からころも たもとをあらふ なみだこそ いまはとしぼる かひなかりけれ
唐衣 袂をあらふ 涙こそ いまはとしぼる かひなかりけれ
袂を洗うように流れる涙は、もう泣くまいと袂を絞るかいもなくまた溢れてくることよ。
「唐衣」はここでは「袂」にかかる枕詞。写本によっては、第四句は「いまはとしふる」とされています。
からころも たもとをあらふ なみだこそ いまはとしぼる かひなかりけれ
唐衣 袂をあらふ 涙こそ いまはとしぼる かひなかりけれ
袂を洗うように流れる涙は、もう泣くまいと袂を絞るかいもなくまた溢れてくることよ。
「唐衣」はここでは「袂」にかかる枕詞。写本によっては、第四句は「いまはとしふる」とされています。
うつつにも ゆめにもあはで かなしきは うつつもゆめも あかぬなりけり
うつつにも 夢にもあはで 悲しきは うつつも夢も あかぬなりけり
現実にも夢にもあの人に逢うことができず、その悲しい気持ちゆえ、現実にも夢にも満ち足りることはないのであるよ。
現実にはおろか、夢の中でさえも愛しい人に逢えないもどかしさを嘆いての詠歌ですね。
ねられぬを しひてねてみる はるのよの ゆめのかぎりは こよひなりけり
寝られぬを しひて寝て見る 春の夜の 夢のかぎりは 今宵なりけり
眠れないのを強いて寝て見る春の夜の夢も、今宵限りのものなのであるよ。
前段がほぼ同一のよみ人知らずの歌が後撰和歌集(巻第二「春中」 第76番)にあり、本歌はそれを踏まえてのものなのかもしれませんね。
ねられぬを しひてわがぬる はるのよの ゆめをうつつに なすよしもかな
寝られぬを しひてわが寝る 春の夜の 夢をうつつに なすよしもがな
ちるときは うしといへども わすれつつ はなにこころの なほとまるかな
散るときは 憂しといへども 忘れつつ 花に心の なほとまるかな
散るときには憂うるけれど、それを忘れて、やはり花には心がとまるものであるなあ。
散ってしまうときには寂しい思いにもなるけれど、それを忘れてやはり美しい花の開花を待ってしまう気持ち。桜が咲き、散る季節などを思うと、強い共感を覚えますね。
この歌は、続千載和歌集(巻第二「春下」 第141番)に入集しており、そちらでは第二句が「うしとみれども」とされています。
みやまには ときもさだめぬ ももちどり めづらしげなく なきわたるかな
深山には 時もさだめぬ 百千鳥 めづらしげなく なきわたるかな
奥深い山には、いつと時を定めず百千鳥が珍しくもなく鳴き続けている。それと同じく、私も恋の苦しさにいつも泣き続けているよ。
一見すると恋歌には見えませんが、第五句「なき」に「鳴き」と「泣き」を掛け、恋の悩みに涙する自らを表現しています。