ワクチン接種の副反応もどうやら落ち着いたようなので、ストックはそれほど多くないですが、町ブラ記事の投稿を再開します。
5月に、職場近くにある「西本願寺札幌別院」へ行ったときの記事で、札幌市内には、同院も含め「五大寺」と呼ばれる寺院があるということを書きましたが、残る四つの中の一つ、豊平区豊平にある「経王寺(けいおうじ)」に行ってきました。
これは・・・、何と読むのかな・・・?
「北海身延」と読むようですね。
「身延」とは、山梨県にある、日蓮宗の総本山である「身延山久遠寺」のことで、ここのお寺も、その総本山から「身延」の称号を允許(「いんきょ」。許可されるという意味だそうです)されたものです。
ここに書かれている「松井寛義上人」という人物は、天保元年(1830年)に紀州(現在の和歌山県)に、徳川藩士の三男として生まれ、大阪府堺市の「興覚寺」というお寺で出家し、京都の壇林(お坊さんの大学)で学んだ後、江戸の「深川浄心寺」の塔頭である宣明院に住しました。
ここからは、このブログでも紹介したことのあるお寺に関するエピソードになりますが、明治維新後に、北海道での開教を志した寛義上人は、まず最初に函館の実行寺(こちらを)に滞在し、程なく、江差~石狩と経て、当時開拓の中心であった、札幌の妙見山本龍寺に滞在しました。
本龍寺は、先日も紹介したとおり「札幌最古のお寺」として知られていますが、ここで開拓使ゆかりの人物や法華経の支援者などの協力を得て、この案内板にもあるとおり、明治8年(1875年)に、現在地にお堂が建設されることとなりました。
「北海身延」の称号は、昭和30年(1955年)に、総本山身延山久遠寺法主、「深見日円」氏の来山を期して允されまたそうです。
三体の観音様が祀られている「観音堂」。
近づいての写真撮影をしそびれてしまいましたが、「妙法観音」「馬頭観音」「慈母観音」の三観音が安置されています。
「百度石」とあります。
所謂「お百度参り」の参拝者が、これに向かってお参りを重ねるものだそうです。
パワースポットとされている八大龍王。
パワースポットだからこそ、コロナ禍の今はマナーを守った参拝のより一層の徹底が求められます。
先程の案内板にもあるとおり、明治15年(1882年)建立と歴史のある本堂。
これは、所謂「宗紋」というものなのでしょうかね・・・。
平成14年(2002年)と、境内の施設では新しい物のようです。
境内に立つ、日蓮大聖人銅像。
昭和52年(1977年)に建立されたものです。
「札幌五大寺」の一つだけあって、歴史があり、境内の広さと施設の多さにも圧倒されますが、歴史を調べていく中で、函館にいた頃に行ったことのあるお寺(実行寺)の名前が出てきたのには、驚き、そして何だか嬉しくなりました。
こういう僅かな繋がりを発見できるというのも、見て歩く醍醐味の一つと言えるのかもしれません。