ひとめてふ ことはいかなる みちなれや いづちもゆかで はるけかるらむ
人めてふ ことはいかなる 道なれや いづちも行かで はるけかるらむ
人目というものはどのような道なのか。どこにも行かないのに愛しい人との間を遠く隔てるとは。
人目があるために逢瀬がままならないことのもどかしさ。そんな「人目」というものを、二人を遠く隔てる道に喩えての詠歌です。
ひとめてふ ことはいかなる みちなれや いづちもゆかで はるけかるらむ
人めてふ ことはいかなる 道なれや いづちも行かで はるけかるらむ
人目というものはどのような道なのか。どこにも行かないのに愛しい人との間を遠く隔てるとは。
人目があるために逢瀬がままならないことのもどかしさ。そんな「人目」というものを、二人を遠く隔てる道に喩えての詠歌です。
ゆめぢにも つゆぞおくらし よもすがら かよへるそでの ひちてかわかぬ
夢路にも 露ぞおくらし 夜もすがら 通へる袖の ひちてかわかぬ
夢の通い路にも露が置くらしい。夢で夜通し愛しい人のもとに通った私の衣の袖が濡れて乾かない。
初句「夢路にも」は、「起きている間はもちろん、夢の中でさえも」ということですね。
この歌は、古今和歌集(巻第十二「恋歌二」 第574番)に入集しており、そちらでは第二句が「露やおくらむ」とされています。
すみのえの まつにはあらねど よとともに こころをきみに よせわたるかな
すみのえの 松にはあらねど 世とともに 心を君に 寄せわたるかな
住吉の松ではないけれども、いつの世にもかわりなく、あなたに心を寄せ続けています。
「すみのえ(=住吉)」が松の名所であることから、同音の「待つ」にかかる枕詞で、ここでも「松」には「待つ」も含意されているのでしょう。「住吉の松のようにいつまでも」「住吉の松ではないが待っている」の両義ということですね。
この歌は後撰和歌集(巻第十「恋二」 第638番)に入集しており、そこでは第二句が「波にはあらねど」とされています。詞書には「こころざしありける女につかはしける」とあります。
はつかりの なきこそわたれ よのなかの ひとのこころの あきしうければ
初雁の なきこそわたれ 世の中の 人の心の あきし憂ければ
初雁が秋になると鳴きながら空を渡って行くように、私もずっと泣き続けている。愛しい人の心が私に飽きてしまったのがつらいので。
第二句「なき」は「鳴き」と「泣き」、第五句「あき」は「秋」と「飽き」の掛詞ですね。第三句「世の中」は、ここでは男女の仲の意でしょう。
この歌は、古今和歌集(巻第十五「恋歌五」 第804番)に入集しています。
きみにより ぬれてぞわたる からころも そではなみだの つまにざりける
君により ぬれてぞわたる 唐衣 袖は涙の つまにざりける
あなたのためにずっと濡れ続けている衣の袖は、涙のつれあいのようなものであるよ。
第五句「つま」が「端」と「褄」の掛詞になっています。