「王道コース」の途中に、規模は小さいけれど、函館の歴史散策上欠かせない神社があります。
「船魂神社」と書いて「ふなだまじんじゃ」と読みます。
この神社のポイントは二つあります。
一つは、「北海道最古」という点。
正確な年代は不明だそうなのだけど、1135年と言われています。
「船の魂」という表記のとおり、古くから海上安全の御利益があるとされ、かつて、函館を出港して主にカムチャツカ沖で操業していた「北洋漁業」や、近年では、遊覧船や漁船、プレジャーボートなどの守護神として崇められており、御朱印帳や御守には、「人生の舵取り」を意味して、船の舵がデザインされています。
そしてもう一つのポイントが、左下に緑色で書かれている「義経の里」。
そう、全国各地に伝説が存在するかの源義経が、ここ函館にも伝説を残しているのです。
どのような伝説かというと、1190年、義経一行が津軽海峡を横断して現在の北海道へ渡ろうとしているとき、船が荒波に見舞われてしまいましたが、沈没寸前というそのとき、船魂明神の守護に救われ、無事に岸に辿り着いたというものです。
北海道では、日高管内の平取町という町にも、平泉で自害したとされていた義経が紆余曲折を経て辿り着き、アイヌと互いの文化を共有したとする伝説があります。
平取町には「義経神社」という神社があるので、この伝説は割と広く知られていますが、函館にも伝説があったということは、函館市民でも知らないという人が多いのかもしれません。
伝説はもう一つあって、船魂明神の守護に救われて辿り着いた義経が、現在のこの神社のある辺りを歩いていた際、急に喉が渇いたので水を探していると、童子の神が突然岩の上に現れ、その指さす方を見ると清水が滾々と湧き出ていて、義経は喉を潤すことができたというものです。
現在の社殿は、昭和37年(1962年)に改築され、平成30年(2018年)にも大規模な改修が行われています。
ここには、潮流の神である「塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)」、海をつかさどる神である「大綿津見神(おおわたつみのかみ)」の他に、八方除、厄除、病気平癒の神「須佐之男神(すさのおのかみ)」が祀られていて、漁業や船舶の関係者の他に、受験生、就職活動中の学生などが多く参拝に訪れています。
敷地内にある歌碑。
「通り雨 ゆゆしく過ぎて白樺の 幹間に見ゆる峡の明るさ」
と読めます。
作者は、最初の文字がちょっと読みにくいですが、「小杉繁三郎」と読むのでしょうか。
最後に、この場所には、もう一つ、函館の歴史上欠かせないものがあります。
「陸軍省」という、明治32年(1899年)当時存在していた、その名のとおり、陸軍を統括していた省の名前が刻まれています。
日露戦争開戦の五年前であるこの頃から、日露間の関係は悪化の一途を辿っており、函館山は陸軍に没収され、この杭から上の方は立入禁止となって要塞が築かれました。
その後、第二次世界大戦終結まで、函館山は、人が立ち入ることはもとより、スケッチや写真撮影なども許されず、地図からもその存在が抹消されていました。
そうして人の立ち入りが制限された結果、函館山は人為的な環境破壊が進むことなく、現在でも、日本全国に約6,000種あるとされる植物のうち、実に650種が、この函館山に存在するとされていて、豊かな自然が現在に残されている形となっています。
義経はモンゴルに渡り、チンギスハンとして生きていた
って言われますね。
大陸に渡る前に北海道へ渡ったのかー。
北海道で義経の名を聞くとは思いませんでした。
こんにちは。
そうなんです、北海道にも義経伝説があるのです。
あくまでも伝説ですが、ロマン溢れるエピソードだなと思いますね。