北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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「箱館」から「函館」へ

2024-06-06 20:08:04 | 函館

今日は、頂いたコメントへのアンサー記事を書きたいと思います。

 

(頂いたコメント)

「函館は『箱館』と書く時もありますね。箱の字は昔使っていたのでしょうか?」

 

現在の「函館」は、明治2年(1869年)までは「箱館」という表記を用いていましたが、この年の9月に、開拓使の出張所が箱館に設置された際に、このようなお触れが発せられていました。

 

「明治二年本出張所を置き箱館を函館と改む」「九月三十日開拓使出張所を函館に置く、箱館の字を函館に改めたるは此時なり」(「函館区史」より引用)

 

つまり、このお触れをもって、それまでの「箱館」が「函館」と改称されたということになるのですが、それでもしばらくの間は、地元住民はもとより、役所ですらも、新旧の表記を混用していたそうです。

 

では、元々の「箱館」の由来とは一体何だったのでしょうか?

そして、新しく用いられた「函」の文字には、どのような意味が込められているのでしょうか?

 

 

昨日紹介した「元町公園」へ通じる「基坂」(撮影は2015年です)。

 

 

坂のほぼ真ん中に、このような解説板があります。

1454年、現在の青森県南部地方から蝦夷地に渡来した「河野政通」という人物が、当時「宇須岸(うすけし)」と呼ばれていたこの辺りに、「館」(屋敷)を築きました。

これが「宇須岸河野館」と呼ばれ、その大きさは東西約92メートル、南北約115メートルと大きく、この館の形が箱に似ていたところから「箱館」と称され、それが「箱館」という地名の由来になったとされています。

もっとも、これについては諸説あり、「はこだて」については、アイヌ語で「小さな砦」「館」を意味する「ハクチャシ」から転じたとする説もありますが、用いられている文字からすると、やはり河野政通の館に関する説を信じたくなりますね。

 

 

場所はこの辺り。

追って紹介しますが、かのペリー提督の像がある広場です。

 

 

ではもう一つ。なぜ「函」の文字が用いられたのでしょうか?

これも、例によって諸説あるそうなので断定ではできませんが、私が幾つかの資料を見た中で「なるほど」と思ったものを紹介します。

 

「箱」は言うに及ばず、「函」の文字も、「投函」という文字に用いられているように、物を入れる「はこ」を意味しています。実際、「函」という文字には、「手紙を入れるはこ」という意味があるそうで、「投函」という表現はそこから生まれたとされています(なんだけど、郵便ポストの正式名称は「郵便差出箱」というそうです。この違いは何なのかな・・・)。

ただ、当時、「箱」と「函」には決定的な違いがあるとされていたそうで、「箱」の方は、蓋と本体とが分離する構造になっている(今はそうじゃないのもありますよね)のに対し、「函」は、蓋と本体とが一体となっている物とされていました。このことから、分離=分裂という意味を連想させる文字を地名に用いるのはいかがなものかという発想から、「箱」の文字が「函」に変更されたという説があります。

 

というもので、確かにツッコミどころはあるものの、箱館戦争終結直後の情勢下にあって、「分裂」を意味する文字が忌み嫌われたというのは、何となく納得がいくような気もしますね。

あくまでも、私が「なるほど」と思った説を紹介したまでです。断定する意図は全くありません。

コメント (4)
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