あじさいも 吾れも露天の 雨にぬれ
梅士 Baishi
土曜の朝になった。
昨日も土砂降りだったが、今日もまた降りそうである。
田植えの最中である。
蛙もずぶぬれ、田んぼは水たまり、それが幸せな季節な
のだ。
露天風呂で雨に打たれるのは心地よい。
裸一貫と言うのはそんな気分なのだろう。
あじさいもカッパの髪飾りのように雨に似合いの花を咲か
せている。
どうやら、入梅と言うのは本当らしい。
【 地方都市は首都の隠居都市戦略を 】
地方産業の方向性を痴呆公務員に任せていても埒の明か
ない、公費の無駄遣いである。
せいぜい、中国・韓国に離島領土をお包みして、平身低頭、
なんとか観光に来てくださいとお願いに行くのが関の山で
ある。
なんとも迷惑な話しではないか。
それが、仕事を偽装する暇つぶしであるというのも許し
がたい。
だから、企業が主体となって、考えなければならない。
公務員の天下りを袖の下に依存する姑息をやめて、自ら
開発しなければならない。
そこで提案したいのが、首都の定年退職組がのんびり
と自由な暮らしを楽しめる「田舎暮らしのまちづくり」である。
田舎になればなるほど、意外と閉鎖的である。
だから、都会派のまちをつくるとよいのだ。
癒されるまちづくりである。
九州は日本の原点である。
皇室発祥の地である。
歴史と伝統のある文化的な地域である。
今は、その勢いを失っているが、洗練された文化のある
土地柄なのだ。
都会派の余生を満たして余りあるであろう。
伝統と文化によるブランド作りを、地方経済の基本方針
にしたい。
文化人、都会人たちがいつかは住みたいと思う土地柄
にしたいものだ。
治安のよい、教育の行き届いた街づくりが大事である。
そのためにも、公立小中学校を解体し、教職員を解雇し、
暴力の巣窟、供給源を断つ必要がある。
九州をそうした公務員教職員による汚染教育から開放
しなければならない。
警察権限を民間警備会社に拡張してでも、非行少年や
暴走族やいじめ犯罪グループ摘発と処刑などを徹底しな
ければならない。
悪を許さないという毅然とした社会でなければ文化都市
とはいえないのである。
安全とは、毅然とした悪に対する処断体制でもあるという
ことを忘れてはならない。
公務員警察がそれをやらないなら、民間警察業務として
断行するとよい。
暴力団も、そうした警察業務を生業とすれば社会悪では
なく、社会貢献団体になるに違いない。
もともと、社会悪の矛盾の中から生まれたのが暴力団でも
あるだろう。
その根元を断つ適材ではないか。
警備会社の新たな発想として考えられてよいことである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi