流浪オヤジの探検日記

KOBEを拠点に各種イベントや名所・旧跡を見て歩き、紹介していきます。

尼崎城

2019-05-26 | 史跡・旧跡
尼崎市北城内にある「尼崎城」を訪れました。

尼崎城は、江戸時代初期に築城された平城です。
現在の天守は、家電量販店・旧ミドリ電化(現在:エディオン傘下)創業者である安保 詮(あぼ あきら)氏が創業の地に恩返しがしたいと考え、私財を投じて再建しました。
平成30年(2018年)11月30日、尼崎市へ完成した一連の施設を寄贈しました。


元和3年(1617年)、戸田 氏鉄(とだ うじかね)が5万石で入封し築きました。
3重の堀を持ち、本丸には2重の付櫓を2棟付属させた複合式の四重天守と3棟の三重櫓が上げられました。
城主は、築城から廃城まで3氏12代が入れ替わりました。
戸田氏の後は、青山氏4代、そして正徳元年(1711年)桜井松平家の松平忠喬(ただたか)が4万6千石で入封。
以後、桜井松平家の支配が7代と続き、最後は藩主・松平忠興で幕末を迎えました。
明治6年(1873年)の廃城令により建物は一部を除き取り壊されますが、明治7年(1874年)に本丸御殿の一部が菩提寺・深正院(市内大物町)の本堂として移築されました。
本堂は戦前まで残りますが、戦災に遭い焼失してしまいました。


大きさや外観は当時の建物を再現されていますが、築城時の跡地は既に公共施設が有るため、北西約300mずれた西三の丸跡地(尼崎城址公園)に築かれました。


元和4年(1618年)から現在の北城内、南城内の約300mメートル四方に、甲子園球場の約3.5倍に相当する3重の堀及び4層の天守を持つ城を築造しました。


当時の江戸幕府は、一国一城令により各地の城郭を破却する政策を推し進める一方で、尼崎に5万石の大名の居城としては大きすぎる城をあえて造らせたことなどから、
幕府がいかに尼崎を重要視していた事が推察されます。


明治6年(1873年)、役目を終えて廃城となます。


「天守」(地上5階)
全高(石垣を含む垂直高):24.399m、鉄筋コンクリート造、地上5階建て


「荻原一青 名城手拭百城」(4階ギャラリーゾーン)


荻原氏は、尼崎市出身の城郭画家です。


「摂州尼崎城櫓瓦」
尼崎藩主をつとめた青山家の重臣の家に伝わった尼崎城の瓦です。
青山家の家紋である葉菊紋が飾られた留蓋という瓦の部材であると推測されています。


「駕籠」(再現展示)
尼崎城での毎月の祈願に参上するために使用した登城用の駕籠


平成31年(2019年)3月29日から一般公開が始まりました。

145年ぶりに再建された尼崎城天守でした。
築城当時の尼崎藩などの歴史を知ることができました。
ありがとうございました。
ヾ(*´∪`*)oc<【。゚・+:.・ァリガトゥゴザィマシタ・.:+・゚。】ヽ(*´∪`*)ノ"

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