五稜郭タワー1階の、チケット売場付近に、「箱館戦争」があった明治初期に名を残したとされる人物を描いた「箱館五凌郭之降伏」という錦絵が展示されています。
※「五凌郭」とありますが、誤字ではなく、このようなタイトルだそうです。
注目したのはこの人物。
「西郷吉之助」。
そう、もう6年前になりますが、大河ドラマ「西郷どん」でブームを呼んだ、あの「西郷隆盛」です。
何故、西郷隆盛を描いた絵が五稜郭タワーにあるのかという疑問がありますが、その点に関して函館の歴史に関する書物を読んでみると、箱館戦争の時、西郷隆盛が箱館に来ていたのと噂があるのだそうです。
もしかしたら、今後ガイドをする中で、この点について尋ねられる可能性もあるので、読んだ本の記載を引用する形で自分なりに整理してみました。
細かい部分では違いはあるようだけど、概ね次のような経過だったようです。
箱館戦争において新政府軍が蝦夷地(道南の乙部町)に上陸し、戦闘が拡大していったさ中の1869年5月1日(旧暦)、薩摩藩の西郷隆盛は、腹心の部下であり、新政府軍の軍監であった黒田清隆(後の北海道開拓使長官)を心配して出航し、5日に品川に到着しました。
その後、25日になって、西郷の乗る「三邦丸」が箱館沖に姿を現したそうですが、箱館戦争は、17日に榎本武揚らが新政府軍に降伏し、翌18日に、旧幕府軍の占領下にあった五稜郭が明け渡されたことで終結していたことから、西郷らは、上陸することなくそのまま帰還していったとされています。
よって、答えとしては、「箱館にやっては来たけれど、既に箱館戦争が終結しており、上陸も参戦もしていない。」ということになるのだと思います。
黒田清隆は西郷と同じ薩摩藩の人物でしたが、新政府軍には長州藩から派遣された軍監もいて、5月1日時点で長州藩は「箱館戦争の大勢は決まっており、西郷が箱館に着くころには終わっているだろう」と読んでいたいたそうで、実際そのとおりの結末になったということでした。
これが例えば、既に箱館戦争は終結していたけれど、腹心の部下であった黒田清隆を労うなどの名目で上陸でもしていたら、現在の函館港のどこかに、上陸記念碑みたいなものができていて、話題になったりしていたのかもしれないなと、本を読んでいて思いました。