漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 1001

2022-07-27 06:09:34 | 古今和歌集

あふことの  まれなるいろに  おもひそめ  わがみはつねに 
あまくもの  はるるときなく  ふじのねの  もえつつとばに 
おもへども  あふことかたし  なにしかも  ひとをうらみむ 
わたつみの  おきをふかめて  おもひてし  おもひはいまは 
いたづらに  なりぬべらなり  ゆくみずの  たゆるときなく 
かくなわに  おもひみだれて  ふるゆきの  けなばけぬべく 
おもへども  えぶのみなれば  なほやまず  おもひはふかし 
あしひきの  やましたみづの  こがくれて  たぎつこころを 
たれにかも  あひかたらはむ  いろにいでば ひとしりぬべみ 
すみぞめの  ゆふべになれば  ひとりゐて  あはれあはれと 
なげきあまり せむすべなみに  にはにいでて たちやすらへば 
しろたへの  ころものそでに  おくつゆの  けなばけぬべく 
おもへども  なほなげかれぬ  はるがすみ  よそにもひとに
あはむとおもへば

 

あふことの まれなる色に 思ひそめ わが身はつねに
天雲の 晴るる時なく  富士の嶺の 燃えつつとばに
思へども あふことかたし 何しかも 人をうらみむ
わたつみの 沖を深めて 思ひてし 思ひは今は
いたづらに なりぬべらなり 行く水の 絶ゆる時なく
かくなわに 思ひ乱れて 降る雪の 消なば消ぬべく
思へども えぶの身なれば なほやまず 思ひは深し
あしひきの 山下水の 木がくれて たぎつ心を
誰にかも あひ語らはむ 色にいでば 人知りぬべみ
すみぞめの 夕べになれば 一人ゐて あはれあはれと
嘆きあまり せむすべなみに 庭に出でて 立ちやすらへば
白妙の 衣の袖に 置く露の 消なば消ぬべく
思へども なほ嘆かれぬ 春霞 よそにも人に
逢はむと思へば

 

よみ人知らず

 

 逢うことがめったにない人を思い始めてから、わが身はいつでも空にかかる雲のように心が晴れる時がなく、富士の嶺の煙が絶えないように、いつまでも思いの火に燃え続けているのだけれど、逢うことは難しい。
 だが、どうしてあの人を怨むことがあろうか。大海の沖が深いように、深い思いを寄せたその思いは今はむなしくなってしまいそうだ。流れてゆく水が絶える時がないように、ねじれた形をした菓子のように思い乱れて、降る雪が消えてしまうように、わが身も消えてしまいたいと思うけれども、煩悩に満ちた人間世界に生まれた身だから、やはり思いは止むことがないほど深い。
 山の麓を木の陰に隠れて激しく流れる水のように、わきたつ思いを誰に語ろうか。そんな思いを顔に出せば人が知ってしまいそうなので、夕暮れ時になると、一人座って「ああ、ああ、」とため息をつくがそれでもおさまらず、どうすることもできないので庭に出て、行ったり来たりしていると衣の袖に露が置く。その露のように消えられるものならば消えてしまいたいと思うけれど、それでもやはりため息が出てしまう。春霞がかかるほど遠くでもよいから、あの人に逢いたいと思うので。

 

 今日から、巻第十九「雑躰(ざったい)」の歌のご紹介。「雑躰」は、長歌(五首)、旋頭歌(「五・七・五・七・七・七」 四首)、俳諧歌を収録した、古今集の中でも特異な巻となっており、その冒頭が本歌。奇異なことに、この歌の前、すなわち「雑躰」巻の冒頭には「短歌」との記載があります。ここまで収録の歌はすべて現代で言う「短歌」であり、初めて長歌が出てくるまさにその場所に「短歌」との記載ですから何かの誤りには違いありませんが、そんなことになってしまった理由はよくわからず、古来不審とされています。



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