先日まで、網走の散策記をアップしてきましたが、11月3日(日)は、私が小学校1年生のとき(昭和55年(1980年))まで住んでいた北見市内を散策してきましたので、何本かに分けて紹介します。
まずは、北見市中心部にあるこの建物。
多分ですけど、来たのは初めてだと思います。
地図とかガイドブックで建物の名前を見て、どんな建物なんだろうと興味を持っていましたが、どうやら、北見に縁のある宣教師夫妻の住宅ということのようです。
館内の展示物の中から、印象に残ったものをご紹介。
入館すると、まずは管理人さんが、この施設と、ピアソン宣教師に関する説明をしてくださるので、それを伺ってから館内を見て歩きます。
「ジョージ・ペック・ピアソン」は、アメリカはニュージャージ州エリザベス出身、妻の「アイダ・ゲップ・ピアソン」は、ペンシルベニア州フィラデルフィア出身の共に宣教師で、明治後期から昭和初期にかけ、北海道内の主に農村で福音伝道に尽くしました。
この図は、夫妻が道内で立ち寄った縁の場所を紹介したもの。
全部紹介するとキリがありませんが、札幌や函館にも立ち寄っていたということに興味を持ったので、代表して紹介。
「函館教会堂」。函館時代に記事にしていたような気がしたのですが、取り上げていませんでした。
来年にでも行ってみようと思います。
展示室の様子。
おお?いきなりこの人物が出てきましたよ。
一体これは・・・?
坂本直寛が入植した「北光社」は勿論知っていますが、このようなエピソード(後日談)があることは知りませんでした。
ピアソン夫妻ゆかりの人々のコーナーで気になったのは、坂本直寛と、こちらは函館時代に取り上げていた、バチェラー司祭。
アイヌ民族の研究家としても知られていますが、函館時代に取り上げていた人物を別な町でも見かけるというのは、何だか嬉しいというか、歴史の奥深さというものを実感させられます。
全道を転々としたピアソン夫妻は、大正2年(1913年)に一時帰国しての休暇を挟んで、翌3年(1914年)北海道での最後の伝道の地として、野付牛村(後の北見市)にやってきました。
同年、アメリカの建築家「ウイリアム・メレル・ヴォーリズ」氏の設計により住宅が建設され、その後15年にわたり、夫妻はこの地で生活をしてきました。高台にある住宅の周りには三本のカシワの木があったことから、この地は「みかしわの森」と呼ばれ、夫妻はこの地をこよなく愛したとされており、やがて昭和3年(1928年)、夫妻はこの地に涙の別れを告げ、母国アメリカへ帰国したとのことです。
現在、この庭では、完全ではありませんが、カシワの木が植樹されることで、往時の様子を垣間見ることができます。
敷地内には、妻のアイダが北見の素晴らしい景色を表現した文章が、碑に刻まれて残っています。
この他、直接ピアソン夫妻の功績というわけではありませんが、この地方に縁の俳句や俳誌の歴史に関する碑が設置されています。
最後に、庭から写した建物の全景。
色々と興味深いエピソードに接することができ、楽しい時間を過ごすことができました。
またぜひ行きたいと思います。
(「ピアソン記念館」の場所はこちら。)