五月晴れ 大の字に咲き 野良の花
梅士 Baishi
気温22℃、今朝は雨である。
黒百合は体全体が黄色く透明になって、この世を去ろうとしている。
なんとも神秘の花である。
これに対して鬼百合は天にも届きそうな勢いで背丈を伸ばし、今にも
はじけそうである。
五月病という人もあれば、鯉のぼりのように元気に泳ぎまわっている
人もいる。
心の持ちようで、こうも違うものか。
五月病の正体は、ほかの人の元気に負けそうで、病気に逃げている
のではないか。
たしかに、同年同期で優劣を比較されて劣るのは嫌だろう。
しかし、誰が比較しているのか。
他人ではなく、自分がそうしているだけである。
人間は関係であり、縁であり、役割である。
優劣の比較ではなく、関係の適否である。
より多くを与える人、一所懸命に努力する人が愛され、信頼される。
自分が劣っていると感じるのではく、他人に与える愛の思いと努力を
こそ問うべきである。
人の善意を優劣で比較する人はあるまい。
それは失礼であり、横着というものだからである。
与えることに智慧をしぼり、思いを絞るべきである。
営業は、与えるために、ほかから奪ってくるというような発想がある。
何軒訪問し、何件獲得して来いと言われる。
違うのではないか。
人間関係とは与え合う関係である。
営業もまた与える努力で道を開く仕事ではないか。
女性のメイクも同じである。
「美人」になるためのメイクではいけない。
「美人」といのは優越感であり奪う意識である。
そうではなく、天女のごとくやさしく、爽やかに整えればよいのだ。
女性の美しさとは美しさを発見し愛する心の表れである。
美しさとは偽装すべきものではない。
輝きだす心である。
与える思いである。
悩み、恐れ、不安な人は、豊かさを与えることに努力せよ。
与える愛の前に、悩み、恐れ、不安、憂鬱は所在無く消え去るほかは
無いのである。
女性たちよ、今日から美人であることをやめよ。
美人でないこともやめよ。
女は女神たるべきである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi