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+ 花の羽二重を脱ぎすてて・・・ 勝海舟の霊言「一刀両断」の大人の政治と幸福維新革命選挙

2010年05月01日 22時45分07秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

     花衣hanaginu を  二重脱ぎたる  五月かな

    梅士 Baishi

 

  

 

 大方は五月の連休に入った。

 明日はレンタカーで長崎に向かう。

 ETCもないので、通常料金で高速を走るというのもし

ゃくである。

 下道をと思ったが、えっ、有田の陶器市で混んでるっ

て?

 え~どうしよう・・・。

 道草を食う時間の余裕も無いが・・・。

  かくなる上は、低速道路を正攻法で突破するとしよう。

 

 ちなみに、有田の磁器市には一度も行ったことがない。

 有田焼の輸出港だったのが伊万里である。

 古伊万里という名称もあるが、有田焼のことである。

 是に対して、唐津焼は陶器が有名である。

 有田の隣町には波佐見焼がある。

 

 子供の頃の茶碗は、波佐見焼だった。

 長崎には、現川焼というのがあった。

 こちらは陶器の部類だが、途絶えてしまった幻の現川

焼である。

 クレタの茶碗のように、魚介類がデザインされたおお

らかな絵柄が魅力的な陶器だった。

 

 上等の茶碗は持たないが、いつか白磁に青い上薬をた

っぷりとかけたエーゲの海のような茶碗を使いたいもの

だ。

 不思議なものだ、器というものには、温かな存在感が

ある。

 

 芸術とは何か。

 それは、美の感性に訴える表現である。

 あるいは悟性に訴える物事の本質をとらえた表現であ

る。

 信仰心の失われつつある現代日本に、優れた芸術のあ

ろうはずが無い。

 信仰なき「芸術」とは、偽物である。

 芸術の真髄は、信仰の表現というべきだからである。 

  

 

 

 

 さて、五月一日の今日、今年初めての水泳に出かけた。

 運動不足の不快感には耐え難く、あれやこれやのしが

らみを振り払って出かけた。

 勝海舟の霊言『勝海舟、一刀両断』にぐずぐずとした

迷いを断ち切って出かけたのである。

 

 一泳目は200mに終わった。

 体力減退は著しい。

 やっとトータル1200mの最低限を終えたが、やっ

ぱり運動後の血流の清清しさは至福である。

 

 悪霊や貧乏神はゴミだまりと運動不足に祟るのである。

 悪霊撃退の前に、ゴミと運動不足を撃退するべきであ

る。

 安易なご利益に頼ってはならない。

 自助努力あってこその他力であることを忘れてはなる

まい。 

 

 同様に、善玉宇宙人言えども、神の代用品のごとくに

依存してはなるまい。

 安易であることを戒めなければならない。

 

 

 

 

  

勝海舟の「大人の政治」と革命選挙】 


 愚直だけでは選挙は勝てない、というお叱りだった。

 勝負は勝たなければならない。

 たしかに、分かりやすい言葉、自分の言葉で待機説法

ができなければならないという訓戒はその通りだと思う。

 また、幸福の科学職員や役員に対するお叱りは、距離

を置いている「幽霊会員」からみれば、まさにその通り

と思える。

 

 幸福実現党の信条や方針は理解しなければならないが、

コピーしてはならない。

 それでは、言論は萎縮し、インパクトがない。

 暗記して面接に望んでいる学生のようにつまらない。

 たしかに昨年の選挙演説にはオリジナルなインパクト

が欠けていると感じられた。

 候補者の魂から訴えるような熱い演説とはいえなかっ

た。

 

 維新の志士たちの激論のように、大正デモクラシーの

辻説法のように、もっと激しく、熱く訴えて欲しいと思

う。

 これは革命だからである。

 

 そういうと、そんなんじゃ票が逃げちゃうよと言われ

るのかもしれない。

 しかし、市民の潜在的ニーズが、そういう熱い言論で

あったならば、支持するのではないか。

 そうでなければ、革命は起こらない。

 

 宗教が政治権力を目指すことを、一般世間は嫌ってい

る。

 宗教という言葉は、いかがわしさの代名詞のように使

われている。

 しかし、それは偏見なのだ。

 神も仏も無い政治でいいのですかと訴えればよいのだ。

 

 『日本人は、神風に感謝したではないですか、商売繁

盛、国家安泰を神に祈るではないですか。

 この国から神や仏を追放して理想的な国になりますか。

 政治が神聖であろうとする事がそんなに汚らしいこと

ですか。

 

 日本は八百万の神々が統べる国であったのです。

 独裁政治とは程遠い、繁栄の精神を持った国でした。

 この日本から、神仏を追い出して、唯物論の、拝金主

義の、弱肉強食の、そして独裁政治の呪わしい国にして

はなりません。』

 

 確かに、政治はけんか腰であってはなるまい。

 しかし、危機のときは、自己保身を戒めなければなら

ない。

 今はそのときではないのか。

 

 確かに、鳩ポッポ政権の対米政策は明らかな反米政策

である。

 戦争を仕掛けたから、アメリカも反撃に転じた。

 アメリカがせっかちなのではない。

 なのに、鳩ポッポ政権は、民主党支持のトヨタを助け

ようとはしない。

 ただの企業の失態に過ぎないかのようにほったらかし

である。

 

 どう考えても、日米戦争を望む反米政策である。

 「そんなことはありませんよ、日米関係は堅持します」

というのは表向きである。

 政治とは、言葉ではなく行動の意味するものが本音と

して理解されるべきものである。

 鳩山は、とんでもない亡国の輩であり、民主党議員も

また、それを支えている限りは同罪である。

 

 だから、愛国の士よ、武士よ、本気であるとわかった

ら、幸福実現党と力を合わせて、脱藩し、国の危機に立

ち向かうべきである。

 ホールディング政党として、『日本を愛するこの指と

まれ党』を作って、その指に止まっても良いのだ。

 幸福の科学が嘘つきでないなら、勝海舟の霊言も、坂

本竜馬の霊言も、西郷隆盛の霊言も、吉田松陰の霊言も、

みんな本物だということではないか。

 これは大変なことである。

 大変なことが起こっているということを知らなければ

ならない。 

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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