ちはやぶる かみのみよより くれたけの よよにもたえず
あまびこの おとはのやまの はるがすみ おもいみだれて
さみだれの そらもとどろに さよふけて やまほととぎす
なくごとに たれもめざめて からにしき たつたのやまの
みおぢばを みてのみしのぶ かみなづき しぐれしぐれて
ふゆのよの にはもはだれに ふるゆきの なほきえかへり
としごとに ときにつけつつ あはれてふ ことをいひつつ
きみをのみ ちよにといはふ よのひとの おもひするがの
ふじのねの もゆるおもひも あかずして わかるるなみだ
ふぢごろも おれるこころも やちぐさの ことのはごとに
すべらぎの あおほせかしこみ まきまきの なかにつくすと
いせのうみの うらのしほかひ ひろひあつめ とれりとすれど
たまのをの みじかきこころ おもひあへず なほあらたまの
としをへて おほみやにのみ ひさかたの ひるよるわかず
つかふとて かへりみもせず わがやどの しのぶぐさおふる
いたまあらみ ふるはるさめの もりやしぬらむ
ちはやぶる 神の御代より くれ竹の 世々にも絶えず
天彦の 音羽の山の 春霞 思ひ乱れて
五月雨の 空もとどろに さ夜ふけて 山ほととぎす
鳴くごとに 誰も寝ざめて 唐錦 立田の山の
もみぢ葉を 見てのみしのぶ 神無月 しぐれしぐれて
冬の夜の 庭もはだれに 降る雪の なほ消えかへり
年ごとに 時につけつつ あはれてふ ことを言ひつつ
君をのみ 千代にといはふ 世の人の 思ひするがの
富士の嶺の もゆる思ひも あかずして 別るる涙
藤衣 織れる心も 八千種の 言の葉ごとに
すべらぎの おほせかしこみ 巻々の 中につくすと
伊勢の海の 浦の塩貝 拾ひあつめ とれりとすれど
玉の緒の 短き心 思ひあへず なほあらたまの
年をへて 大宮にのみ 久方の 昼夜わかず
つかふとて 顧みもせぬ わが宿の しのぶ草おふる
板間あらみ 降る春雨の もりやしぬらむ
紀貫之
和歌は、神代以来、幾世代も絶えることなく続いてきて、音羽の山に春霞に花が見えずに思い乱れて、五月雨が空も響くほどに降って、夜が更けて、山ほととぎすが鳴くたびに誰もが目覚めて、立田の山の紅葉の葉を見て賞美する。十月になって、時雨が降り続き、冬の夜の庭にまだらに降った雪が、すっかり消えてしまうような思いをして、毎年、その折々に「ああ、すばらしい」ということを言いながら、あなた様だけは千代の長寿をと祈る世の人のような思いをする、駿河国の富士の嶺の燃える思いを詠んだ歌、満ち足りることなく別れる涙を詠んだ歌、喪服の藤衣を織って着る心、数多くの和歌のそのことば一つ一つに、帝の仰せを拝受して、巻々の中に収め尽くそうと、伊勢の海の浦の塩貝を拾い集めるように、多くの歌を収録したのですが、短慮では考えも及ばず、やはり何年も宮中でお仕えして、昼夜を分かたずお仕えするということで、顧みることもないわが宿のしのぶ草が生えている板間が荒れているありさまなので、降る春雨が板間から漏るように、すぐれた和歌を漏らしているのではないかと心配しています。
詞書には「古歌たてまつりし時の目録の、序の長歌」とあり、古今集編纂の前段階と位置付けられる「続万葉集」を撰録・献上したときの目録に付した歌ということと思われます。