釧路市内を流れる「釧路川」。
「幣舞橋」「久寿里橋」「旭橋」という三つの大きな橋を過ぎた辺りで一枚。
ここで、本流から流れが分かれています(右が本流)。
この流れは何でしょう・・・?
小さな船が泊まっていますが、その先は行き止まりのような・・・。
そうなんです。この小さな運河は、ここで行き止まりになっており、その先は、暗渠にもなっていません。
行き止まりの場所から反対側を見て。
一体この運河は・・・?
そこから先を見ると、何やら公園のように整備されていますね。
そこに建っているのは、釧路市の公園緑化協会さんに建物。
ということは、ここはやはり公園?
ちょっと前置きが長くなり過ぎちゃいましたが、ここは、釧路市郊外部を東西に貫く「柳町公園」という公園。
大正9年(1920年)8月に釧路地方に未曽有の大洪水をもたらし、「阿寒川」という釧路川の支流が流路を大きく変えるまでになった大雨を受け、翌年着工された釧路川の改修工事の後、流路が変わる前の阿寒川を一部掘削する形で、昭和8年(1933年)に大きな運河が整備されました。
その運河は、釧路川と新釧路川とを結ぶ水路として、木材の運搬をはじめとする物流の用に供されてきましたが、やがて周辺が住宅街として整備されるにつれ、生活汚水の流入によってヘドロが発生するまでに汚染されてしまい、釧路市民の間で、運河の活用に向けた大規模な討論会が開催されました。
市民の間では、運河を埋め立てて公園として整備すべきという意見と、運河を浄化して保存すべきという意見が真っ二つに分かれていましたが、最終的に、埋め立てて公園として整備するということで話が整理され、昭和56年(1981年)に整備着手、翌年からは国庫の補助も受けるようになり、最終的に平成16年(2004年)に、幅が約83m、延長約2.4kmという大規模公園としての整備が完了することとなったというものです。
ということで、今回は、この公園を、新釧路川に向けてブラブラと歩いてみることとします。
先へ進んでいくと、おやおや、橋でもないのに欄干が見えてきました。
この道路は、「古川橋通」という幹線道路。
そう、この「古川橋」という橋は、かつて公園が埋め立てられる前、運河だった頃に架けられていたもので、公園として整備された後も、こうして欄干が残されているのです。
ただですね、この道路、前回釧路に住んでいた三年間(平成14年4月~平成17年3月)も含め、数えきれないくらい通っていたのだけど、こんな風に欄干が残されていることは、全く気に留めていませんでした。これは興味深い発見だったと思います。
「古川橋」を過ぎて少し進んだところで、小さな樹木が整然と植樹されているのを見つけました。
おやおや、要潤さん、じゃなかった、クーちゃんじゃありませんか。
そういうことでしたか。
まだまだ先は長いだろうけれど、やがてここが、桜の名所として賑わう姿を想像するとワクワクしてしまいます。
(「古川橋」の場所はこちら。)