職場近くの道路。
普通に片側二車線の道路ですが・・・、
お、ここで幅が狭まり、片側一車線になっています。
反対側からも一枚。
これはどういうことなのかなと、以前から疑問に思っていました。
大正5年(1916年)の地図と現在の地図との対比。
大正5年の方は、昨日の記事でも触れた、かつての札幌市と「円山町」との境界を流れていた小川。
現在の地図で見ると、ちょうど幅が変わっている辺りに小川が流れていたことが分かります。
昭和10年(1935年)の地図との対比。
このときには既に道路が出来上がっていますが、確かに今と同様、幅が異なっています。
昨日の記事でも書きましたが、円山町が札幌市と合併したのは昭和16年(1941年)。
合併前は、札幌市と円山町(それ以前の「藻岩村」「円山村」)とが、それぞれの基準や考えのもとに区画整備を行っており、それゆえに道路の幅が異なって整備されたことが、今でも名残としてあり続けているということだそうです。
もう一つ、大正5年と現在の比較。
現在の方に青線を引いていますが、実はこの道路、川の跡に整備されたのだそうです。
ということで、「ブラタモリ」気分で歩いてみましょう。
歩いたのは仕事がある日の昼休みですが、仕事は忘れてます(笑)。
確かに、曲がり方がちょっと不自然ですね。
「ブラタモリ」でも、よくこういう曲がり方をしている道が紹介されていると思います。
歩いていて、タモリさんなら、ここが川の跡だということも一発で見抜けちゃうのかなあと思いました。
以前、「ブラタモリ」と「鶴瓶の家族に乾杯」とのコラボで、鶴瓶師匠が、「ブラタモリ」への対抗心からか、たまたま通りかかった道路を指さして「あの道あれやろ、川の跡やろ」と当てずっぽうで言ったところ、タモリさんに「違うと思う」と即断されて凹んでいたのを思い出しましたが、タモリさんなら、一見何の変哲もない道路でも、それが川を埋め立てたものなのかを見抜けるだけの基準をしっかり持ってらっしゃるのでしょうね。