龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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iPad2の使い心地が良いということ

2011年11月04日 00時33分37秒 | iPhone&iPad2
iPad2の使い心地が良いということ。

もう使っている人には当たり前だし、使っていなかった10月までの自分にとっては分からなかったことなのだけれど、iPad2の使い心地がすこぶる良い。

iPad2できることって、ほぼiPhon4で代替できる。むじそ大きくなって電話できないだけ……というのは、当たっているんだけれど、でも、全然違うんだよね。

今までは
Windows7パソコンとiPhone4+Bluetoothキーボード+携帯用バッテリー
という環境で1年ちょっと過ごしてきた。これはこれで何の不便もない。
家のWi-Fiで、どこでもiPhoneでネットを見たりTwitterしたり、メールを送受信してブログも読み書きできる。

iPad2が来たからといって、実は出来ること自体にはそんなに変わりがない。
逆にいえば、今までいろいろ軽くて小さい端末を使ってきたけれど、機能的にはiPadってのはそんなに出来ることは多くない。キーボードとか入力しやすいかっていったら、PCにつないでいるTopreのキーボードの方がガラスをなぞるバーチャルなキーボードよりよほど使いやすい。画面だってPCモニタの方が広いし、iPhoneの方が軽くてどこにでも持ち運べる。

でも、iPad2は触りたくなる。
それを使って遊ぶことが圧倒的に楽しい。
何のココロの準備もスキルもなく使える。
指と目の可動・集中可能範囲にぴったりしている。
身体に近いのだ。
だから、その道具にココロが近くなり、結果その先の出来事に集中できる。

外出時にアップルのBluetoothキーボードとiPhoneとiPhoneスタンドとバッテリーを持って出て、喫茶店でそれらをバッグから出してセットして物書きを始めるのも別に悪くはない。
でも、iPad2だったら、何の準備もなく、世界の窓がそこにあらかじめ四角に切られてでもいるかのように、スッと入っていける。

79歳の母が、今晩作った料理のゆで野菜サラダのレシピは、早速手に入れたiPad2のアプリで検索したものだった。

25年前、パソコン通信のサーバーを立ち上げて、自分のPCに数回線の電話とモデムをつないで掲示板の書き込みやファイルのアップロードを積み重ねてそのメモリの中に小宇宙を作って遊んでいたころと、やっていることの本質はそんなに変わっていないとも言える。

電話回線がwi-fiになり、256kバイトのメモリが32Gバイトになり、繋がるのが数人とのチャット、一〇〇人程度の会員の書き込みではなく、全世界に開かれ、情報の処理速度は何十倍にもなり、キャラクタのみだったコンテンツは動画も音楽も生中継までになり……。

でも、部屋の中にいながら、モニタの向こう側にバーチャルな人の息づかいが見えたあの瞬間の驚きと喜びの延長線上に、このiPad2も位置している。
そんなに革命的な話じゃないのだ。

でも、やっぱり凄いんだよね。
その凄さは、それこそ『暇と退屈の倫理学』で引用されていた(テキスト貸し出し中につき引用元が不明)、生きることを「花で飾る」ってポイントにも繋がっているのかなぁ。
ネットワークの原理が重要なのでもなければ、こうすれば繋がるって技術が大切なのでもなく、習得すれば誰でもできるノウハウ、が大事なのでもたぶんない。

技術とは透明で匿名的で、誰でもがその恩恵を受けるべきものだって誰かが言ってたけれど、インフラ的な技術はその通り。技術や体力がなければ水が飲めないってなったら死活問題だし、現代文明は崩壊しちゃう。

このイノベーション(新しい切り口?by wiki)って、お金さえ出せば、ってもんでもないんだよね、きっと。
できるとかできないとか役に立つとか立たないとかじゃなくてね。

飛躍するみたいだけど、教育もまた、そういうことなんじゃないかな。

タブレットを教科書にっていうと、一見SoftBankの社長さんの陰謀みたいに聞こえてしまうかもしれないけれど、そうじゃなくて、紙の教科書に限定されない広大な情報のジャングルをナビしてくれる教科書としてのタブレット端末は、絶対あった方がいいと思う。

別に教科書が教育するわけじゃない。基本的に教育のメディア=「端末」は何だっていいとも言える。

でも、6歳から80歳までを魅了するメディアとしての端末には、教科書に取って代わるぐらいの魅力があると思うのです。
スマートフォンじゃこうはいかない。
教室にPCが40台あったからといってそうはいかない。

私的な場所と公的な場所をつなぐものがテキストなのだとしたら、教科書をこういう端末に代替していくことを真剣に考えてもいいのじゃないか。

その次にくる問いかけは、「じゃあこのジョブズが作った端末のように、おまえの仕事(教師としては授業)にイノベーションがあるのか」である。

まあなかなか難しいんだね、これが。
でも、新しい切り口を探しつづけるってことは、していきたいと思う。
その新しさが時代の求めるものになるのかどうか、っていうのは、教育の広がりや深さのスパンをどの程度に設定するか
によっても変わってくるんだけれど。