北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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寺町通を歩く~その1~

2018-08-12 20:14:01 | 釧路&釧根地方



橋南地区で見つけた「寺町通」というバス停。
函館でいえば、「高龍寺」や「称名寺」「実行寺」などが立ち並ぶ西部地区のあの辺りのようなエリアなのかな。
どんなお寺があるのだろう。早速回ってみるとしますか。








まず最初は、真言宗の「西端寺(さいたんじ)」。
高野山より布教のために来道した「西端良純和尚」が1892年(明治25年)に開設した布教所を母体で、1899年(明治32年)8月に寺号公称許可を受けました。
当時、道東地方に集団入植していた、弘法大師の信者たちを基盤として発展したとされています。











続いては、曹洞宗の「定光寺(じょうこうじ)」。
1884年(明治17年)6月、函館の高龍寺より釧路地方への巡教に派遣された「渡辺活定」によって開かれたお寺で、漁師を檀家の中心として発展してきました。











続いては、浄土宗の「大成寺(だいじょうじ)」
1882年(明治15年)、三河出身の「忍譽徴源(にんよちょうげん)」という僧侶が釧路に入り、松前にある「正行寺」の説教所を設けたのがはじまりとされています。





境内には、本堂の他にも幾つかの堂が設置されています。
まずこの建物は「金比羅堂」。
金比羅というと、こんぴらさんでも知られるとおり、お寺ではなく神社が思い起こされますが、1887年(明治20年)に、金刀比羅大神を祀っている釧路の厳島神社が現在地へ遷座される際、金比羅大権現が、一時期この大成寺に合祀されていたのだそうです。
これは、時の明治政府による「神仏分離」政策に反するものでしたが、釧路地方は元々その動きが弱かったこともあり、このことに関して特段の御咎めはなかったとのことでした。





「庚申(こうしん)塚」。
中国の道教に始まる「庚申信仰」が、後に仏教と結びついたもので、治病、大漁祈願等の御利益があるとされています。





ちらっと中を。
特に病気はしていないけれど、御利益がありますように。





「不動堂」。
お不動様を祀る堂で、釧路市内の信徒たちによって管理されています。








最後は、日蓮宗の「法華寺(ほっけじ)」。
1880年(明治13年)、秋田から渡ってきた「安田要善」によって開かれ、当初は「令闡寺(れいせんじ)」と呼ばれていました。
釧路市の東部、現在の釧路町に位置する昆布森村を中心に発展してきたとされています。





境内にある日蓮聖人の像。
「立正安国」でおなじみです。


釧路の「寺町通」は、このように、異なる宗派のお寺が並んでいる地区ですが、各寺が開設された明治初期~中期頃は、各宗派の勢力拡大のために布教師がこぞってやってきていた時代で、漠然とした信仰形態を持っていた信徒たちが布教活動を受ける中で、各宗派それぞれにおさまり、発展していったとされています。
にしても、函館や松前をルーツとするお寺が釧路にもあったというのは、函館からやってきた私にしてみれば、何だか嬉しくなる話です。

(今回紹介したお寺の場所はこちら)。
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