すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 白詰草はクローバー・・・ 福沢諭吉の霊言に思う、交通革命の実学考案

2010年05月16日 22時13分57秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

   三つ四つ  しゃがんで探し  クローバー


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 そういえば、クローバーなのだった。

 白詰草とばかり思っていたが、それがクローバーなのだった。

 急に親しい花になった。

 

 小学生の頃は、校庭の草地に四葉のクローバーを探していたものだった。

 四つ葉はたくさんあった。

 五つ葉のクローバーもあった。

 それはさすがに珍しかった。

 

 母と朝の散歩をしたが、長く歩くのがつらいといった。

 腰が痛むらしい。

 歳をとると、膝が痛み、腰が痛み、歩くのが辛くなるのだ。

 

 英国を救った明宰相サッチャー女史は健在かとおもっていたが、認知

症の老苦の中につながれているという。

 脳梗塞が原因だとおもうのだ。

 老いてゆくと、肉体が錆びてゆく。

 爬虫類型宇宙人、レプタリアンは千年生きるそうだが、きっと死ぬ前に

食われてしまうのだろう。

 

 今度クローバーを見つけたら、味噌汁の野菜にしよう。

 牧草味噌汁である。

 しあわせな味がするかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高速道路完全無料化+】 


 高速道路を完全無料化することは一種の交通革命である。

 消費税をなくすことも、自由化革命の意義を持つ。

 国民の負担を減らし、公共事業投資資金を得るためには、国民経済

全体が活性化することが必要である。

 脱税、節税を許さない税制改革、公務員による無駄がねを徹底して

なくし、先行投資的な公共投資を進めれば、税収は大幅に伸び、貯蓄

もできる。

 消費税に依存する必要なないし、一律10%課税で十分にまかなうこ

とはできるはずである。

 

 もうひとつは、国家もまた商売で資金を得る工夫をすることである。 

 高速道路を完全無料とすることで利用者が増えるし、出入り口を増や

すことで渋滞は緩和される。

 にぎわうということは、商売が成り立つということである。

 商売は、公設民営化で運営する。

 

 問題は、自動車産業の次の一手である。

 自動車は有人ロボットである。

 日本の自動車がアメリカとの競争に勝ったのは、従来の車の概念で

はなく、ロボットという概念で勝ったのである。

 アメリカのお家芸を真似て勝ったというわけではないと思う。

 しかし、自動車という概念は残るから、アメリカが口惜しがるのは仕

方がない。

 

 水陸両用艇、リニア艇、低空飛行艇・・・。

 

 新しい概念で個人高速移動ロボットを開発しなければならない。

 それまでは、やはり、車の小型化を進めることであろう。

 移動体の有人ロボット化を徹底するのである。

 電動エンジンの軽量化、電池の小型軽量化を進める必要がある。

 

 ゆったり大型車がステータスの時代は終わったという認識を持つべき

なのだ。

 一台の値段も、タタ自動車並みに安く設定することも可能なはずであ

る。

 実学はエンジニアの特権ではない。

 アイデアは文系の得意である。

 そのメカニックを考えるのが理系である。

 アメリカにない創造的な物づくりの知恵が必要である。

 

 福沢諭吉の霊言に思ったことである。

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 深江のれんげ草・・・ 市民兵站の宅配システム  マスコミ攘夷論

2010年05月16日 12時41分15秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

   れんげ草  深江の畑hata を  肥やしたり  

   梅士 Baishi

 

 

  

 深江は素麺やきのこで有名な島原の有家に近い農村で

ある。

 そこに父が会いたがっていた妹のおばさんがいる。

 りょうこおばさんである。

 もう、75歳になるという。

 父の兄弟はここ二年ほどで次々と5人も亡くなった。

 島原の乱の因縁だろうか。

 

 良子おばさんは畑仕事から帰ってきて、腰が痛いと、

庭先で寝転がっていた。

 なにかしら仙人のような趣があった。

 おばさんからもらった山ほどのえんどう豆はあっとい

う間に食べてしまった。

 豆がこんなにもおいしいものとは。 

 

 今朝は、もらった餅で雑煮を作った。

 天草のあおさと、南関揚げと、しなびたねぎ数本、鯛

の塩焼きの残りかすを入れて桃屋のだしを入れて煮込ん

だ。

 今日は卵とだしの素、葉物を少々買ってこよう。

 

 市場での買い物は楽しいが、市場は昔ながらの主婦相

手のマーケットである。

 勤め人には縁遠い。

 勤め人にも利用しやすい行商があってもよいのにと思

う。

 失業なんて言ってられないのではないか。

 ベンチャー八百屋を開店しようか・・・。

 

  

 

 

 クロネコヤマトと農産物商社が提携して、野菜宅配サ

ービスを始めると良いのにと思う。

 さすれば、安定価格で提供できるはずである。

 買い物に不便な家庭が増えているのだから、市民兵站

サービスを効化するサービスの仕組みが必要である。

 左翼生協に依存していては日本の食料兵站は危い。

 

 まず、ドアの仕組みとして、『留守宅配』の仕掛けが

必要であろう。

 どろぼー対策は、『監視カメラ』と『荷物シェルター』

の工夫で対応できるはずである。

 あるいは、コンビニエンス宅配制度をつくれば留守の

不経済がなくなる。

 

 

 

 

マスコミ攘夷より始めよ】 
 獅子身中の虫を下さなければ国を守れない状況となっ

た。

 あらゆる手段を講じて、マスコミ各社を撃退しなけれ

ばならない。

 

 最も平和的な方法は、海外ファンドと手を組んででも、

M&Aを仕掛け、全社員を追放し、廃業の上、あらたに作

り直す。

 新聞販売所に独占禁止法を適用して自由化する。

 NHKの特権を廃止する。

 

 テレビ放送は国営事業として、放送設備運営会社と番

組制作会社に分けて、民間企業に運営委託する。

 放送設備運営会社は放送権を再販売し、番組制作会社

は放送売り上げとCM販売から収入を得る。


 放送運営会社と番組制作会社は売り上げの20%を放

送権料金として国庫に支払う。

 

 テレビ番組のバカ化はあまりにもひどすぎる。

 その上に、神々の総意で日本を護ろうとしている幸福

実現党を完全無視するとは何事か!

 もはや言い訳無用、絶対に許さない。

 中国と対戦する前に殲滅しなければならない獅子身中

の虫である。

 

 マスコミの偏向した番組編集は、特権の濫用以外の何

ものでもない。

 放送制度は解体して、作り変えるべきである。

 放送の独占は民主主義を病変させることが明らかとな

った。

 

 「放送による独裁政治」の解体こそは最優先の国防政

策である。 

 同時に、対米戦争を進めている民主党政権を壊滅に追

い込まなければならない。

 

 国防事項を知事にお願いするとは何事か。

 米軍基地問題で、アメリカをあれほどにコケにしたの

では、アメリカ相手に戦争をしようという挑発にほかな

らない。

 とんでもないことをしているのである。

 

 維新の志士よ、保守系議員よ、幸福実現党に結集して

日本を護れ! 

  

         

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ めざしのごとし・・・ 幸福の科学洗礼のすすめ  自由責任論  仕事の神聖・職場の神聖

2010年05月15日 08時01分05秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

   風なくば  めざしのごとし  鯉のぼり

   梅士 Baishi

 

 

 

 ずらっと並んだ串刺しの鯉のぼりがあった。

 天日干しのめざしのようだった。

 やはり、千切れそうな風が吹かなければ、鯉のぼりも

やる気が出ない。

 

 端午の節句は旧暦で行かなければならない。

 今年の節句は、6月16日である。

 それまでは、千切れるほど風の滝を吹き上って欲しい。

 が、博多の風の川には泳いでいない。

 

 博多の川にもかつてはシャケが遡上していたという。

 同様にと言うべきか、博多の町に鯉のぼりが上がらな

くなった。

 密集した町並みに鯉の泳ぐ住処もないのであろうが、

山笠を呼ぶ風に鯉のぼりをあげたいものである。

 

 さて、元寇というべき事態が迫っている。

 勇壮であっても、伝統祭りの山笠では国を護ることは

できない。

 禍を祓うというのが山笠の由来であるならば、護国の

筥崎宮に結集し、海辺に向かって集団山見せしたいもの

である。


 そうした護国鎮護の心意気こそは、主宰神の思いでも

あろう。

 博多祇園山笠を、平和ボケした祭りとして見たくはな

いものである。

 

 大川隆法著 幸福の科学出版刊『民主党亡国論』にお

けるチャーチルの霊言も衝撃的な日本滅亡の予言であっ

た。

 この平和ボケをみれば、霊言ならずといえども予想の

つくところではあるが、あらためて客観的な霊言に現れ

ると暗澹たる思いになる。

 

 

  歴史に名を残す高級指導霊というべき方々が一致して日

本を護り発展せたいと思っていても、地上の人間がそ

の気にならなければどうにもらないのが修行のこの世

のルールである。

 いかに天が味方しても、それほどの大義があっても、

この世の私利私欲には通用しない。

 

 私利私欲は不幸を選択するものである。

 人は一人では生きていないが、私利私欲から見れば他

人から奪うということを意味している。


 不幸とは他人から嫌われ、恨まれる、あるいは他人を

嫌い、恨むということであるから、結局、私利私欲は不

幸である。

 

 不幸とは、奪おうとする者がまいたチョコレート風の

餌でもある。

 奪おうとする者は、餌として与えるくらいの「愛」を

持っている。

 そこが、奪う者と奪われる者の知略の違いというべき

であろう。

 

 是に対して幸福は、ほしければあの山越えて取りに来

て、それを人に与えよというのである。

 一人で間に合わなければ、死体の山を越えてゆけと。

 それを天命と心得、やりがいがあると思う者はいつも

少数の「変人」である。


 幸福の科学とは、そうした変人か、変人の卵の集まり

ということになろうか。 

 みなさん、幸福の科学の洗礼を受けませんか。

 死に甲斐は見つかると思いますよ。

  

 

 

 

自由責任論】 

 自由とは自業自得を意味することはあっても、身勝手

を意味しない。

 まして人権としての自由は、尊重されるべきものであ

る。

 無責任な自由を尊重すべきもとは認めない。

 

 無責任な自由とは神からの自由である。

 神を不都合とする自由とはおぞましいことであろう。

 自由人権として尊重されるべきは神への自由である。

 自由とは神聖でなければならない。

 

 働くということは尊いことである。

 なぜなら、働くということは愛であり、他人に与える

努力であり、神聖な仕事だからである。

 職場は神聖であり、仕事も神聖である。

 だからこそ、職場は清潔でなければならず、身なりも

ふさわしいものでなければならない。

 

 ビジネスフォーマルとは必ずしも機能的ではない。

 しかし、礼儀としてあえて身を慎む美学によって整え

られているものである。


 うっとうしい髪型を自分らしさだからといって忠告を

受け入れない者がいる。

 自分が職場の神聖、仕事の神聖を害しているという認

識がないのである。

 

 自由とは責任を意味している。

 世の為人の為に働く自由と、他人に迷惑をかけない責

任である。

 自由人権の尊重すべき価値とは、前者であり、後者は

自由の内在的制約として説明されるところでもある。

 

 沖縄の基地問題は、世の為人の為に自由を用いるべき

責任を問われている。

 左翼活動家からすれば、「戦争反対」というお題目の

日本国防衛反対、日本国独立反対こそが世の為人の為だ

と言うのであろう。


 それは詭弁である。

 それは、国家という制度を破壊するものであり、それ

自体が矛盾した権力闘争であり、殲滅されるべき詭弁勢

力といわざるを得ない。

 

 わが世代は、学生運動の残り火があった時代であり、

高校の担任も、身を寄せた教会の牧師もバリバリのマル

クス主義者であった。

 マルクスの資本論全巻を原書で読んだと豪語していた。


 しかし、勉強嫌いが幸いして、薦められた資本論もエ

ミールも毛沢東語録も読まなかった。

 洗脳はされなかった。

 

 キリスト教社会主義には付き合ったが、何か変だと思

う部分は洗脳されなかった。

 貧困者の救済は貧困者がやるべきことではない。


 それは愛ではない。

 経済努力が貧困を救うのだ。

 キリストを貧乏神にしてはなるまい。 

 


立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 狭霧のミヤマキリシマ・・・ 「丸善」天神から撤退の不便   小沢ナチズムの台頭を許すな

2010年05月13日 08時56分27秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

   息吹して  ミヤマキリシマ  千に咲き

   梅士 Baishi

 

 

  

 霧氷に覆われていた厳冬の雲仙原を神が狭霧に息吹し

た。

 すると、薄絹をはがすようにミヤマキリシマが紅を現し

た。

 高原の神事のように、狭霧の紅花が千々に咲き染める。

 狭霧に咲く巫女のような花がミヤマキリシマである。

 九重の高原にもこの巫女の紅花が満開であろうか。

  

 

 

  

 その山を降りると世俗の春である。

 福ビルの老舗であった丸善が6月中旬で閉店する。

 全品3割引で賑わっているが、ちょっとショックであ

る。

 なにしろ、幸福の科学出版の書籍コーナーを設けてく

れていた近場唯一の書店だった。

 文房具もエリートビジネスマン向けの高品質の商品を

揃えていた。

 

 2011年春にオープンを控えた博多駅ビルに移転す

るということである。

 しかし、博多駅周辺は汚くて不便である。

 ホームレスや風俗に汚染され、自転車で気軽に立ち寄

れる環境も無い。

 

 せめて、幸福の科学出版の書籍コーナーをじゅんく堂

書店に作ってもらいたい。

 ああ、丸善・・・。

 

 

  

小沢ナチズムの台頭を許すな!】 

 愛国テレビ『桜チャンネル』で、国会法改悪問題を知

った。

 法律から遠のいている間に、民商法の改正を知ってと

きどき浦島太郎のボケを味わうが、今回の国会法改正案

は、立法準備段階から官僚を排除して小沢ナチ党員主導

で進め、立法趣旨の規定等で牛耳ろうという謀略である

らしい。

⇒「桜チャンネル・国会法改正の謀略」
 
http://www.youtube.com/user/SakuraSoTV#p/u/5/mAHvNhYHSCE

 

 

 官僚が立法の仕上げ部分から排除されると、小沢ナチ

ズムの政治支配が露骨にならざるを得ない。

 立法趣旨としての法解釈規定は、いわば法律の実質的

な意味を規定する性格があるからである。


 これまでは、官僚の法文解釈によって、官僚に不利な

法律は骨抜きにされるということが間々あった。

 しかし、官僚はナチ党に対しては、法律専門官として

法の番人としての砦的な役割を持つものである。

 

 これを排除しようというのが、今回の国会法改正案の

持つ危険性である。 

 すなわち、小沢ナチ党員によって法の内容が、いかよ

うにも捻じ曲げられるということである。


 そのナチ党員候補に「やわらちゃん」こと谷亮子が立

つとは何事か!

 国際JUDOに、玉、タマはないから、魂まで抜かれて

しまったのか!

 

 因みに、国際JUDOは西欧の「スポーツ」ではあって

も、武道たる柔道はない。

 「スポーツ」というのは西欧的偏見の支配であって、

フェアーな世界ではない。


 文化とは本来、異文化を楽しむところにある。

 オリンピックなどは、文化精神から見ても大いに問題

がある。

 この件は、あらためて論じたいテーマである。

 

 ナチ独裁型国会法を足場に選挙制度などが運用された

ら大変なことになる。

 まさにナチズムの支配を許すことになるのである。

 民主主義の弱点を突く悪魔の頭脳的戦略というべきで

あろう。

 

 小沢ナチズム台頭の息の根を止めなければなるまい。 

 

        

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 花のさくらんぼ・・・ 鳩公害の始末をつけよ  毅然として国を護れ!

2010年05月11日 08時11分21秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

   

   そんな花  あんな花など  さくらんぼ  

   梅士 Baishi

 

  

 

 気温18℃、天気くもり。

 素直に仕事ができますように。

 

 さくらの緑が美しくて見ていたら、さくらんぼがいた。

 メジロがつついた花が実をつけたのだ。

 さくらんぼのことなど、つい忘れていたことだった。

 むかしの花の賑わいもよいが、新緑の季節にはさくら

んぼが良く似合う。

 

 おいしかったさくらんぼを何度が種植えしたが、つい

に芽を出さなかった。

 桜はどんなふうに育てるものなのだろうか。

 もっとも、桜を植えると虫がついて、手入れが大変ら

しい。

 

 先日、クロアゲハが部屋に迷い込んできた。

 ばさばさとハタキをかけながら所狭しと飛び回った挙

句、庭先のみかんに戻っていった。

 うちで生まれたアゲハなのだろうか。

 

 このあいだ、しょうこりもなく巣作りをして卵を二個

産んでいた鳩をとっ捕まえて折檻した。

 アグネスチャンのように鳩を食う習慣がないのが残念

である。


 仕方なく、頭をぶったたいて、捨て放ったが、翌朝、

頭にばんそうこを貼ってブーブーと言っていた。

 ほんとに懲りないのが鳩らしい。

 辛気臭い鳴き声がほんとにいやな鳥である。

 

 そんなことがあって、とりあえず一段落とおもってい

たら、反対側のベランダに鳩の雛がいた!

 食うわけにも行かず、忍びの伝書鳩にでもしてみよう

かとベッドを作って移した。

 頭をこずくといっちょ前に反抗した。


 ビスケットをやったが食べなかった。

 餌は親鳥に運ばせることにした。

 

 ところが、帰宅すると跡形もなく粛清されていた。

 おそろしい掃除人を、民主党に送り込もうか。

 これ以上、日本で巣作りすることを許すわけには行か

ない。

 鳩公害を招いた国民よ、きっちり掃除してくださいね。 

 

 

  

 

侵略者を攻撃せよ!】 
 警察官採用試験の論文試験で、警察官のあるべき姿と

いう題で出題されたそうである。

 「迷わず発砲します」。

 これを主題として書きたいものである。

 

 暴力団が発砲事件を起しているのに、なぜ殲滅作戦を

とらないのか。

 市民に、暴力団出てゆけというデモをさせること自体

が警察の怠慢であろう。

 警察が発砲すると、すぐにマスコミが問題にする。

 ピストルの携行が許されているということは、抵抗す

る犯人や逃走する被疑者に発砲することを正当業務行為

として任されたことである。

 

 いちゃもんつけるマスコミ関係者はたたけばほこりの

出る人間である。

 徹底的に洗い出して検挙すると良い。

 正当防衛がどうのというほど法的正義を代表するよう

な言論のできる人間かどうか、問われて当然であろう。


 正当な言論活動ではなく、警察力を弱体化し、市民を

危険に晒す言論をしているマスコミのチンピラ記者もま

た放置してはなるまい。

 

 同様に、領海領空侵犯する艦船・航空機に対してはそ

の場で撃沈撃墜するまで交戦するべきである。

 それが最低限の国防である。

 

 自衛隊よ、鳩公害をおそれよ。

 業務怠慢をおそれよ。

 

 これより、毅然として国を護り、毅然として発言し、

国家のあるべき姿を世界に示そうではないか。 

 

         

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 草藤の紫訪ね・・・ 茹で蛙の釜、さらに強火になる。

2010年05月10日 00時47分26秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  

   草藤の  紫訪ね  旅の隈

   梅士 Baishi

 

 

 

 一年ぶりに、その道の曲がり角を訪ねた。

 小浜の先から、諏訪池に上る坂道の大きな曲がり角に

クサフジが群生しているのである。


 紫の千羽鶴を並べたような、あるいは紫の竿灯のよう

なクサフジが、二度目の物好きな寄り道の客を歓迎して

くれているようだった。


 そのクサフジの隈に立つ感慨とは、古代遺跡に初めて

立つ研究者のような発見者の喜びに似ているかもしれな

い。

 

 しかし、写真に撮るのが難しい花である。

 来年こそはその花の本質に迫る写真を撮りたいもので

ある。

  

 

 

 

未だ、茹で蛙温泉か】 


 最近起きていること。

 ・アイスランドの噴火再開。

 ・連休中に悪性黄砂?九州で目の異常が多発。

 ・宮崎で牛・豚の口蹄疫が大流行、大ピンチ。  


 ・5.9、インドネシア スマトラ島でM7・2の大

地震

 ・1ユーロ110円台に暴落、ニューヨーク株一時1

万円割れの大暴落M9クラス?の経済地震かも。 

 ・東シナ海領海内に中国艦船や潜水艇が挑発行為する

も、無為無策?

 ・鳩山総理の反米政策が基地問題で進退窮まる事態へ。


 ・北朝鮮の魚雷攻撃で韓国軍艦船沈没か・・・、狂気

が活発化。

 ・メキシコ湾の油田破損、大量の油が海上に流出止ま

らず。

 ・エイリアン騒動、ロシアでも。

 

 ・上海万博が五月スタート・・・日本館は閑古鳥を飼

っているとか。


 ・幸福の科学出版から、西郷隆盛、吉田松陰、坂本竜

馬、松下幸助・・・、次々に「霊言」が出版され続け

ている。

 「民主党亡国論」では、チャーチルや金丸信、大久保

利通らが重大発言!

 

 今こそ、日本人は建国の志に一致して努力する希望の

時にある。

 生きがい、やりがい、死に甲斐に恵まれている。

 そのことに気づかねばなるまい。

 幸福の科学の先進性と奇跡性、救世主が起した幸福実

現党に気づかなければならない。

 

 ローマ法王が博多に来たらマスゴミは大報道を展開す

るだろう。

 ところが、それ以上に重大な救世主・大川隆法が博多

に来ても、何一つ報道しないとは何事か。

 いずれにしても、この五月は、預言者ならずといえど

も、重大なことが連続して起こる警告のときとなるであ

ろうと思わざるを得ない。

 

 EUは各国が爆弾を抱え、さらに混乱するだろう。

 北朝鮮の戦闘攻撃が日本にも向けられるであろう。

 中国軍の軍事的挑発はさらに強まるだろう。

 基地問題もからんで、米国の日本バッシングは選挙ま

で続くだろう。


 社会主義と決別する革命的気運が高まらなければ、日

本人は腑抜けである。 

 あらゆる安全志向が最大の危険への接近を意味するだ

ろう。


 公務員志向の学生たちよ、その安全志向を恥と知れ! 

 

            

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 


 

 

 

 

 

 

 

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+ 金鳳花の道標・・・ 宗教選択は人生の一大事  神も仏もある国づくりを!

2010年05月07日 08時13分51秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

   春風を  転がして咲き  金鳳花

   梅士 Baishi

 

  

 

 今日は連休明け後の初出社、出陣の朝のような緊張感

がある。

 気温は18℃、出陣には良い気温である。

 これより八月までは一気に走り抜けなければならない。

 それまでに、今年の勝敗が決するであろう。

 いまだ読みきっていないのに、制限時間の秒読みが始

まる。

 10秒・・・

 そして、「考慮時間を使い切りましたので、これより

は一手30秒以内でお願いします」。

 

 長考しても、連休みたいなものだ。

 金鳳花、雲仙ミヤマキリシマ、山紫陽花、たんぽぽ、

クサフジ、紫ウンラン、ジャガイモ、ノイバラ、レンゲ

ソウ、浜大根・・・。

 

 春は喜びにあふれている。 

 雲仙のあちらこちらに金鳳花の花が輝いていた。

 黄色い艶光は確かにキツネノボタンのようでもあるが、

春風が良く似合う花である。

 

 

 

  

宗教の基本】 

 宗教選択は人生の一大事である。

 学問をしない自由同様、信仰をしない自由も尊重に値

しない。

 堕落の自由を人権とは言わない。

 

 家庭の信仰が崩れている現代、一人ひとりがその選択

責任を問われることになる。

 もちろん宗教を持たない人には仏壇も神棚も墓地も無

縁のものであろうが、仏壇があったとしても、それは信

仰を意味しないであろう。

 

 ちなみに自分の母方の祖父は日蓮宗であり、父方は浄

土真宗だった。

 しかし、父母はプロテスタントである。

 私もその影響で洗礼を受けたが、今は幸福の科学(再

誕の仏陀による新世紀の仏教)に学ぶ信仰者である。

 

 キリスト教を捨てたわけではなく、愛の教えに関する

キリスト教の教義は生きている。

 幸福の科学は、排他的な宗教ではない。


 浄土真宗などは、キリスト教的仏教という性質を持っ

ているが(親鸞聖人は聖パウロの転生)、堕落していわ

ば葬式商売になりさがっている。


 墓地に先祖を人質同然に縛って子孫に祟る念仏商売に

は憤りをさえ感じる。

 そもそも、あの世のことを信じない坊主もいるという

から、詐欺もよいところである。

 

 正しい宗教には次のような特色がある。

 1. 霊的世界の真相と転生輪廻を知っている。

 2. 人生はこれ修行という自助努力の教えを基本と

している。

 3. 「汝の敵を愛せよ」という愛の思想、自己中心

を戒める無我の思想を人生の指針として厳しく教えてい

る。


 4. 念仏を唱えれば救われるというような安易な他

力思想を戒めている。

 5. 神の前の平等(人間神の子という他人を敬愛す

る思想)、神への自由(謙虚な自助努力)が人権思想の

根本であることを説明している。

 6. 国を護り、人々を間違った方向から善導する指

導力を持っている。


 7. 最高度の知力と霊能力を併せ持ち、かつ、この

世の努力を怠らない忍耐力をもって人々を指導する。

 8. 分かりやすい言葉で真理が語られ、人々を自己

中心の欲望の闇から目覚めさせる感化力をもっている。

 

 全てを兼ね備えているのは幸福の科学以外にはないが、

利益宗教、他力本願、先祖供養中心主義にすり替えて

はなるまい。

 

 また、この国難のときに、国を護り、人々を助けよう

としない宗教では、新しい時代を導く力は無い。

 幸福実現党が何を目指して素人の政治活動を展開して

いるか、よくよく見聞きするべきである。


 既存の宗教政党とは全く違うことがわかるであろう。

 希望の力と、純粋な情熱を感じるにちがいない。

 

 「人生意気に感じる」という。

 幸福実現党にそれがある。

 神も仏もある日本の国づくりをしたいものである。

  

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国 

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 普賢の鯉・・・ 『日本人よ、仏陀への反逆者、救世主への冒涜者となることなかれ!』

2010年05月06日 16時48分19秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

   鯉のぼり  跳ね上がりたり  普賢岳

   梅士 Baishi

 

 

  

 たかだか博多・長崎間なのに、往復9時間、地べた道

ごろごろと転がして連休のツアーを終えた。

 結局平凡に34号線を走った。


 途中余程道草しようかと迷ったのが吉野ヶ里公園だっ

たが、通り過ぎた。

 さらには、鹿島を過ぎた頃、ガタリンピック会場とい

うのが目に止まったが、通り過ぎてしまった。

 

 三時間余走って、多良町の道の駅に立ち止まった。

 琉球太鼓の演奏が終わったところだった。

 アゴ(とびうお)の干物と檜のまな板とお茶石鹸そし

て、茄子と胡瓜の苗を買った。


 お茶石鹸は350円だったが、お茶の香りがとてもよく、

評判のよい石鹸である。

 まな板は銀杏ではないが、分厚い檜板で1300円とはず

いぶんと安い。

 

 屈辱の憲法記念の日、数十年ぶりに仁田峠に上った。

 その途中に普賢岳をまじかに仰ぐ展望所がある。

 もうそれだけで怖いもの見たさを満足した。


 仁田峠の駐車場にたどり着くのに30分以上待たされた

が、雲仙春蝉にも、馬にも出会えなかった。

 

 死火山かと思われていた普賢岳が噴火し始めたのは19

90年11月、95年に活動を停止してからも15年が過ぎる。

 マスコミや政治による国土の荒廃を見るようでもある。

 神の怒りにも思える轟々とした火山の地肌が圧巻だった。


 惑星ニビルが接近するという2013年、さて、何が起こ

るのだろうか。

  

 

 

 

 島原で百姓をしている父の親戚を数十年ぶりに訪ねた。

 父が最後の旅行のときに行きたがっていた妹の家であ

る。

 そのときに、何としてでも訪ねるべきだった。

 レンゲ畑がきれいな畑の近くにその家があった。

 えんどう豆や餅やらゴクラクチョウ花など山ほどもら

った。

 

  

 

 

 父の生家は息子の代になっているが、豪邸の隣に島原

手延べ素麺の工場を経営している。

 子供の頃、馬に乗ったり、畑で遊んだり、蛇におっか

なびっくりしたりした懐かしい田舎であるが、道路は舗

装され、すっかり変わっていた。


 製麺工場を見学させてもらった。

 床は中国産の桜の木でフローリングされ、清潔だった。

 他の木材は自分の山から木を切り出して使ったという。

 素麺を乾燥している風景が滝のようできれいだった。

 素麺と干し柿をもらった。

 

 島原という土地は、雲仙の山の圧迫感があって好きで

はない。

 歴史的にも島原の乱が足かせのように感じられる。

 あるいはカルマというべきものかもしれない。

 島原は、地理的にも文化的にも熊本の一部といってよ

い。

 言葉も、熊本弁に相通じる。

 

 自分にとって島原は異文化であり、異星人の住む地域

のようにさえ感じられるところである。

 やっぱり博多が一番ばい。 

 

 

 

 

 政治嫌いという公式もあるが、宗教嫌いという公式が

まかり通るのが堕落した日本の特徴だといえる。


 これがさらに政治と宗教が重なると、その嫌悪感は悪

を憎むほどの確信をもった公式となる。

 そのしたり顔の「公式」な日本人の何とおぞましいこ

とか。 


 宗教を持たない、信仰心が無いということが、なんで

フォーマルなのか。


 宗教無学の愚かさがいったいどれほどの高貴さを生ん

でいるというのか。

 宗教無学であることが、いったいどれほど善良だとい

うのか。

 宗教の無知、無学を恥じよ。

 信仰が無いというその傲慢を恥よ。

 

 信仰心が無いということは、傲慢で自己中心であると

いうことを意味しているのである。

 信仰心を汚らしく思うならば、宗教文化との一切の縁

を断ち、批判するべきである。


 寺社に参拝することもしてはならない。

 神仏に手を合わせてはいけない。

 葬式などはもってのほかである。

 

 宗教への無知無学が偽宗教をはびこらせてもいる。

 比較宗教学の基礎があれば、良い宗教、悪い宗教、選

りすぐれた宗教の選別ができる。


 まして、殺人、詐欺、恐喝、好色の無法がまかり通っ

ている「宗教」が宗教であるはずがない。

 宗教とは、発展と調和のバランスをとりながら、永遠

の魂の向上を目指す心の教えである。


 そこには、愛がなければならない。

 異質を排他せず、思いやりと理解と協力の努力をする

のが愛である。

 

 愛とは何かを問えば、その宗教の真偽がわかるだろう。

 愛とは何かを教えてきたのが宗教である。

 

 政治に愛がなければどうなるか。

 すなわち、人による支配、力による支配、排他的な支

配が行われるのである。


 神々の意見を聞きながら国を統べるということが、心

豊かな国づくりには欠かせない。

 

 税金を10%に抑え、消費税も特別税もなくしてゆけ

ば、企業にも余裕が生まれるであろう。

 そこで得られた利益の10%なりを、大切だと思う宗

教団体に植福すると良い。


 幸福の科学に寺院を喜捨すれば、多くの人が救われる

ことであろう。

 

 

 幸福の科学は奇跡の仏陀が設立した世界宗教である。 

 仏陀が降臨した名誉な国でありながら、その太陽の化

身ともいうべきエルカンターレを侮辱する日本人やマス

コミの罪は末代までの恥となるであろうのに、おろかな

ことである。

 

 キリストを殺したユダヤの民と同じようなことを言い、

同じような侮辱を与えているとはなんとおぞましいこと

か。

 まして、キリスト教徒の愚かしいことよ。


 キリスト殺しの罪を再現しようとでも言うのか。

 別のところから現れた救世主を信じないという同じ過

ちを繰り返しているのである。

 

 日本人よ、救世主に反逆する愚か者とはなるな。

 宗教は大嫌いという恥さらしなことを言うな。

 それが分からないというなら、やはり、生死を分ける

試練をくぐらなければならないだろう。

 それが、道理だからである。


 幸福の科学に学ぶべし。 

 

 

 立憲女王国・神聖九州やまとの国 

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

 

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+ いざ出陣・・・ 潔い経済、植福経済のすすめ

2010年05月02日 08時09分41秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

   これよりは  五月晴れなり  旅支度

   梅士 Baishi

 

 

 

 気温16℃、晴れ。

 これよりは、長崎街道を下る。

 さて、4時間で着くものか。

 なにやら、いざ出陣である。

 

 父を追悼する旅だが、諸行は無常、まあ、見えない心

眼を開いて、共に楽しみたいものである。

 去年の春は、父にとっても最後の旅となるかもしれな

い覚悟の旅だったかも知れない。


 しかし、あの世につながっているこの世でもある。

 一仕事を終えて参るとしよう。 

 その一仕事とは、革命である。


 拝金主義は許さない。

 事なかれ主義は許さない。

 自己保身の個人主義を許さない。

 

 人権とは、天下国家万民のための自由であるのだ。

 そのような自由国家でなければ日本の存在理由はない。

 自由とは、神への自由である。

 悟りへの自由である。

 愛を行うための自由である。 

 選挙演説でも、そういうべきである。

 

 老後を憂うことなかれ。

 天命は生かされるものであると信じ、天下国家のため

に働くことだ。

 命尽きるまで、潔く努力することである。

 

 生きることの下手な天使の使命のために、スポンサー

となる喜びが文化となれば、素晴らしい国ができること

であろう。

 それを植福と言うのだ。

 

 企業の政治献金も、それが植福の清清しさをもってい

るかを点検することだ。

 そうすれば、嫉妬など受けないであろう。

 自己保身、私利私欲を戒めるべきである。

 それが、企業活動を継続するために、お金以上に大切

な兵站というべきではないだろうか。

 

 世界に尊敬される日本をつくろうではないか。

 日本の企業活動は、植福をする経済なのだということ

を世界に示うではないか。


 潔い経済活動とは、時に特攻隊のようかもしれない。

 203高地の戦のように、累々たる死体の山を築くか

もしれない。

 しかし、使命はついに果たされた。

 

 使命を持った経済活動もまたしかるべし。

 資本主義の仕組みを、拝金主義としてはならない。

 自己保身の道具としてはならない。

 経済もまた敬天愛人を旨とする潔い活動であり、生き

様でありたい。

 

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

  

 

 

 

  

  

 

 

 

 

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+ 花の羽二重を脱ぎすてて・・・ 勝海舟の霊言「一刀両断」の大人の政治と幸福維新革命選挙

2010年05月01日 22時45分07秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

     花衣hanaginu を  二重脱ぎたる  五月かな

    梅士 Baishi

 

  

 

 大方は五月の連休に入った。

 明日はレンタカーで長崎に向かう。

 ETCもないので、通常料金で高速を走るというのもし

ゃくである。

 下道をと思ったが、えっ、有田の陶器市で混んでるっ

て?

 え~どうしよう・・・。

 道草を食う時間の余裕も無いが・・・。

  かくなる上は、低速道路を正攻法で突破するとしよう。

 

 ちなみに、有田の磁器市には一度も行ったことがない。

 有田焼の輸出港だったのが伊万里である。

 古伊万里という名称もあるが、有田焼のことである。

 是に対して、唐津焼は陶器が有名である。

 有田の隣町には波佐見焼がある。

 

 子供の頃の茶碗は、波佐見焼だった。

 長崎には、現川焼というのがあった。

 こちらは陶器の部類だが、途絶えてしまった幻の現川

焼である。

 クレタの茶碗のように、魚介類がデザインされたおお

らかな絵柄が魅力的な陶器だった。

 

 上等の茶碗は持たないが、いつか白磁に青い上薬をた

っぷりとかけたエーゲの海のような茶碗を使いたいもの

だ。

 不思議なものだ、器というものには、温かな存在感が

ある。

 

 芸術とは何か。

 それは、美の感性に訴える表現である。

 あるいは悟性に訴える物事の本質をとらえた表現であ

る。

 信仰心の失われつつある現代日本に、優れた芸術のあ

ろうはずが無い。

 信仰なき「芸術」とは、偽物である。

 芸術の真髄は、信仰の表現というべきだからである。 

  

 

 

 

 さて、五月一日の今日、今年初めての水泳に出かけた。

 運動不足の不快感には耐え難く、あれやこれやのしが

らみを振り払って出かけた。

 勝海舟の霊言『勝海舟、一刀両断』にぐずぐずとした

迷いを断ち切って出かけたのである。

 

 一泳目は200mに終わった。

 体力減退は著しい。

 やっとトータル1200mの最低限を終えたが、やっ

ぱり運動後の血流の清清しさは至福である。

 

 悪霊や貧乏神はゴミだまりと運動不足に祟るのである。

 悪霊撃退の前に、ゴミと運動不足を撃退するべきであ

る。

 安易なご利益に頼ってはならない。

 自助努力あってこその他力であることを忘れてはなる

まい。 

 

 同様に、善玉宇宙人言えども、神の代用品のごとくに

依存してはなるまい。

 安易であることを戒めなければならない。

 

 

 

 

  

勝海舟の「大人の政治」と革命選挙】 


 愚直だけでは選挙は勝てない、というお叱りだった。

 勝負は勝たなければならない。

 たしかに、分かりやすい言葉、自分の言葉で待機説法

ができなければならないという訓戒はその通りだと思う。

 また、幸福の科学職員や役員に対するお叱りは、距離

を置いている「幽霊会員」からみれば、まさにその通り

と思える。

 

 幸福実現党の信条や方針は理解しなければならないが、

コピーしてはならない。

 それでは、言論は萎縮し、インパクトがない。

 暗記して面接に望んでいる学生のようにつまらない。

 たしかに昨年の選挙演説にはオリジナルなインパクト

が欠けていると感じられた。

 候補者の魂から訴えるような熱い演説とはいえなかっ

た。

 

 維新の志士たちの激論のように、大正デモクラシーの

辻説法のように、もっと激しく、熱く訴えて欲しいと思

う。

 これは革命だからである。

 

 そういうと、そんなんじゃ票が逃げちゃうよと言われ

るのかもしれない。

 しかし、市民の潜在的ニーズが、そういう熱い言論で

あったならば、支持するのではないか。

 そうでなければ、革命は起こらない。

 

 宗教が政治権力を目指すことを、一般世間は嫌ってい

る。

 宗教という言葉は、いかがわしさの代名詞のように使

われている。

 しかし、それは偏見なのだ。

 神も仏も無い政治でいいのですかと訴えればよいのだ。

 

 『日本人は、神風に感謝したではないですか、商売繁

盛、国家安泰を神に祈るではないですか。

 この国から神や仏を追放して理想的な国になりますか。

 政治が神聖であろうとする事がそんなに汚らしいこと

ですか。

 

 日本は八百万の神々が統べる国であったのです。

 独裁政治とは程遠い、繁栄の精神を持った国でした。

 この日本から、神仏を追い出して、唯物論の、拝金主

義の、弱肉強食の、そして独裁政治の呪わしい国にして

はなりません。』

 

 確かに、政治はけんか腰であってはなるまい。

 しかし、危機のときは、自己保身を戒めなければなら

ない。

 今はそのときではないのか。

 

 確かに、鳩ポッポ政権の対米政策は明らかな反米政策

である。

 戦争を仕掛けたから、アメリカも反撃に転じた。

 アメリカがせっかちなのではない。

 なのに、鳩ポッポ政権は、民主党支持のトヨタを助け

ようとはしない。

 ただの企業の失態に過ぎないかのようにほったらかし

である。

 

 どう考えても、日米戦争を望む反米政策である。

 「そんなことはありませんよ、日米関係は堅持します」

というのは表向きである。

 政治とは、言葉ではなく行動の意味するものが本音と

して理解されるべきものである。

 鳩山は、とんでもない亡国の輩であり、民主党議員も

また、それを支えている限りは同罪である。

 

 だから、愛国の士よ、武士よ、本気であるとわかった

ら、幸福実現党と力を合わせて、脱藩し、国の危機に立

ち向かうべきである。

 ホールディング政党として、『日本を愛するこの指と

まれ党』を作って、その指に止まっても良いのだ。

 幸福の科学が嘘つきでないなら、勝海舟の霊言も、坂

本竜馬の霊言も、西郷隆盛の霊言も、吉田松陰の霊言も、

みんな本物だということではないか。

 これは大変なことである。

 大変なことが起こっているということを知らなければ

ならない。 

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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