貰いたる 秋カステイラを 頬張りぬ
中村 梅士 Baishi
老母から長崎カステイラのおすそ分けをいただいた。
叔母から送ってきたのだと言う。
商家のおかみさんとしてシャリシャリしていた美人女
将だったが、ころんで骨折したり、体調を崩して寝込ん
だり、80歳を超えると女性ホルモンも効かないらしい。
しかし、カステイラは健在である。
そこに含まれる異国情緒は、長崎の良いイメージであ
る。
もう一つ長崎の良い印象は、大晦日に鳴り響く港から
の汽笛の音である。
外洋に通じる誇らしい音に聞こえる。
長崎の嫌いなイメージは、人間関係や街の作りのせせ
こましさであろう。
竜馬の海援隊が拠点を置いた町だが、竜馬が見ていた
のは太い外洋に通じる港の外だったのだろう。
しかし、海援隊が目を付けたのはカステイラ製造だっ
た。
さて、どんな出来だったのだろうか。
カステイラ自体には四季はないのだろうが、その物語
には四季折々の感性がつづられる。
秋カステイラには秋の情景がよぎるのである。
民主主義の失敗を印象付けたのは、ドイツナチス党が
選挙で政権を取るに至った独裁制誕生の秘話である。
政治は国家の防衛と誇りに関わる軍事的強さと、国民
生活を守る経済振興が求められる。
しかし、政治は正義に反してはならない。
その正義とは、自己中心を排除した他己中であり、国
民の尊敬を裏切らない高貴なる者の責任と信頼である。
ノブレス・オブリージュである。
国民のための政治、そこに民主主義の本質がある。
しかし、国民による政治は必ずしも国民のための政治
ではない。
それを衆愚制という。
民主主義の意思決定に参加する資格を市民というとし
たら、市民とはノブレス・オブリージュの精神を有する
ものでなければならない。
ノブレス・オブリージュを鍛錬する教育が、ソクラテ
スやプラトンが重視した体育教育であり、近代英国に生
まれた「スポーツ」である。
日本でいえば武士道を育む武道教育である。
これが、学校教育の中心でなければならない。
それが確立していなければ、民主主義は手かせ足かせ
となるばかりである。
民主主義の死に至る病は、マスコミの権力化、公務員
の増殖(大きな政府)、平和主義・平等主義思想の増殖、
増税依存の政治などに現れる。
現代日本の政治状況は、民主主義の死に至る病を発症
しているといえる。
「市民」は選良でなければなるまい。
財産と教養による自立性と、愛国心が求められる。
市民のみが、選挙権と被選挙権を与えられる。
国民は、市民権を認められた者と市民権のない非統治
民に分けられる必要がある。
非世襲的な現代貴族制民主主義である。
市民には現代的騎士としての兵役の義務が課せられる。
これが、革命政権が描く統治原理である。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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