《嫌い》という感情はあまりいい性質ではない。《嫌い》と思うことも良くないことなのだろう。
けれども、芸能人、スポーツ選手、棋士などについて、《嫌い》と思うことは許容されると思う。
ただし、SNSなどで「嫌い」と書くことは、「良くない」範疇にはいるだろう。
…「と思っているなら書くな」と言われたら、「その通りです」と言うしかないです。
私は永瀬王座が嫌いである。
これから書き上げることについて、永瀬王座に非はない(ルール上において非はない。世間常識においてもその範疇内で支持する人も多いと思う)
①タイトル戦で和服を着用しない
タイトル戦に於いて、和服を着用しなければならないというルールはない。加藤一二三九段や島朗九段がスーツで臨んだ例もある。(和服の仕立てが間に合わなくて、初戦はスーツという例もあった)
和服は慣れていないと、着脱やトイレなど大変かもしれない(長時間着座する場合は、和服の方が楽という説もあるが)
そういう実用的な面はともかく、多額の対局料を伴い、対局場も上級な場を用意され、世間も注目するという点を考えるなら、対局者も観られていることを意識すべきである。
②A級順位戦、永瀬王座-佐藤天彦九段戦。マスク不着用による佐藤九段の反則負け
けっこう長時間、佐藤天九段がマスク不着用だったので、マスク着用についての臨時対局規定による“反則負け”は妥当だと考える。
しかし、人によって考え方は異なると思うが、まず、永瀬王座が「マスクをつけてください」と言うのが普通の対応だと考える。(何を以って“普通”というのか疑問の余地はある。“マナー”と言うのも少しずれていると思うし、いい表現はないかなと3分ぐらい考えた)
公式な対局なのでルールに従うのが第一ではあるが、マスク着用がどのくらい感染予防に効果があるかはさて置き、マスクの規定の目的が、“コロナ感染の予防”にあるなら、まず、「マスクをつけてほしい」と言うのが第一であると考える。対局者だけではなく、記録係もいることだし。
③竜王戦1組トーナメント、羽生九段-永瀬王座戦。敗れた永瀬王座が、対局後、感想戦を行わなかった
敗局内容に自分の不甲斐なさに怒りを感じ、感想戦を行わないというのは、心情としては理解できる。そういうこともあってもいいと思う。
ただし、自分の飲んだペットボトルなどは持ち帰った方が良いだろう(「盤駒の管理や対局場の後始末は、記録係の仕事なので構わない」という意見もあるが、やはり、自分の出したゴミ(今は簡単に“ゴミ”と考えてはいけない。資源ごみとして再利用)は、自分が片づけるべきであろう。
永瀬王座の研究など将棋への真っすぐな姿勢は感服している。
“勝利至上主義”に受け取られる対局姿勢(臨戦態勢)は尊敬している。
永瀬王座が“勝利至上主義”なのかは本人に聞かないと分からない(“将棋至上主義”であるとは言えそうだ)。
”勝利至上主義”の是非については賛否が分かれるところだ。拙ブログでも、「甲子園 ~勝利至上主義~」、「Ⅰ.“ルール内”ということ」、「Ⅱ.反則周辺のテクニック」、「Ⅲ.将棋における反則や番外戦術など」、「Ⅳ.阿久津八段の戦術の是非」、「Ⅴ.阿久津八段の戦術の是非 その2」、語り合わせていただきました。
微妙なケース(設定)の違いによっても判断が分かれるところで、本当に難しいテーマであるが、私の基本的思いは、《“ルールに抵触しなければ、勝利のためにする行為はOK”》というのは嫌い》である。
少し話が逸れてしまったが、永瀬王座は棋界1、2を争う研究家であるらしい。事前準備が凄くて、《どこまで研究してあるんだ?》とよく感じる。まあ、最近はタイトル戦やトップ棋士同士の対局は、ほとんどそう感じるが。
羽生九段も相当深いところまで研究しているように感じる。
さて、この一局も序盤は研究通りに駒を動かすだけという状況。(勝負のポイントについては「その1」をご参照ください)
62手目までは羽生九段の通計の消費時間が3分、永瀬王座に至っては1分(60秒未満の考慮はすべて切り捨てて0分でカウントするので、ノータイム指しではない)。
73手目でも羽生九段の通計時間が1時間29分に対し、永瀬王座は未だ1分!
第1図直前の△4三銀(3二から上がった)~△4二玉~△3二玉の陣形整備は、短時間では指せない。羽生九段の73手目▲6五歩に対して初めて手が止まり、42分の考慮で△8七歩と着手。羽生九段の▲6五歩が想定外だったのか、課題が残っている手だったのか……
この将棋、羽生九段も永瀬王座に同調するかのように62手目まで早指しだったのが意外(最近はそうなのかも?)だった。
それはともかく、第2図まで考慮時間1分というのは、対局相手としては嫌なのではないだろうか?
《相手の研究の網の中》という感触も嫌だろうけれど、何だか、永瀬王座と将棋を指しているというより、永瀬王座の研究と指している感じがする(まあ、現代の対局は、多かれ少なかれ、研究の勝負であるが)
“永瀬王座の研究と指す”と書いたが、もっと言えば、“AI研究と指している”と言っても良いかもしれない。
私としては、研究範囲でも第1図までなら10~20分、第2図辺りまでなら35~45分ぐらいは考えたい(王位リーグの持ち時間は4時間)。
途中の景色も味わいたいし、実戦での景色の積み重ねで将棋の厚みも増すと考える。
私は対局の当事者でないので、《途中の景色》とか《研究範囲かも》とか考えても関係ないのだが、《途中の景色など不要》というような永瀬王座の指し方に、イラっとしたのである。
けれども、芸能人、スポーツ選手、棋士などについて、《嫌い》と思うことは許容されると思う。
ただし、SNSなどで「嫌い」と書くことは、「良くない」範疇にはいるだろう。
…「と思っているなら書くな」と言われたら、「その通りです」と言うしかないです。
私は永瀬王座が嫌いである。
これから書き上げることについて、永瀬王座に非はない(ルール上において非はない。世間常識においてもその範疇内で支持する人も多いと思う)
①タイトル戦で和服を着用しない
タイトル戦に於いて、和服を着用しなければならないというルールはない。加藤一二三九段や島朗九段がスーツで臨んだ例もある。(和服の仕立てが間に合わなくて、初戦はスーツという例もあった)
和服は慣れていないと、着脱やトイレなど大変かもしれない(長時間着座する場合は、和服の方が楽という説もあるが)
そういう実用的な面はともかく、多額の対局料を伴い、対局場も上級な場を用意され、世間も注目するという点を考えるなら、対局者も観られていることを意識すべきである。
②A級順位戦、永瀬王座-佐藤天彦九段戦。マスク不着用による佐藤九段の反則負け
けっこう長時間、佐藤天九段がマスク不着用だったので、マスク着用についての臨時対局規定による“反則負け”は妥当だと考える。
しかし、人によって考え方は異なると思うが、まず、永瀬王座が「マスクをつけてください」と言うのが普通の対応だと考える。(何を以って“普通”というのか疑問の余地はある。“マナー”と言うのも少しずれていると思うし、いい表現はないかなと3分ぐらい考えた)
公式な対局なのでルールに従うのが第一ではあるが、マスク着用がどのくらい感染予防に効果があるかはさて置き、マスクの規定の目的が、“コロナ感染の予防”にあるなら、まず、「マスクをつけてほしい」と言うのが第一であると考える。対局者だけではなく、記録係もいることだし。
③竜王戦1組トーナメント、羽生九段-永瀬王座戦。敗れた永瀬王座が、対局後、感想戦を行わなかった
敗局内容に自分の不甲斐なさに怒りを感じ、感想戦を行わないというのは、心情としては理解できる。そういうこともあってもいいと思う。
ただし、自分の飲んだペットボトルなどは持ち帰った方が良いだろう(「盤駒の管理や対局場の後始末は、記録係の仕事なので構わない」という意見もあるが、やはり、自分の出したゴミ(今は簡単に“ゴミ”と考えてはいけない。資源ごみとして再利用)は、自分が片づけるべきであろう。
永瀬王座の研究など将棋への真っすぐな姿勢は感服している。
“勝利至上主義”に受け取られる対局姿勢(臨戦態勢)は尊敬している。
永瀬王座が“勝利至上主義”なのかは本人に聞かないと分からない(“将棋至上主義”であるとは言えそうだ)。
”勝利至上主義”の是非については賛否が分かれるところだ。拙ブログでも、「甲子園 ~勝利至上主義~」、「Ⅰ.“ルール内”ということ」、「Ⅱ.反則周辺のテクニック」、「Ⅲ.将棋における反則や番外戦術など」、「Ⅳ.阿久津八段の戦術の是非」、「Ⅴ.阿久津八段の戦術の是非 その2」、語り合わせていただきました。
微妙なケース(設定)の違いによっても判断が分かれるところで、本当に難しいテーマであるが、私の基本的思いは、《“ルールに抵触しなければ、勝利のためにする行為はOK”》というのは嫌い》である。
少し話が逸れてしまったが、永瀬王座は棋界1、2を争う研究家であるらしい。事前準備が凄くて、《どこまで研究してあるんだ?》とよく感じる。まあ、最近はタイトル戦やトップ棋士同士の対局は、ほとんどそう感じるが。
羽生九段も相当深いところまで研究しているように感じる。
さて、この一局も序盤は研究通りに駒を動かすだけという状況。(勝負のポイントについては「その1」をご参照ください)
62手目までは羽生九段の通計の消費時間が3分、永瀬王座に至っては1分(60秒未満の考慮はすべて切り捨てて0分でカウントするので、ノータイム指しではない)。
73手目でも羽生九段の通計時間が1時間29分に対し、永瀬王座は未だ1分!
第1図直前の△4三銀(3二から上がった)~△4二玉~△3二玉の陣形整備は、短時間では指せない。羽生九段の73手目▲6五歩に対して初めて手が止まり、42分の考慮で△8七歩と着手。羽生九段の▲6五歩が想定外だったのか、課題が残っている手だったのか……
この将棋、羽生九段も永瀬王座に同調するかのように62手目まで早指しだったのが意外(最近はそうなのかも?)だった。
それはともかく、第2図まで考慮時間1分というのは、対局相手としては嫌なのではないだろうか?
《相手の研究の網の中》という感触も嫌だろうけれど、何だか、永瀬王座と将棋を指しているというより、永瀬王座の研究と指している感じがする(まあ、現代の対局は、多かれ少なかれ、研究の勝負であるが)
“永瀬王座の研究と指す”と書いたが、もっと言えば、“AI研究と指している”と言っても良いかもしれない。
私としては、研究範囲でも第1図までなら10~20分、第2図辺りまでなら35~45分ぐらいは考えたい(王位リーグの持ち時間は4時間)。
途中の景色も味わいたいし、実戦での景色の積み重ねで将棋の厚みも増すと考える。
私は対局の当事者でないので、《途中の景色》とか《研究範囲かも》とか考えても関係ないのだが、《途中の景色など不要》というような永瀬王座の指し方に、イラっとしたのである。
永瀬先生の事は、わたしは特に
なんとも思わないのですが、
3番の感想戦の話は、さすがにちょっと
引いたねぇ~~~~。
観戦記者もいるのに感想戦をしないなんて、
スポンサーさまに対してどーなの??
と正直思ってしまいましたから。
くやしいのはわかります・・・・けど・・・・。
う~ん。
将来の将棋界を思うと、少し
憂いてしまうわたしなのでした。
ではではっ。
PS・こうしてわたしが書いている時は
まだ良いのですが、いつの間にか
わたし自身が無関心になってしまうようなら、
将棋界も・・・・。
>永瀬先生の事は、わたしは特になんとも思わないのですが
それは残念(笑)。
いえ、彼に対するそういう感想もありです。
>観戦記者もいるのに感想戦をしないなんて、スポンサーさまに対してどーなの??
私はこの件については、「何とも思っていません」(笑)
まあ、《感想戦をする気もしない》という感想だと考えます。
観戦記者が感想を必要だと思ったら、後日、尋ねればいいだけですし、対局相手(羽生九段)の感想だけでも、羽生九段の感想がなくても、書くのが観戦記者の仕事ですので。
私は、良くも悪くも、永瀬王座は将棋しか知らないと感じています。
永瀬王座とは話が離れますが、facebookの話題で、相手が対局時計を押し忘れている時、相手の時計のボタンを押すのは、助言だとか反則だとかいう意見が多かったです。
私としては、相手の対局時計を押すのはスポーツマンシップだと思います。それを反則だという意見が大勢を占めるようになったら、悲しいです。
興味深い話題で、ついコメントしたくなってしまいました。長文・駄文をご容赦ください。
>けれども、芸能人、スポーツ選手、棋士などについて、《嫌い》と思うことは許容されると思う。
ただし、SNSなどで「嫌い」と書くことは、「良くない」範疇にはいるだろう。
世間に顔を晒している方々に対する「好き」も「嫌い」も意見なので、私は書いてもよいと思うのですが、「嫌い」と書くと確かに書かれた方は不快に思うだろうし、書き方によっては侮辱や名誉棄損になってしまうかもしれないので、やはり書かない方がよいのかも。でも本音としては書きたい。
嫌いな芸能人はたくさんいます。スポーツ選手と棋士にはそんなにいません。しかし、すごく嫌いな棋士が1人います。個人的な付き合いはないので、その人の「人となり」は分かりませんから、あくまでこちらの一方的な印象+思い込みですし、実は人間性が理由ではありません。でも、顔も見たくないし、声も聴きたくありません。嫌いになった主な理由を書くと誰であるかが分かってしまうので書けません。例えば、ドラマのレビュー・サイトで批判的なレビューを書き込むと、「嫌なら見るな」とすぐに批判されますが、ドラマは本当に嫌なら視聴をやめます。多くはそこまでではないから見続けて批評します。批評も立派な感想だと思います。上に書いた某棋士のことは本当に嫌いなので目にしたくないのですが、見たい対局の解説者で出てきたりすると対局視聴を優先せざるを得ず、我慢して視聴しますが、とても辛いです。
前置きが長くなりました。
私は永瀬王座が「嫌い」ではありません。どちらかと言うと「好き」寄りです(でした)。勝ち負けに徹するのはよいことです。概ね、ルールに反しなくて、常識的な範囲であれば何をしてもよい、と思います。でも、昔の"盤外戦の類"は好きではありません。さて、私はひねくれ者で何事も逆らうのが好きなので、「タイトル戦は和服で」などと言われたら、「ルールでもないのに強要するな」と思います。でも和服を着ることは否定しません。晴れの舞台で和服を着たい、と思う気持ちも理解します。だから、タイトル戦では和服を着させたいというなら規約にしたらよいと思います。そのような棋戦もあったかと。
一方、感想戦とゴミ放置については異なります。私はひねくれてはいますが礼儀やマナーを重んじるので、負けて悔しいからといって感想戦をしないのは対局相手に失礼だと思います。短時間でもいいから感想戦をやるべきです。また、自分の出したゴミは自分で片づけるのがマナーだと思います。感想戦についてはまだギリギリ許せますが、ゴミ放置は正直がっかりしました。少し「嫌い」に寄りました。
佐藤天彦戦のマスクの件は以前コメントしたので省略します。
消費時間に関しては、正直分かりません。指せるところは時間をかけずに指して時間を残しておき、研究から外れて考慮が必要になったら、時間をかけて考える、というのが合理的な考え方だと思います。
>途中の景色も味わいたいし、実戦での景色の積み重ねで将棋の厚みも増すと考える。
これは永瀬王座の研究手順段階での早指しに対するご意見ですよね。正直、よく分かりません。敢えて書けば、研究手順における景色は研究時に見ているので、そこまでの景色は見なくてよくて、景色を味わうとしたら未知の段階に入ってからでよいのでは。永瀬王座とて、研究手順を外れた段階からは考慮に時間をかけますよね。
いつもながら、私の拙文を査読、そして、私の考えを汲み取っていただきながらも、ご自身の意見も述べてくださる……本当に有り難いです。ありがとうございます。
前置きの「~~やはり書かない方がよいのかも。でも本音としては書きたい」などは、私の心を読んでいるかのようです。
嫌いな棋士は気になるところです(笑)
私は、嫌いな範疇に入る棋士は永瀬王座以外に7人います。全部で8人ですが、永瀬王座は7番目ぐらいです。
>「嫌なら見るな」とすぐに批判されます
私は二度ほどコメントされたことがあります。
以前、漏らしたことがありますが「死ねば」と書かれたコメント、たった一言ですが、一番グサッと(笑)
まあ、それはともかく、やはり、批評・批判は書いてしまいます。世間でも「地むどんどん反省会」が盛況だったようで、やはり、批判を述べたい人は少なくないようです。
>タイトル戦では和服を着させたいというなら規約にしたらよいと思います。
規約にするのはどうなのかと思いましたが、主催者(スポンサー、連盟)にしてみれば、棋戦や将棋のイメージを大きく関係するので、要望的な規約を設けるべきかもしれません。
ドレスコードも国際間ではハッキリ明記したり、式典やレストランなどでもかなり厳格なことが多いです。
まあ、マナー的なことや細かいことをルール化するのはキリがないですし、窮屈だとは思います。
こてくんへのレスでも書きましたが、facebookの話題で、相手が対局時計を押し忘れている時、相手の時計のボタンを押すのは、助言だとか反則だとかいう意見が多かったです。
私としては、相手の対局時計を押すのはスポーツマンシップだと思います。それを反則だという意見が大勢を占めるようになったら、悲しいです。
感想戦については、「あとで取材するのとその場で聞く感想戦では異なる」という意見も尤もですが、感想戦で本音を語らない棋士も多い(丸山九段など)ので、あまり感想戦を重要視するのどうかなと思います。
でも、対局時にどう感じていたかは、話しぶりや態度で読み取れそうなので、感想戦は記者としては大きな要素かもしれません。敗局時と勝局時で態度が全く違う高橋九段が思い浮かびます。(←嫌いな棋士の一人。それだけが嫌いな要素ではありませんが)
>研究から外れて考慮が必要になったら、時間をかけて考える、というのが合理的な考え方だと思います。
>研究手順における景色は研究時に見ているので、そこまでの景色は見なくてよくて、景色を味わうとしたら未知の段階に入ってからでよい
おっしゃる通りだと思います。論理的反論はできません。
対局時の精神は張りつめていて、思考する集中力も研究時とは違うと思うので、研究時には気がつかない景色(変化)も見えるのではと思います。
一局の将棋では時間と思考の浪費になることが多く、マイナス要素が大きいです。ですが、そういったことが、将棋の厚みを増していくような気がします。
まあ、《研究範囲は読みを省略しノータイムで指すというのは、将棋を指している気がしない》という個人的な嗜好の戯言だとお考え下さい。
対局時計のことを書いてみますね。
>相手が対局時計を押し忘れている時、相手の時計のボタンを押すのは・・・・。
わたしは押しませんねぇ~~~~(笑)
ただ、
「今からひとりごとをいうのじゃが、
『対局ボタン』を押してないように
見受けられるのじゃが。
おっと、これは『ひとりごと』じゃ。
助言ではないぞい」
と、言うと思いますね。
(ボタンを押す、までが『着手行為』なのです。
と、言うわけで
相手のボタンを押すのはいけないことなのです。)
ではではっ。
こてくんのブログで、記事タイトルが「英さんへ」だったので、びっくりしました。
確かに、時計のボタンを押すまでが着手行為だとすると、相手のボタンを押すのは、やり過ぎですね。
助言にしろ、独り言(笑)にしろ、注意にしろ、許容してほしいです。将棋道というモノがあってほしいです。
個人的、あくまで個人的ですが、駒から指が離れた時が、着手完了だと考えています。
時計のボタンを押す行為は、着手に付随する行為ですが、着手とは一線を画するものだと思います。(で、ないと、ボタンを押さなければ、指し手を変更できることになります)
対局時計のボタンを押す行為は、持ち時間を減らさない作業で、着手した時にその権利が生じるのではないかと。