今日もまたテレワークでしたが、自宅のPCを使うので、当然のことながら月の電気代は急上昇。
なので、テレワークの日は、電源を抜いた状態(充電100%)でこのブログを書き、勝手ながら、皆様の所にお邪魔するのも控えめにしたいと思いますので、御了承ください。
加えて今日は、テレワークのためのリモートシステムに不具合が生じ、職場(部署)と、システムのサポートセンターに何度も電話しまくりで、正直疲れました・・・。
ということで、今日はこちらを。
先日澄川へ行った際、平岸方面までぶらり歩きしようと思い、立ち寄った場所を順次紹介していきたいと思います。
まずはこちら、「相馬神社」から。
結構急な坂の上にあります。普段の運動不足解消にはちょうどいいかも。
参道の入り口に、境内にある幾つかの碑の解説板が設置されていました。
こういうのがあると有難いですね。
相馬神社は、大きな御神木の存在感に圧倒されると聞いていましたが、こちらがその御神木。
樹齢や大きさなど、個別項目だけなら、これよりも長い、あるいは大きいのがあちらこちらにあるけれど、300年という年数は、それだけでも気が遠くなるような長さ。
人間の平均寿命の約4倍ともいえる時間を生き、町の様子を見守ってきたという、そのことだけでも十分敬意を表したくなるものがあります。
これは解説板にはなかったので調べてみると、「千鳥石」とは、タモリさんなら一発で判っちゃうような石の種類・・・ではなく、明治9年(1876年)福井県に生まれた、「吉田清」という人物の、草相撲でのしこ名。
「千鳥石」こと吉田氏は、明治34年(1901年)、澄川で最初の小売店を開き、ビール瓶の原料となる火山灰の採取と運搬も請け負っていたそうで、この碑は、「千鳥石」が札幌地方相撲の頭取になったことを記念して、地元の有志が、大正6年(1917年)8月に建立したものだそうです。
こちらは、解説板にある「相馬神社創立記念碑」。
そして、「平岸開村五拾年記念碑」。
解説板に、「リンゴ園」という表記がありましたが、これに関しては、行ってみたいスポットもあるので、後日、計画を練りながら行きたいと思います。
こちらの狛犬。
よぉ~く見ると、所々にポツポツと小さな穴が開いているように見えますが、実はこれ、終戦後、この近くに米軍基地が置かれ、兵士が放った弾の痕なんだそうです。
痛々しいですね・・・。
やっと本殿に到達。
明治41年(1908年)創立とありますが、元は、明治4年(1871年)、旧藩士を主体とする岩手県からの入植者がこの地を借り受け、「札幌神社」(現「北海道神宮」)の遙拝所として祭事を行ったことが始まりだそうで、その後は、解説板のとおり、福島県相馬郡太田村(現「南相馬市」)の「相馬太田神社」から分霊を受け、大正5年(1916年)に現在地に移転しています。
現在の本殿は昭和3年(1928年)に改築され、今に至るまでの長きに亘り、平岸、澄川地区の鎮守として、町の発展と人々の暮らしを見守り続けています。