間の83位は平藤七段で.552。加藤一二三九段が.547(90位)、内藤九段が.544(91位)、桐山九段が.541(94位)と大豪の面々が連なっている。
 なので、.575~.540がひとつのランクと考えるのが妥当かもしれない(仮称として「堅調棋士」)。.540~.500「一般棋士」5割未満を「底辺棋士」と暫定的に呼ばせて頂く。

 このような偏りが生じた訳は、底辺棋士が大きく負け越して、その他の棋士に白星を配給しているからというわけではない。(単年度的にはそういう傾向は大いにあるが、これは、他の項で後述したい)
 単純に、全165名の勝数、敗数を合計すると、62345勝53186敗、勝率.5396(堅調棋士のボーダーラインと一致している)。勝数が実に9159も上回っている
 この理由はいくつか考えられる。
①棋士の成績には対女流棋士、対アマチュア、対奨励会、が含まれている。昨年度は対女流棋士(23勝5敗)、対アマチュア(19勝8敗)、対奨励会(不明)で、全棋士の合計成績は2334勝2295敗で勝率.504。
 しかし、勝率が.504なので、この要素だけでは通算成績の勝率.540を説明できない。
②(フリークラス導入など)制度改正によって、負けが込んでいた棋士が一時期にまとめて引退した。(確証はありません)
③まだ、他に要因があるかもしれません。誰か教えてください。

 ここまで通算成績に考察したが、大まかな棋士の区分けが出来る程度に留まった。(後に考察する「引退基準」で通算成績も関係してくるので、通算成績も再考察します)
 次回は年度勝率について考察します。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする