札幌市内中心部から北方面にかけて南北に流れる「創成川」。
テレビ塔付近から撮っていますが、晴れた日は澄んだ川面がとても綺麗に見えます。
この辺りは、「創成川公園」として整備されていて、散歩する人や、中心部へ買い物に来て休憩する人などの憩いの場となっています。
今回は、ここから、川が流れる北方面ではなく、川の源流である南方面を目指して歩いてみることにしました。
円形の構造物を発見しました。
上空から見るとこんな感じですが、一体これは何でしょう?
彫刻として作られたものなんですね。
制作者の西野康造氏は、兵庫県の出身で、野外彫刻を数多く手がけており、公共空間における作品設置も多く手がけている方だそうです。
南側へ歩いていくと、そこにまた彫刻が。
初めて見ますが、制作者は何となくピンとくるものが・・。
ああ、やはり安田侃氏でしたか。
札幌駅コンコースにある「妙夢」で知られる、美唄市出身の彫刻家さんです。
何度か紹介してきました、札幌開拓の礎を築いた人物、「大友亀太郎」の銅像。
このご時世を反映してか、マスク着用なんですね。
これも何度か書いていますが、大友亀太郎によって掘削された「大友堀」が、現在の創成川の基となっていることから、この像がこの場所に設置されているということになります。
札幌の歴史に興味を持ち、勉強してみようと考える全ての人にとっての、原点、出発点と言ってよい場所だと思います。
像の近くにある「創世橋」という橋。
明治2年(1869年)、大友堀の側に開拓使の官舎が設けられた際に、開拓使判官であった島義勇が、丸太を並べて板を敷き、川を横断できるようにしたのが最初とされる歴史ある橋で、二年後に木橋となったときに橋名を決めるに当たり、開墾者から出た「始成橋」という案を参考に、開拓使判官であった岩村通俊が「創世橋」と名付けました。
明治43年(1910年)に、現在のような石造のアーチ橋となり「札幌の日本橋」とも呼ばれていたそうです。
平成14年(2002年)に、アンダーパスの建設事業により一時的に撤去されましたが、同22年(2010年)に復元され、同年、土木学会選奨の土木遺産に選定されました。
因みに、「創成川」という川の名前も、この橋の名前から付けられています。
これまでずっと、「創成川」ってどういう由来があるのかなと思っていましたが、そういうことだったんですね。
橋の側に、こんな展示パネルが設置されています。
一つ一つ見ていきましょう。
今回は流すようにざっと見ただけですが、札幌の歴史の礎を築いた場所ということで、いずれ、一つ一つじっくり検証してみようと思います。
そして、ここの床部分なのですが、
ん?「事務室」?
開拓使の庁舎でしょうかね・・・。
「囲炉裏」?
庁舎じゃなく官舎?
えっ、「取調室」?
そう、実はここは、先程の写真にもあった「南一条交番」のあった場所なのです。
こういう感じて残されているのも、なかなか趣があっていいなと思います。
ところで最後に余談ですが、皆さん、警察署の取調室なんて入ったことありますか?
普通はなかなかないですよね。
実は私、あるんですよ。カミングアウトしちゃいますが、十数年前に、ある事件の参考人として・・・って、んなわけないでしょ。仕事でですよ仕事で。
十数年前、ある案件で警察と打ち合わせをする必要が生じたので、職場近くの警察署に行ってきたのだけど、事前にアポを取っていたにも関わらず、会議室が塞がっているということで、案内されたのが取調室でした。
中は、それこそ「太陽にほえろ!」とかで何度も見たような造りそのものという感じだったけど、思ったよりも狭かったのが今でも印象に残ってます。
今はそんな取り調べはしていないと思いますが、あんな狭い場所で「お前がやったんだろ~!吐けおらぁ~!」なんて言われたら、容疑者はひとたまりもないだろうなと思いました。
因みに、昼時ではなかったこともあり、カツ丼は出ませんでした(笑)。