大寒に 重ね着しても 寒そうな
中村 梅士 Baishi
今日は大寒である。
おお~、寒っ、というほどでもなく、気温は5℃。
とはいえ、また寒くなりそうである。
夜明も少しづつ早くなり、どん底から2分早まって、
今朝は7時21分の日の出となる。
さて、二十日正月というが、正月の祝い納め、おせち
料理の残り物を全部使いきる料理の風習があるという。
昔の日本人は食材を大切に使っていたのである。
正月最期を飾る二十日正月の伝統を承継したいものだ。
それにしても、日本の伝統とは縁遠く過ごしているこ
とである。
今夜は二十日正月を祝って、大根を落とした鯛のアラ
煮で一杯やるとしよう。
ご飯がおいしいと、梅干しと漬物だけでご馳走である。
海外に暮らしていると、味噌汁と梅干しが恋しくなる
そうだが、おいしい米で育っていたんでしょうなあ。
それにしても、外食のご飯のまずいこと。
だから、ご麺被って、麺食になるんですよねえ。
だけど、キャベツの高騰で、ちゃんぽん屋さんも困っ
ているでしょうねえ。
高値のピークは過ぎたそうですけど・・・。
事件から17年もかかってサリン事件の裁判が終わっ
たという。
あとは速やかに死刑執行していただきたい。
それが、この世のけじめであり、本当の裁きはあの世
で始まることになる。
それにしてもおぞましい事件だった。
人としての正しい生き方を教え、心の在り方と修行を
指導し、この世限りではない世界観をもって進歩と調和
の法を探求するというのが宗教である。
サリン事件は、イスラム過激派のテロほどの「大義」
もなく、暴走族の逆恨みのような無差別殺人を世直しで
もあるかのように実行したところに悪魔的狂気がある。
悪魔的であると言う意味で霊的ではあるが、宗教では
ありえない。
世直しをしたいというストレスがたまっている世相で
はあるが、無差別テロではありえない。
それを「カルト宗教」というのは大きな誤解を生む認
識である。
宗教擬装、宗教詐欺というべきであろう。
宗教教育を公教育から排除したことが、宗教音痴を生
み、宗教詐欺に騙されることにもなっているのだ。
悪魔の道は善意で舗装されている。
時に、神の言葉と称して偽装されている。
宗教詐欺を見抜く宗教教育を復活させるべきである。
宗教教育禁止という植民政策の反省をきっちりとして
いただきたい。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party