英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

新型コロナウイルス その93「聖火リレー ……“心を一つに”と言うのなら」

2021-04-03 11:05:44 | 時事
コロナ禍の現状で、聖火リレーの意義にずっと疑問を持っていた。
この記事を書くにあたって、片方の視点から延べてはいけないと思い、「聖火リレーの意義」というワードで検索したところ、NHKのWEB特集『聖火リレーは必要か?コロナ時代の価値とは』というページがヒットした。

その記事の中で、(ただし、この記事は2020年8月4日の記事なので、引用させていただいた言葉に変化があるかもしれません)
藻谷浩介さん(日本総合研究所主席研究員)
「小さな街に住む一般の人がオリンピックに関われるのは、知り合いが聖火リレーを走るのを見に行くことだ。全国の津々浦々を何日もかけて行う聖火リレーは最もオリンピック精神を残したイベントと言える。ふだんは同じ県内でも注目されない地域、離島、山奥も日本が世界とつながっていると感じることができる」
「老若男女、ありとあらゆる立場の人が走る聖火リレーは、すべての地域活性化の集大成のようなものだ。今は人間の本能である『集まりたい』という気持ちがウイルスで阻まれている。凍結された活動を解凍し『これから楽しくやっていくぞ』という思いを込めて聖火リレーができるようになれば、小さくても地味でも大きな意味がある」

宮城勇さん(1964年、沖縄から聖火リレーが始まった前回の東京オリンピックで第1走者を務めた)
「沖縄のすべての住民が日の丸を振って歓迎していたように思う。凄惨(せいさん)な地上戦があった沖縄では、聖火リレーが平和と希望の尊さを伝え、みんなに勇気を与えてくれた。本土復帰へと未来を照らす道しるべだった」
「トーチの先から白煙が上がりオレンジ色の小さな火柱が吹き出す。それはスタジアムに行かなくてもオリンピックを感じることができる瞬間だ。みんなを1つにして力と勇気を与えてくれる。聖火の炎はそんな力を持っている」
「万が一、オリンピックが開催できなくなっても、地域の勇気や力になる聖火リレーだけは形を変えてでもやったほうがいい。私はそれだけの意味があると思う」

 上記の言葉を全否定するつもりはないが、私は聖火リレーにそこまでの意義を感じない(申し訳ありません)
 五輪そのものについては……
 私はスポーツ観戦が大好きなので、選手の凄いプレーを見るたびに、《凄いなあ、これだけのプレーをするために、どれだけの努力を積み重ねてきたんだろう》と思う。
 そんな彼ら、一人一人の思いは様々かもしれないが、多くの選手は《五輪に出たい》《金メダルを獲る》ということを人生の目標にして、膨大な練習をしてきたと思われる。選手だけではなく、コーチや家族、各競技の協会の人々にとっても、五輪にかけてきたモノは多大であるだろう。
 また、組織委員会など運営の人々の準備も大変なことだっただろう。
 
 と、ここで、私見をひとこと
 実は、ここ20年ぐらいかなあ、私は五輪に対しては否定的な思いが強くなってきている。
 五輪の価値が高くなりすぎて、《五輪がすべて》という風潮が非常に強い。メダリストになればヒーロー扱い。あちらこちらで尊重される。もちろん、五輪出場やメダル獲得は称賛されるものであろう。ただし、最近は偏重、極端である。
 選手個人の扱いだけではなく、競技そのものが五輪によって歪められてしまったこともある(詳しくは、ここここ
 それに、参加人数が限られているので、純粋な世界一を競う場ではなくなっている卓球を例にとると、シングルスの代表は各国2人のみ。日本の代表争いもし烈だったが、中国はもっと大変。女子シングルスだとトップ8の内、中国選手が6人。中国選手は世界レベルの大会の代表になるのも大変なので、実力のみランクをつけると、さらに、中国選手が上位に並ぶだろう。なので、各国2人の代表のみの五輪は大会のレベルとしては希薄になっている。女子ダブルス、男子ダブルスの種目がないのも変だ。
 世界選手権の価値を高めるべきである。現状の五輪なら、五輪は要らない。

 話が逸れてしまった。聖火リレーに話を戻そう。
 聖火リレーの意義を全否定はしない。いろいろな意義があることは認める。
 しかし、新型コロナウイルスの感染が収まっていない現状。聖火リレーを行うことは、感染の抑制においてはマイナスでしかない。
 感染対策などをどんなに十分に行っても、聖火リレーを行わないことに比べると、感染拡大させる要素を増やしているのは間違いない。
 聖火ランナー、それに帯同する補助ランナー、運営の実行委員、大会関係者、行政関係者、報道陣などの人の移動(「移動だけに関しては、感染リスクは低い」というが、それでも、ゼロではない。低い危険性の積み重ねで、感染リスクは低くなくなる)。
 さらに、たくさんの観戦者。これまでの駅伝やマラソンでの観戦者の賑わいから、ある程度の感染者が予見できたが、実際は、予見以上の人出だった。


 心を一つにして応援するという気持ちを込めて、聖火リレーを取りやめるべきである。
コメント
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