今日よりは 御用始の 靴の音
中村梅士 Baishi
仕事に行くわけではないが、御用始となると、今日か
ら仕事だなあという緊張感が漲る。
さて、今年の仕事は・・・。
いつも通りという仕事はない。
チャレンジなくして仕事なしである。
さて、今朝の気温は4℃弱、真冬の気候だが、朝の冷
たさにも慣れている。
雀の朝食も仕込んだ。
今日から仕事の仕込みに入りたい。
今日の読書は童門冬二の『立花宗茂』である。
神谷不二の『朝鮮戦争~ 米中対決の原型』は睡魔と
の戦いであり、苦読だったが、選択肢の多い国際政治の
迷いと強いリーダーシップの必要性が多くの連想を生み、
眠りの幻想に誘ったのだと思う。
今アジアが直面している試練は、独裁的共産主義国家
勢力排除の戦いである。
「悪魔の道は善意で舗装されている」とは共産主義思
想の本質をよく表現している。
自由主義と共産主義は共存できない。
総裁によれば、自由と平等は必ずしも矛盾するもので
はなく、自由が実現されれば自ずと平等も実現されてゆ
くものであるという。
その平等とは豊かさのことであろう。
結局、共産主義とは嫉妬であるが、豊かさへの渇望で
もある。
だから権力的なドロボーや強盗を合理化するような国
家現象を起こすのである。
しかし、国際政治において放置できない犯罪的現象で
ある。
この悪魔的善意を打ち破るには、自助努力と言う修行
的人生論を教育する必要がある。
霊性革命と教育革命が伴わなければ根治できない心の
未熟が共産主義的善意への安易な依存を選択させるから
である。
悪魔は豹変する。
善意の先には粛清による恐怖と支配という滅びの門が
用意されているのである。
それが、北朝鮮であり、共産チャイナの現実であるこ
とを観れば明らかであろう。
平和だ福祉だと言う悪魔の口車に乗ってはならない。
安易に得られるものは偽物なのだ。
その悪魔的政府にたいして、甘い言葉やおいしい援助
を与えてはならない。
それもまた悪魔的手口だからである。
自助努力の指導はしても、取引をしてはなるまい。
国際的援助の在り方も反省されるべきである。
悪魔的善意ではないかと。
福祉の在り方もまた同様である。
補助金のばらまきではなく、仕事に対する投資である
べきなのである。
朝鮮戦争からはまだ十分に学び切っていなかったので
はないか。
間もなく始まる朝鮮戦争に恐怖や妥協があってはなら
ない。
断固として、自由による自由のための戦いを完遂する
べきである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party