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+ 立浪草寄せる春・・・ 福沢諭吉の霊言『新・学問のすすめ』  独立自尊の精神とは何か 

2010年05月17日 07時45分13秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

   春の辺に  立浪草の  波打ちて


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 気温20℃、穏やかな朝である。

 今朝の花は立浪草である。

 雲仙小浜の野べに咲いているのを見つけた。

 しそ科の植物である。

 たしかに、葉の形がシソである。

 たくさんある花ではないが、食べてみよう。

 

 立浪草を初めて見たのは筥崎宮庭園だった。

 観賞用のガーデン植物かと思っていたが、野草であった。

 本当に白波が立っているように打ち寄せて咲いている。

 この日本の春には象徴的な花である。

 

 

 

 

 

 獅子身中の虫、新聞社、テレビ局、その他マスコミ関係者、大学教職

員、日教組を筆頭とする愚かな公立学校教職員、公務員労組・・・、この

社会主義勢力の愚劣な輩が、亡国の政権、民主党政権にチェンジさせ

たのである。

 

 社会主義こそはまさしく机上の空論であった。

 社会主義が標榜する平和も安全も幸福も、国丸ごと沈没させるアヘン

のようなものであった。

 その中毒者が未だに社民党や共産党で議席を持っていること自体、お

そるべきアヘン中毒の蔓延を示唆している。

 かつての恩師というべき牧師もまた、アヘンの夢から覚めないまま、

地獄で解放運動をするのであろう。

 生真面目一本では、洗脳から自力回復することはできないものらしい。

 

 人間、適当に馬鹿なほうがよい。

 人生、笑いが取れる程度にぼけていたほうがよい。

 緊張と弛緩のバランスが大切なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

福沢諭吉の霊言『新・学問のすすめ』~ 独立自尊の精神とは何か】 


 

 福沢諭吉の霊言『新・学問のすすめ』(大川隆法著 幸福の科学出版刊)

は示唆に富む如来の直説金口であった。

 

 彼の教育理念は『独立自尊』である。

 慶應義塾大学には既にその建学の精神が失われ、諭吉自身、もはや

手を離れた大学であり、指導もしていないという。

 慶応大学ばかりではない。

 独立自尊の精神が現代教育から見失われているというべきである。

 

 教育の崩壊は、家庭においても危機的な状況だといってよいだろう。

 子供の自尊心が大いに傷ついているケースがあまりにも多い。

 子供は自力では生きられない弱い立場である。

 ところが、親の暴言に傷つき、学校ぐるみのいじめ犯罪に傷つく。

 子供に対しては、その人格への尊重を見失ってはならない。

 自尊心は育てるべきものであって、それを傷つけてはなるまい。

 

 もう一つは、逆に独立心が育っていないという問題である。

 保健室登校というのも、独立心を見失ったわがままの放置である。

 過保護ではいけないのだ。

 

 自尊心とは独立精神に宿るものである。

 子供は独立できていないが、独立への努力が自尊心の在り処となる。

 独立自尊の努力を、家庭も学校も愛情を持って尊重し、育てなければ

ならない。

 それが、「学問のすすめ」の教育精神ではないか。

 

 亡国の淵に立たされている子供たち、青年たちへの諭吉の助言は現

代でも『学問のすすめ』である。

 独立自尊のための学問であるが、そのためには信仰が大切だと補足

している。

 結局、独立自尊とは自由人権と似たようなものだ。

 それは形である。

 その根本にある画龍点晴こそは、信仰心であり、世の中の役に立つと

いう志である。

 信仰とは、天意を受けて、世の中の役に立とうという志である。

 それを、福沢諭吉は「学問」という観点から実学を説いたのである。

 

 学生、元学生、大学関係者は全員、購読するべき一書であると思う。

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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