かきくもり あめふることも まだしらぬ かさとりやまに まとはるるかな
かきくもり 雨降ることも まだ知らぬ 笠取山に まどはるるかな
笠取山にいて空がかきくもり、雨に降られたという経験などないけれど、まるでそれを経験したかのように、恋に落ちて迷っている私であるよ。
「笠取山」は京都府宇治市にある山。その名前から、笠を取るので雨に濡れないという発想がベースにあっての詠歌ですが、なかなかに難解です。かなり言葉を足して解釈してみました。
かきくもり あめふることも まだしらぬ かさとりやまに まとはるるかな
かきくもり 雨降ることも まだ知らぬ 笠取山に まどはるるかな
笠取山にいて空がかきくもり、雨に降られたという経験などないけれど、まるでそれを経験したかのように、恋に落ちて迷っている私であるよ。
「笠取山」は京都府宇治市にある山。その名前から、笠を取るので雨に濡れないという発想がベースにあっての詠歌ですが、なかなかに難解です。かなり言葉を足して解釈してみました。
あひみずは いけらじとのみ おもふみの さすがにをしく ひとしれぬかな
あひ見ずは 生けらじとのみ 思ふ身の さすがに惜しく 人しれぬかな
逢わずには生きられないとばかり思う身であるが、やはり死ぬこともできない、そんな人知れない恋に悩むことであるよ。
逢えないならいっそ命を断ってしまいたいと思うほどの恋心。万葉集に類歌が見られ、あるいはそれを踏まえてのものなのかもしれません。
いくばくも いけらじいのちを こひつつぞ われはいきづく ひとにしらえず
いくばくも 生けらじ命を 恋ひつつぞ われは息づく 人に知らえず
(万葉集 巻第十二 第2905番)
ゆめをみて かひなきものの わびしきは さむるうつつの こひにざりける
夢を見て かひなきものの わびしきは さむるうつつの 恋にざりける
夢で逢っても甲斐がないとわかってはいても、わびしいのは夢が覚めて恋の現実に戻ることであるよ。
夢での心ときめく逢瀬に比べて現実は。。。という切ない歌ですね。
この歌は新千載和歌集(巻第十二「恋二」 第1153番)に入集しており、そちらでは第二句が「かひなきことの」とされています。
ひとしれず あだしこころの ありければ なみぢとのみや やまでなくらむ
人しれず あだし心の ありければ 波路とのみや やまで泣くらむ
あの人には私に見せない不実な心があったことがわかり、私の涙は波路にでもなったかのように、止まることがない。
「波路」とは船の通る道筋。止まらない涙が頬に残す跡を波路に喩えての詠歌ですが、他で見たことのない喩えですね。
ひとしれず いはぬおもひの わびしきは ただになみだの ぬらすなりけり
人しれず いはぬ思ひの わびしきは ただに涙の ぬらすなりけり
人知れず思い、口には出さない恋のわびしさに、ただただ涙が頰を濡らすのであったよ。
初句の「ひとしれず」は貫之が好んだフレーズのようで、この 632 以外にも貫之集には 17 に始まって152、503、539、633、657、さらに「ひとしれぬ」が 542 にあるということで、多くの歌がこの初句から詠まれています。勅撰和歌集にも、17 が拾遺和歌集に、542 が古今和歌集(0606)に採られており、また新千載和歌集には 539 と非常に良く似た歌(一方が他方の改作であるのかもしれません)が採録されています。