札幌で、帰省すると必ず立ち寄る「山の手図書館」へ向かう途中、じゃなかった、このときは図書館から出て琴似方面へ向かう途中のこと。
おや、ここは西区「山の手」なんだけど、なんでしょう、この「水上」って?
電柱を見ると、その地の歴史を示す事柄が表示されていることが往々にしてあるというのは、町歩きの常識といってもよい(例えばこんなとか、こんなとか。)けれど、ということは、これも何か歴史を示すことなのでしょう。
写真の位置は、札幌と小樽を結ぶ幹線道路、通称「北5条手稲通」から分岐して、住宅街へ入っていく所。
これが、冒頭の電柱のある通り。
ごく普通の住宅街で、現在は「山の手5条通」という通りなのだけど、かつては「水上通」と呼ばれていたそうです。
「さっぽろ文庫1 札幌地名考『さっぽろの通り』」という本によると、「かつて、この道路の脇を小川が流れており、上流をたどっていくと三角山の西側に形成された丘陵を迂回し、発寒川(札幌市と石狩市の境界を流れる川)を源としているので、水上という名が冠せられたと思われるが、はっきりはしていない。」とあります。
要は、はっきりはしていないけれど、その小川に因んだ通りの名前ということなのかなと思いましたが、他方で、図書館で見つけた、地元の方による郷土史の本によると、昭和初期の頃、この道路は平坦ではなく、馬車で通行するのもかなり大変であったのが、昭和5年(1930年)に、市立札幌診療所(現「国立病院機構北海道医療センター」)ができた頃から往来が盛んになり、診療所のボイラーから排出される石炭殻を通りに敷くことで、雨が降ってもぬからない、水の上のように平らに、そして綺麗な道になっていったのだそうで、そのことから、住民たちの間で「水上通」と呼ばれるようになったということが書かれてありました。
また、通りの名前も、「札幌地名考」には「みずかみどおり」と書かれているのが、地元の方の本では「『みずかみ』と言う人がいると、古老から『みなかみ』と叱られたものだった。」とあります。
そうした歴史がある地名が、現在もこうして電柱に残されているということなのですね。
ということで、周辺を少しブラブラしてみました。
通り沿いに、一際目を引く大きな木が植樹されていました。
沿線と、通りを挟んだ向かいに、地元でも有名な病院とその関連施設があるのだけど、もしかするとその病院による植樹なのでしょうか。
もう少しすると、綺麗に色づいてくるのかな。
しばらく歩くと、これまた幹線道路の、道道西野白石線(「北5条通り」と呼ばれることも)に。
通称「水上通」は、山の手4条と5条の境界を通っています。
こちらが、先程触れた「北海道医療センター」。
これができたことで、人々の往来が盛んになり、道路が形成され、住宅街として発展していくようになったということなのですね。
(通称「水上通」の位置はこちら。)