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移植時の食事~⑦退院まで

12月、おかずは少しずつ食べられる量が増えていったが、ご飯がまったく
進まない。


結構大きな器に盛られるご飯、いつも1/3位しか食べられず、同室の人達
が、普通に食べ尽すのが不思議でしょうがなっかった。

食後に大量の薬を飲まなければならず、自然と抑えていたのもあるが。




食後、看護師さんがやってきて、食べた量(残した量)を申告するのだが、
看護師さんも、あの手この手を考え、おにぎりにしたらもっと量を食べられ
るのでは、と、8日から昼食のみ、おにぎりが出るようになった。

いったい、誰がにぎってくれていたのだろう??





2006年、年が明けても退院の目途さえたたない。

年末年始、外泊で帰宅しても食べられるものは限られる。

正月の豪華(?)メニューも自分には関係なし。



食材は全て熱を通し、野菜も温野菜、アレが駄目、これはいい、との問答。

「退院できても、食事は大変だね。」

は、妻の実感。(実際、大変だった。)




3日、病院に戻った時は、少しだけ、なんだかホッとした気持ちがあった。


6日、突然激しい腹痛、腸炎でまた10日間の絶食。




退院する為には体調の回復はもちろん、食事の復活も必要条件。

腸炎が良くなる頃から7分粥を始めても、なんだかもどかしかった。


相も変わらぬ食欲の無さと、いつ始まるかわからない腹痛の恐怖、それなの
に食べないと回復も退院も見込めない、楽しいはずの食事の時間が、苦痛の
時間でしかなかった。




それでも「アミノレバン」を飲み始めたことで数値が少しずつ良くなり、
1月下旬からは退院に向けての予行演習ともいえる外泊が始まった。

(インスリンの自己注射、薬や食事などの自己管理項目が多過ぎて、いきな
 り退院させることは絶対できない、と医師から言われていた。)



外泊が始まると、自宅では妻が食事のことで気を使う。

移植後一年間は感染症にかかるリスクが非常に高いので、外的な心配と同じ
かそれ以上に、食事メニューには神経を使ってくれていた。




退院の目途がたつと、必ず誰もが栄養相談を受ける。

栄養相談というか栄養指導だが、話しを聞いていて、一つの要素の為に一つ
の食材を制限すると、何かが不足したり犠牲になったりして、何を食べたら
良いのかわからなくなった。



結局、妻と二人で出した結論は、

『栄養があって新鮮なものを食べていれば間違いない』

ということだった。(??)




2006年2月17日、前年8月17日の入院から、ちょうど半年振りに
退院、でもまさか、ここから何度も入退院を繰り返すことになるとは・・・
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