みづのあわの きえでうきみと いひながら ながれてなほも たのまるるかな
水の泡の 消えでうき身と いひながら 流れてなほも たのまるるかな
紀友則
はかないものであるはずの水の泡が消えてしまわずに浮かんでいる、それと同じようにはかなく辛い身の私ですが、世の流れに身を任せながらも、やはりあの人の気持ちをあてにしてしまうのです。
「うき」は「浮き」と「憂き」の掛詞。愛しい人が離れて行ってしまうわが身のはかなさ辛さを、浮かんでは消えてしまう泡に準えて詠んでいますね。水の泡のはかなさと言えば思い出されるのは方丈記冒頭の一節。そらんじている人も多いでしょうか。
ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。