ひと月前の記事、『平清盛』第43話「忠と孝のはざまで」で、
これまでに、重盛が言う海よりも深き法皇の慈悲って受けましたっけ?
と、のたまいました。
(「宣う」というのは、元来、「言う」の尊敬語、「おっしゃる」ですが、からかい半分のふざけた言い方として、「いかにも、もっともらしく言う」「大きな態度で言う」などの意味の現代的な用法です)
それに対して、くうさんから、
「単なる私なりの解釈です。
気が向いて暇だったら読んでみてください(_ _)
(いえ、別に英さんに反論しようと思って追記したわけではなくて、元々後で追記しようと思っていた内容なのですよ^^;」
というコメントをいただきました。
それに対し、
追記を読みました。なるほど、時代考証的にはそうだと思います。ただ、このドラマ的には疑問を感じます。
ここら辺り、みなさんの記事も読み、客観的視点も取り入れ、もう少し考えたいと思います。
多忙でこの『平清盛』の記事もまだ3件しかトラックバックを飛ばせていない状況で、少し遅くなると思います。
「少し遅くなる」と言ってひと月経ってしまいました。どこかの国の総理みたいです(笑)
で、ここからが本文です。と言っても、コメントレスの繰り返しみたいなもので、たいそうなことは書けません。
通常、トラックバックをすることもあって、その際、他の方の記事を興味深く拝見しているのですが、この時は、特に注意して読みました。他の方の考えを知ってから、再度考えようと思ったわけです。
私は、くうさんのところを含め、いくつかのお気に入りのドラマブログがあります。
平清盛に関しては、『平成エンタメ研究所』が深くて鋭いなあと、1目も2目も置いています。そして、やはり鋭くて面白いなあと思うのが、~ Literacy Bar ~です。コメントの数も凄いです。(ご存知かもしれませんね。一応、第43話もリンクを張らせて頂きます)
で、やはり、コメントレスで申しましたように、「時代考証的にはそうだと思います。ただ、このドラマ的には疑問を感じる」という考えは基本的に同じです。あ、くうさんに反論するという意志ではありません。
他のブロガーさんやコメンテイターさんも書かれていましたが、史実的には、後白河院の近臣である重盛は、院から恩恵を受けていた、あるいは、まじめな性格の重盛が、通常の主従関係を海よりも深い恩と受け取っていたように思います。
しかし、これはドラマなので、やはり、重盛が海よりも深い恩を受けていた、或いは、感じていたということを描いていなければならないと思います。
脚本家さんは、伏線の回収は非常に優れていると思いますが、ドラマとしての肝心な登場人物の心の動きに一貫性がないのが非常に残念です。
「朝廷は…つまり法王は、畏れ多くも平家にそれを許された。
それだけでも平家にとっては海のごとく深いご慈悲なのです。
重盛くんは生真面目頭の持ち主なので、そこを心得ています。
それ以上に上ろうなどと露ほども思っていなかった。」
は、当時の思想としては、常識だったと思いますが、
鳥羽院を見舞いに来た崇徳院に刀を突き付けるシーンを書いた脚本家さんに、こういう思想があったとは思えません。
窪田さんの演技や、1話単独で観た場合は凄く面白かったので、「忠」や「恩」を強調した点は、非常に残念でした。
くうさんに反論する意志はまったくありません。御理解下さい。
これまでに、重盛が言う海よりも深き法皇の慈悲って受けましたっけ?
と、のたまいました。
(「宣う」というのは、元来、「言う」の尊敬語、「おっしゃる」ですが、からかい半分のふざけた言い方として、「いかにも、もっともらしく言う」「大きな態度で言う」などの意味の現代的な用法です)
それに対して、くうさんから、
「単なる私なりの解釈です。
気が向いて暇だったら読んでみてください(_ _)
(いえ、別に英さんに反論しようと思って追記したわけではなくて、元々後で追記しようと思っていた内容なのですよ^^;」
というコメントをいただきました。
それに対し、
追記を読みました。なるほど、時代考証的にはそうだと思います。ただ、このドラマ的には疑問を感じます。
ここら辺り、みなさんの記事も読み、客観的視点も取り入れ、もう少し考えたいと思います。
多忙でこの『平清盛』の記事もまだ3件しかトラックバックを飛ばせていない状況で、少し遅くなると思います。
「少し遅くなる」と言ってひと月経ってしまいました。どこかの国の総理みたいです(笑)
で、ここからが本文です。と言っても、コメントレスの繰り返しみたいなもので、たいそうなことは書けません。
通常、トラックバックをすることもあって、その際、他の方の記事を興味深く拝見しているのですが、この時は、特に注意して読みました。他の方の考えを知ってから、再度考えようと思ったわけです。
私は、くうさんのところを含め、いくつかのお気に入りのドラマブログがあります。
平清盛に関しては、『平成エンタメ研究所』が深くて鋭いなあと、1目も2目も置いています。そして、やはり鋭くて面白いなあと思うのが、~ Literacy Bar ~です。コメントの数も凄いです。(ご存知かもしれませんね。一応、第43話もリンクを張らせて頂きます)
で、やはり、コメントレスで申しましたように、「時代考証的にはそうだと思います。ただ、このドラマ的には疑問を感じる」という考えは基本的に同じです。あ、くうさんに反論するという意志ではありません。
他のブロガーさんやコメンテイターさんも書かれていましたが、史実的には、後白河院の近臣である重盛は、院から恩恵を受けていた、あるいは、まじめな性格の重盛が、通常の主従関係を海よりも深い恩と受け取っていたように思います。
しかし、これはドラマなので、やはり、重盛が海よりも深い恩を受けていた、或いは、感じていたということを描いていなければならないと思います。
脚本家さんは、伏線の回収は非常に優れていると思いますが、ドラマとしての肝心な登場人物の心の動きに一貫性がないのが非常に残念です。
「朝廷は…つまり法王は、畏れ多くも平家にそれを許された。
それだけでも平家にとっては海のごとく深いご慈悲なのです。
重盛くんは生真面目頭の持ち主なので、そこを心得ています。
それ以上に上ろうなどと露ほども思っていなかった。」
は、当時の思想としては、常識だったと思いますが、
鳥羽院を見舞いに来た崇徳院に刀を突き付けるシーンを書いた脚本家さんに、こういう思想があったとは思えません。
窪田さんの演技や、1話単独で観た場合は凄く面白かったので、「忠」や「恩」を強調した点は、非常に残念でした。
くうさんに反論する意志はまったくありません。御理解下さい。